それでは、ドン・カミッロ&ペッポーネのエピソード解説行きます。

 

過去のレポや登場人物解説は、ドン・カミッロ&ペッポーネDon Camillo & Peppone  カテゴリからどうぞ。

 

●エピソード箇条書き

 

ドンカミッロのストーリー解説のリクエストがあったんだが、時系列より、エピソードごとの方がいいかなぁ。けど、エピソードも複雑に絡み合ってるから、うまく説明できるかなあ。

 

まず、手始めにエピソードを書き出してみる。

 

・レーニンの洗礼式

・ノンノと先生と魂

・落書きとマニフェストと葉巻

・Mein DorfとHeimat

・若者のラブストーリーと昔の恋

・資本家と労働者の対立

・十字架行列と雨と悔い改め

・埋蔵金と教会の塔

・市長のテスト

・神父と市長の確執

・牛とスト

 

こんな感じかなー。 

 

ドンカミッロのエピソードって、それぞれ複雑に絡み合ってるから、他との絡みが少ないものから始めようか。ぼちぼち行きます。

 

●レーニンの洗礼式

 

物語序盤で、神父と市長が初めてぶつかるエピソード。市長に子供が生まれ、無神論者の共産主義者なのに、妻の意向でイヤイヤ神父に洗礼式をやってもらうことに。洗礼名にレーニンが含まれることに怒った神父は、市長と殴り合いの喧嘩をする(教会からわざわざ出て舞台袖でw)

 

結局神父が勝ち、レーニンは洗礼名から削ることになるが、最終的な命名の時は、リベロ・レーニン・カミッロとなる。驚く市長に、「カミッロがあればレーニンも悪さできまい」とのたまう神父w ハレルヤコーラスw

 

●ノンノと魂

 

一旦死にかけて蘇り、美人先生に惚れるノンノ(80すぎの老人w)。ノンノはカトリック、先生は共産主義者で無神論者。ノンノは先生の魂を1万リラで買い取るという。魂の存在を信じない先生は、ないものに大金を払うなんてと驚くが、ただでお金を貰えるのまいっか、とサインする。

 

その後もラブラブアピールを続ける健気でかわいいノンノに、先生も悪い気はしない。二度目にノンノが死から蘇った理由は、先生に魂の契約書を返すのを忘れていたから。ここで先生に紙を返し、「返金はいらないよ」っていうノンノに、先生は思わずキス。ノンノは蘇り、先生とダンスを踊る。

 

このエピソードは、魂の存在を信じない人にとっても、その魂を売り買いされたりしたら、存在を意識してしまう。存在を意識した瞬間、見えてなかった恋愛感情も認識したって感じかな。ノンノはアホっぽく見えてインテリ資本家ご隠居なので、実はなかなか釣り合ってるのかも。お幸せに!

 

●落書きとマニフェストと葉巻

 

洗礼式のエピソードの後も、神父は市長が気に入らない。夜の闇に紛れて、コミュニストのポスターにESEL(ロバ)と落書きする。落書きに起こった市長は、犯人を罰するマニフェスト(声明)を出すが、学がないため恥ずかしいスペルミスだらけ。

 

市長は神父が犯人とは知らず、スペルミスを直してもらうよう頼みに行くが、神父は直したふりだけして、お礼のハバナの葉巻をせしめる。キリストに怒られるが、「これは教会のものではなくプライベートのもの」と言って、こっそり楽しもうと隠しておく。

 

こんな不正な手段で入手した煙草だが、結局洪水エピの後でキリストに嘘はダメだと叱られ、悔い改めたことの証拠として、半泣きで葉巻を破壊する。その後ストを止めたあとで、教会前で吸う葉巻(たぶん新しいのをもらった)の旨さは格別。


●Mein DorfとHeimat

 

神父のソロMein Dorf(直訳「わが村」別名「36の家と170の魂」)は、この作品碧玉のソロ。多分この作品を代表する曲を選べと言われたら、私ならこれを選ぶ。喧嘩っ早くて世俗的な神父だが、この曲では半分神を代弁しているようにも思える。

