2016-12-13 16:45 | カテゴリ:エリザベート(シシィ)の歴史

表題のニュースが新聞の日曜版の雑誌に載ったのは、10月半ばのこと。見つけて大興奮でツイートしたんですが、その後ブログ記事にしていなかったので、遅ればせながら記録のために記事にしておきますねー。

 

===10月16日のツイートまとめ===

 

本日のシシィスクープ。未発見のシシィの写真がイタリアで見つかり、ファンの手でウィーンのシシィ博物館に送られてきた。写真に撮られることを嫌ったシシィの数少ない写真。水兵さんと一緒に写ってるという事実も衝撃的。右端で横向いてるのがシシィ(拡大有り)

 

 

シシィの左でしゃがんでる女性が、姉のヘレネであることから、彼女がシシィをコルフ島に訪れた1861年と特定された。シシィ博物館の手にかかれば、撮影された場所と年を特定するのはカンタン!。この時期のシシィに関する記録が少ないことからも貴重な資料。

 

家族写真すら撮られることを嫌ったシシィが、水兵と写真に写っているという事実がスキャンダラスとも言われている。色々な意味でシシィの知られざる側面を切り取った貴重な資料だ。

 

===

 

これをまとめてみて気がついたけど、シシィってギリシャで肩にイカリのタトゥー入れたんだよね。これって水兵さんと何か関係あるのかな?

 

ちなみにシシィが1861年にコルフに行ったのは、シシィ24歳、ルドルフが3歳の時。咳の発作が止まらず、転地療法でその一年前にマデイラで6ヶ月過ごしたが、ウィーンに戻ると同時にまた発症。すぐにまたコルフへ出発し、4ヶ月過ごした。

 

ヘレネは故郷バイエルンで1859年に娘を出産して、子供が2歳のときにコルフまで妹を訪ねて行き、帰りにウィーンに立ち寄って皇帝に病状を報告している。その1年後に息子を出産。

 

なんだか二人共、子供が小さいのに長距離の旅行ってすごいタフだな。。一応転地療法なわけだけど、当時の旅行なんだから、移動だけでもヘトヘトになりそう。。

 

この1861年は、ウィーンを離れていたこともあり、シシィの記録が少なく、空白の年と言われている。しかし、このコルフ滞在のあとでウィーンに戻ったシシィは、急に自信に溢れた女性に生まれ変わっていた。可愛らしく幼稚なイメージから、才色兼備な女性へとイメチェンしたのも、このコルフ滞在を契機にしている。

 

例えば、当時の宮廷ではあり得なかったことだが、夫婦の寝室を分けるよう要求したのもこの時期。そして1865年にはあの有名な「最後通牒」を皇帝に突きつけ、その次の年からはハンガリーを好み、政治にも感心を示すようになった。

 

というわけで、このコルフ滞在は、シシィの人生にとって何らかの大きな転機になった時期かもしれない。そんな重要な資料になりうる写真が、今回発見されたということになる。

 


エリザベート ウィーン版2012年新キャストCD


エリザベートウィーン版2枚組CD


エリザベートウィーン版DVD

 

応援クリック ありがとうございます!

 

関連記事
秘密

トラックバックURL
→http://wienok.blog119.fc2.com/tb.php/2024-f95c5678