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オーストリアの非公式の国歌と言われる、ラインハルト・フェンドリッヒ作詞作曲、「アイ・アム・フロム・オーストリア」の歌詞を訳してみました。

 

オーストリア人の中では、国家の次に重要な曲が「美しき青きドナウ」で、その次に大事なのがこの曲です。

 

フェンドリッヒの他の曲と同様、この曲も歌詞はウィーン弁で書かれているので、普通のドイツ語を知っているだけでは、読み解くことはできません。だから、この歌詞を翻訳できるようになるまで、記事にするのはずっと待っていたという経緯があります。

 

私は歌詞の意味を知って以来、この曲を聞くと自然に涙が流れてきてしまいます。そんな曲は、Udo JuergensのIch war noch niemals in New Yorkとこの曲だけです。

 

Ich war noch niemals in NYはこちらで以前和訳しましたので、ご覧ください。私の大好きな二曲が、どちらもミュージカル化され、曲名が作品名になっているのも感慨深いものです。

 

●翻訳の種類

 

歌詞は、Fendrichの公式サイトから取ってきました。妙なドイツ語のスペリングに見えるのは、ウィーン弁をそのまま文字にしている歌っているからです。

 

まずは歌詞を見て、日本語のこなれた感を出さず、独語の流れのまま日本語に置き換えてみました。(翻訳A)

 

それから半年ほど置いて、気分が乗った時に、日本語として「詩」らしく聞こえるように書きなおしました。(翻訳B)

 

両方読み直してみると、翻訳Bの方がかっちりとまとまってはいるのですが、文字が少なく漢文っぽい感じで、ちょっとよそよそしい感じになっています。一応こちらを第一の訳としますが、何となくウィーン弁ののんべんだらりとした感じが出ていない気もします。

 

なので、敢えて日本語として未熟な翻訳Aも、その後に載せています。こちらの方が日本語は荒いですが、独語のロジックの流れや、感情の揺れのようなものは感じ取れるかもしれません。

 

というわけで、色々とこだわりはありますが、歌詞を読んで、感じてみてください。

 

●独語歌詞

 

Dei´ hohe Zeit ist lang vorüber
und auch die Höll´ hast hinter dir,
vom Ruhm und Glanz ist wenig über,
sag´ mir wer zieht noch den Hut vor dir,
außer mir.


I kenn´ die Leut´,
i kenn´ die Ratten,
die Dummheit,
die zum Himmel schreit,
i steh´ zu dir bei Licht und Schatten,
jederzeit.


Chorus:
Da kann ma´ machen was ma´ will,
da bin i her, da g´hör´ i hin,
da schmilzt das Eis von meiner Seel´
wie von an Gletscher im April.
Auch wenn wir´s schon vergessen hab´n,
i bin dei Apfel, du mein Stamm.
So wie dein Wasser talwärts rinnt,
unwiderstehlich und so hell,
fast wie die Tränen von an Kind,
wird auch mein Blut auf einmal schnell,
sag´ ich am End´ der Welt voll Stolz
und wenn ihr a wollt´s
auch ganz alla -
I am from Austria
I am from Austria


Es war´n die Störche oft zu beneiden,
heut´ flieg´ ich noch viel weiter fort,
i seh´ di´ meist nur von der Weiten,
wer kann versteh´n
wie weh das manchmal tut.


Chorus:
Da kann ma´ machen was ma´ will,
da bin i her, da g´hör´ i hin,
da schmilzt das Eis von meiner Seel´
wie von an Gletscher im April.
Auch wenn wir´s schon vergessen hab´n,
i bin dei Apfel, du mein Stamm.
So wie dein Wasser talwärts rinnt,
unwiderstehlich und so hell,
fast wie die Tränen von an Kind,
wird auch mein Blut auf einmal schnell,
sag´ ich am End´ der Welt voll Stolz
und wenn ihr a wollt´s
auch ganz alla -
I am from Austria
I am from Austria

 