 

要約したら、「36軒の家しかない小さな村だが、全ての人を愛している」ってだけなんだけど、なんだか人類愛みたいな歌。まだドンカミッロ見るか決めかねてた時に、何かのコンサートでこの曲を聞いて、絶対見たい!って思ったの思い出した。クンツェ氏の傑作の一つだと思う。

 

対するHeimat(故郷)は、市長のソロ。明るいテンポで村人が楽しく踊る。「故郷はただの場所ではないし、ただの言葉でもない」と、故郷の大切さを歌った歌。注目すべきは、ものすごく簡単な言葉と単純な歌詞であること。小学生でもわかるし、メロディも一度聞いたら忘れられない。楽しくて、わかりやすくて、覚えやすい。

 

けどね、Heimatと言う単語は、今のオーストリアでは気を付けるべき言葉なんだよ。。極右自由党が選挙ポスターにHeimatって使いまくってるんだよ。。それも、極右は労働者や低学歴の若者向けに平易な言葉でメッセージを送っている。労働者をターゲットにしたポピュリストと言う観点から言うと、すごく重なる。

 

そういう意味では、このHeimatと言う曲は、とても楽しくていい曲なのに、背景を考えるとぞっとして鳥肌が立ちそうになる、二重の意味で恐ろしい曲。こんな明るい曲に、こんなメッセージを込められるクンツェ氏が恐ろしい。。

 

●若者のラブストーリーと昔の恋

 

この話には、明らかにロミジュリを意識したような資本家の娘と労働者の息子のカップルが登場するわけですが、他の登場人物が脇役に至るまですごくキャラが濃くて目立つのに、この二人は何となく影が薄い。これは何となく、わざとな気がする。多分クロシュ、やろうと思えばもっと濃い演技もできるはずだけど、わざとステレオタイプに抑えてるような気がする。ジーナもそうで、誰がやっても一緒のような、予想がつく演技。

 

多分この二人は、記号なんだと思う。他の人のキャラの立ちっぷりに対して、この二人は性格より「ロミジュリを示唆する」と言う役割が重要で、性格はあまり重要じゃないんだな。ここを淡泊に描くことで、神父や市長やノンノや先生のキャラがくっきり浮かび上がるし、更に、老ジーナの人柄がじんわり染み渡る。多分、平凡なロミジュリ的恋人に対して、感情のほとばしりを見せる老婆を対置することで、老ジーナの気持ちにみんなが共感できるように作ってあるんだろうな。

 

だって、この二人のラブソング聞いてても、親同士が反対する恋かわいそう、って泣けないもの。せいぜい「はいはいロミジュリ展開ねw」くらい。逆に、老ジーナが二人を遠くから見守ってたり、マリオリーノをすり抜けて何とも言えない悲しみと諦めの表情を見せたり、そのくせジーナを応援するようなしぐさを見せたり、そっちばっかりオペラグラスで追っちゃう。

 

物語は神父と市長が主人公で進んでいくけど、語り手の老ジーナの中では、この二人は時代の背景みたいなもので、主人公は若い恋人たちなんだ。こう考えると、客席が見ている視点と、老ジーナの視点がずれていて、同じ話を二つの視点から見ているような不思議な気分がする。

 

●資本家と労働者の対立

 

資本家代表がジーナの父親Filotti、労働者代表がマリオリーノの父親Bursco。この二人は隣同士だが、Filottiが500頭以上の乳牛を飼い、労働者を大量にこき使っていることに、皆腹を立てている。神父曰く「お前のような人がいるから、コミュニストが生まれるんだ」

 

労働者を搾取する資本家がいなければ、コミュニストも生まれなかったわけで、コミュニストの本当の敵は資本家で、教会はとばっちりを受けていつも神父は割を食っている。本当は弱者の味方なのに、誰も助けを求めに来てくれない。ジレンマだなー。

 

(続きますー)

 

 

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