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2018-11-11 16:16 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

一つ前の記事で、モーツァルトの葬儀について解説しましたが、今回は「どこで葬式が行われたのか?」という疑問に答えていきたいと思います。


●葬式の用語と手続き


モーツァルトの葬式、と一言で言っても、いくつか手順がありますし、巨大なシュテファン教会のどの礼拝堂で行われたのかも諸説あります。


まず、葬式の儀式と用語について解説します。


葬式はドイツ語でBestattung, Todesfeier, Begräbnis(埋葬に近い)など、複数の表現があります。また、オーストリアではEinsegnungがBestattungの代わりに使われることもありますし、「聖別する」(聖水をかける儀式)を指すこともあります(プロテスタントではAussegungと呼ばれます)


また、モーツァルトの時代には遺体を安置し、一般弔問を受け付ける、Aufbahrenもありました。


実際の埋葬(灰や遺体を墓に入れること)はBeisetzungといいます。


このそれぞれの段階が、それぞれどこでどのように、だれが付き添って行われたかが諸説あるので、とてもややこしいのですが、以下のように整理できます。


・Aufbahren(一般弔問)は、自宅で12月5日~6日の昼にかけてと、シュテファン大聖堂で12月6日の午後に行ったとされています。


・Einsegnung(聖別の儀式。葬式ミサ)は、シュテファン大聖堂で12月6日に行われましたが、その会場となった礼拝堂に関しては諸説あります(後述)


・Beisetzung(実際の埋葬)は、聖マルクス墓地で、家族や友人の付き添いなく行われたとされています。ただし、当時はかなり遠方の墓地まで家族や友人が徒歩で付き添うのは現実的ではなく、教会の葬式の最後に、教会の地下室(カタコンベ)に「下す」ことで、Beisetzungの儀式の代わりとするという風習があったようです。


●葬式はどこで行われた?


それでは、モーツァルトの葬式がどこで行われたかを検証していきます。


これには二説ありますが、名前の類似性と複雑さが絡み合って生まれた謎なようですので、解きほぐしていきます。


まず、最もよく知られているモーツァルトの葬式があったとされる礼拝堂は、こちらです。


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これは、Kruzifixkapelle(Kruzifixとは、キリストが十字架に掛けられたことを指す)で、隣にある金の十字架が輝く像は、トルコ包囲からの解放を記念して1738年に作られた、Kapistrankanzelです。


IMG_6298_thumb1


このKruzifixkapelleの中をのぞくと、十字架に掛けられたキリスト像があり、その足元にモーツァルトの記念パネルがあります。


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モーツァルトのパネル


”An dieser Stätte wurde des unsterblichen W. A. MOZART Leichnam am 6. Dezember 1791 eingesegnet. Wiener Schubertbund 1931“


「この場所で、不死のW.A.モーツァルトの遺体が、1791年12月6日に聖別された」(「不死の」とは、キリスト教では、体は死んでも魂は死ぬことはないことから)


自然に考えると、この場所にモーツァルトの棺が運ばれ、しばらく屋外でAufbahren(一般弔問)を受け付けた後、家族や友人が見守る中「聖別の儀式」が行われて聖水がかけられ、最後に下向きの扉が開けられて、教会地下のカタコンベに下すことで、墓地に行かなくともBeisetzungの儀式を形式的に終わらせた、という流れだと推測されます。


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カタコンベへの入り口


カタコンベはTodeskammer(死者の部屋)としても使われたため、遺体はここで墓地行きの馬車を待ち、12月6日の18時以前、もしくは12月7日の朝に、聖マルクス墓地に運ばれたとされています。


●もう一つの礼拝堂


ややこしいことに、シュテファン大聖堂にはもう一つ似た名前の礼拝堂があり、こちらで葬式が執り行われたという説もあります。


その礼拝堂はKreuzkapelle(十字架礼拝堂)。シュテファン大聖堂を入って左側の小部屋で、オイゲン公が埋葬されていることから、Prinz Eugen Kapelleとも呼ばれています。


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Kreuzkapelle入り口


先ほど登場した、シュテファン大聖堂左側外にあるのが、Kruzifixkapelle(磔刑礼拝堂)に対し、こちらはKreuzkapelle(十字架礼拝堂)。ドイツ語話者やカトリック信者にとっては、取り違えても不思議ではありません。また、葬式を外で執り行うという感覚もピンときませんね。


しかし、1791年の時点で、Einsegnung(聖別の儀式)を教会内で行う習慣はなく、許可もされていませんでしたので、個人的には、このKreuzkapelleでの葬式は、Kruzifixkapelleとの取り違いではないかと考えています。


(実際、シュテファン大聖堂が発行している公式ガイドブックでは、KruzifixkapelleのところにもKreuzkapelleと書かれていますし、シュテファン大聖堂の公式サイトでは、Kreuzkapelleは、別名のPrinz Eugen Kapelleと記されています。また、さまざまなサイトで、両者の取り違いが見受けられます。シュテファン大聖堂入って左のKruzifixkapelleと書かれていたり、KapistrankanzelのそばのKreuzkapelleと書かれていたり。。なので、おそらく歴史的にこの二つは名前が似ていることから、取り違いされやすいのではないかと思います)


また、屋内のKreuzkapelleで葬式をした場合、Einsegung「聖別の儀式」は教会の入り口で先に済まさなければならず、カタコンベに下すBeisetzungも、カタコンベの入り口とつながっているKruzifixkapelleに出なくてはなりません。


KruzifixkapelleとKreuzkapelleを行き来して、両方を使用した可能性も無きにしも非ずですが、少なくとも、重要な二つの儀式は、Kruzifixkapelleで行ったと考えるのが自然でしょう。


●聖マルクス墓地への道行き


葬式自体は12月6日であったと、教会の記録に残っていますが、1790年の「衛生法」により、死後48時間経ってから埋葬を認められたので、埋葬自体は12月7日の可能性が高いでしょう。


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聖マルクス墓地のモーツァルト記念碑「嘆きの天使」


気象記録によると、12月6日は穏やかな天気、12月7日は嵐だったとされています。すでに葬式の最後の「カタコンベに下す」Beisetzungの儀式で、遺族の気持ち的には埋葬が済んでいるわけですので、わざわざ翌日の朝嵐の中、墓地行の馬車に付き添うことが必要と考えた人は少なかったかもしれません。


そもそも、聖マルクス墓地は徒歩で付き添うには遠すぎるので、シュテファン大聖堂からSchulerstrasseを通り、Stubentorの門付き添って、最後のお別れをした人たちが、何人かいただけだったはずです。


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モーツァルトが住んだSchulerstrasseの前を葬列は進んだ。


この、大聖堂からStubentorの門まで付き添った人にも諸説あり、コンスタンツェのほかに、ファン・スヴィーテン、サリエリ、ジュスマイヤー、Roser, Orslerが付き添ったとしているのは、信憑性の低いJosef Deinerの手記ですので、実際何人が付き添ったのかはわかりません。


●まとめ


というわけで、モーツァルトの葬式について調べてみました。


シュテファン大聖堂のことについてかなり詳しく調べなければわからなかったのと、モーツァルトの死や墓の謎について触れている記事は多いのに、実際の葬式の場所や、参列者について書かれた文献が少なかったり、ぼかしてあったりで、調べるのにかなり苦労しました。新説も時々出ているようですので、注目していきたいと思います。


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