I - Texte - Musik - Rainhard Fendrich

 

●日本語訳(翻訳B短いバージョン)

 

最高の時は過ぎ去り
地獄の時も既に過去のもの
栄華と輝きはないに等しく
敬意を表す者も他にいない
あなたに帽子を取るのは

私一人だけ

 

私は知っている
その民衆もドブネズミも
天に向かって叫ぶような
耐え難い愚かさも
光でも闇でも
私はあなたの側にいる

いつでも

 

(リフレイン)

動かすことのできない事実
ここは私の故郷。私の属するところ

4月の氷河のように
わが魂の氷が溶ける場所

 

たとえ忘れてしまったとしても
私はリンゴで、あなたはその幹だ


抑えがたく、清く
まるで子供の涙の様に
水が谷に向かって流れるように
そんなふうに一気に早く
私の血は流れるだろう

 

世界の終わるとき、誇りをもって

望むなら
たった一人になったとしても、

私は言う
アイ・アム・フロム・オーストリア

 

 

コウノトリを羨んだこともある
私はもっと遠くまで飛んできた
あなたを遠くから眺めるしかない
誰がわかってくれるだろうか
時折感じるそのつらさ(苦しみ)を

 

(リフレイン)

 

===

 

●日本語訳(翻訳A長いバージョン)

 

最高の時はずっと前に終わってしまった
そして、地獄の時期も過ぎ去った
名声と栄光はほとんど残っていない
誰があなたなんかに帽子を取って敬意を示すのか
私の他に

 

その人たちのことを知っている
そのドブネズミたちのことも知っている
耐えられないような(天に向かって叫びたくなるような)愚かさも。
光でも闇でも、私はお前の味方に付く
いつでも

 

(リフレイン)

もうどうすることもできない
私の故郷。私はそこに属している

私の魂の氷が溶ける
4月に氷河が溶けるように

 

もうみんな忘れてしまったとしても
私はリンゴで、お前はその幹だ


水が谷に向かって流れるように、
いやおうなしに、そして清く(きらきらと、明るく)
まるで子供の涙の様に
そんなふうに私の血は一気に早く流れる


世界の終わりに、誇りをもって
そして、たった一人になったとしても、
私は言う
アイ・アム・フロム・オーストリア

 

 

(遠い外国まで飛んでいく)コウノトリがうらやましいと思ったこともある。
しかし今私はもっと遠くまで飛んできてしまって、
あなたを遠くから眺めるしかない
それがどんなにつらい事か
誰がわかってくれるだろうか

 

(リフレイン)

 

●動画


私がその場にいて実際に聞いて、とても感動した、2007年のドナウインゼルフェストでのI am from Austriaです。



●感想とか

 

どちらの翻訳が好みでしたか?その日の気分によって、好みは変わる気もします。

 

オーストリア人は、コンサートでこの曲がかかると、国歌斉唱と同じように、胸に手を当てて歌うんです。その光景を見た時には感動しました。

 

ちょっと気になった点や、私なりの解釈をまとめておきます。

 

・呼び方

 

オーストリアに対する国の呼びかけとして、翻訳では「あなた」と訳していますが、独語ではDuと親しみを込めた呼び方をしています。「君」と訳してもなんだかしっくりこないので「あなた」にしていますが、敬語ではなくタメ口で、友人のように話している、という口調です。

 

・歴史の比喩

 

オーストリアの歴史を知って、この歌詞を読み解くと、比喩が何の事を示しているのかはすぐにわかります。

 

最高の時は過ぎ去り
地獄の時も既に過去のもの
栄華と輝きはないに等しく
敬意を表す者も他にいない

 

上記の「最高の時」や「栄華と輝き」はハプスブルク時代、地獄は第二次世界大戦のドイツ併合から敗戦、再独立までの年月。「敬意を表す者もいない」とは、アルプスの小国に成り下がって、「オーストリア?それどこ?」と言われるようになってしまった事を指します。

 

欧州随一の帝国が、今では名もなき小国。なのに「私」だけは、帽子を取って敬意を示す。コンサート会場では、この「私」はオーストリア人全員ですので、みんな帽子を取る仕草を無意識にしていました。

 

 

私は知っている
その民衆もドブネズミも
天に向かって叫ぶような
耐え難い愚かさも

 

上記の「ドブネズミ」とは、ズルく汚いヤツ、オーストリアの歴史上の人物事でしょうし(もしかしたら特定の近代史の人物かもしれませんしね)、「耐えがたき愚かさ」も、オーストリアの近代史を思い起こせば、ドイツ併合後に行われた、ホロコーストの類の事を示しているのでは、と想像できます。

 

もちろん比喩からの想像は、聴衆の自由ですので、私が近代史に限って想像を働かせてしまう以外の解釈もあるかもしれませんが、一番オーストリア人の頭に浮かびやすそうな歴史、ということで考えてみました。

 

・自然の比喩

 

抑えがたく、清く
まるで子供の涙の様に
水が谷に向かって流れるように
そんなふうに一気に早く
私の血は流れるだろう

 

また、リフレインで「谷」「川」「氷河」等の比喩が多用されますが、これはもちろんオーストリアのアルプスを意識していて、「リンゴ」はオーストリアの名産品です。

 

川の流れが「血」と重ねられている比喩がありますが、この川を「ドナウ河」と連想するか、アルプスの峰から流れる清流と思い浮かべるかは、その人の住んでいる場所によっても異なるかもしません。

 

氷河→雪解け水→川の連想ですとアルプスですが、「美しき青きドナウ」→Wiener Blut(ウィーン気質)とシュトラウスつながりとも考えることはできそうですね。子供の涙の様に、などの比喩もありますので、雪解け水の方がイメージは合いそうですが。

 

・コウノトリの比喩

 

そして、2番で意外な事実が明らかになります。この歌の「私」は、オーストリアに住んでいるわけではなく、国外在住のオーストリア人という設定だったのです。

 

「コウノトリ」もオーストリアの夏の風物詩で、ルストなどのオーストリア南部に6-8月の間だけ巣を作ります。オーストリア人であれば、コウノトリ=遠方から来た、という連想が働きます。

 

参考:毎年夏にコウノトリが飛来するルストに関する記事

 

そして、そのコウノトリよりも故郷から遠いところにいる「私」。愛する故郷を遠いところから眺めるしかない、故郷を想う気持ちは、海外在住者にとっても心を打つ一節となっています。

 

そして、だからこそ、この歌のタイトルが英語のI am from Austriaなんですね。海外在住(おそらく内容から言ってアメリカ?)のオーストリア人が、「何人ですか?」と聞かれて「アイ・アム・フロム・オーストリア」と答え、その知名度の低さに慣れてしまいつつ、こみ上げる故郷への思慕と尊敬を歌にしたもの、と考えることができるでしょう。

 

●まとめ

 

歴史を示唆する比喩の巧みさ、血と重なる自然の美しさ、故郷を外から見た時の思慕の念、唐突に挟まる英語詞の謎解き。全てが重なりあい、意味を成し、独特のアクセントで歌い上げることで強調される感情の波。

 

どこの国にいても、自分の「幹」になる国があり、その国の歴史も自然も愛し、自分の「ことば」がある。

 

オーストリア人の心にぐっと響く歌というだけでなく、海外在住者が生まれ育った国を思い出す気持ちも重ね合わされ、国境を越えて多くの人の心に訴えるのではないかと感じました。

 

フェンドリッヒには、他にもオーストリア愛、ウィーン愛に満ちた歌が沢山あります。もし興味を持たれたら、他の歌も聞いてみてくださいね。

 

ラインハルト・フェンドリッヒ ベストアルバムCD "So Weit So Gut"

 

アイ・アム・フロム・オーストリア ウィーン版キャストアルバム<2枚組みCD>

 

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