2016-11-21 16:45 | カテゴリ:シカネーダー Schikaneder

「シカネーダー」の脚本について色々考えてたんだけど、「女性の解放(エマンシペーション)」を軸に考えてみたら、クンツェ氏脚本作品とシュトルッペック氏(S氏)脚本作品の根本的な違いがちょっと見えてきた。めっちゃ個人的意見だけど、ちょっとまとめておく。

 

クンツェ氏は人間を哲学的に、歴史的に観察し、「女性の解放」や「強い女性」「女性の真の自由」をテーマにしたときに、どの歴史的人物や物語の人物を取り上げるか、とても慎重に選択してる。エリザベートは最初だったから意識したかわからないけど、レベッカなんてまさにこのテーマど真ん中。

 

モーツァルト!は女性が主人公ではないけれど、一人の男性が音楽の天才的な才能や父親、上司(コロレド)からどうやって自由になれるかを模索する話。クンツェ氏の中にはこの「束縛からの解放」が大きなテーマであることは明らか。

 

実際女性の解放をテーマにしたら、もちろんミュージカルの観客は女性が多いので、人気が出る。それは多分エリザベートの成功で学んだことなんじゃないかな。それに味を占めたのがS氏で、強い女性、女性の解放っぽいテーマでニューヨークに行きたい!!、貴婦人の訪問、シカネーダーと3作品の脚本を書いた。

 

NYは底抜けコメディ&ジュークボックスミュージカルで、脚本の欠点は目につきにくいけど、ラストは「女性の解放」と言う点では時代遅れ。今までバリバリキャリア積んでた女性が、ついこないだ会ったばかりの男性に向かって「キャリアなんてあなたがいないと意味がない」と宣言する。旧時代的!

 

そして、「貴婦人の訪問」。ピア様をキャスティングして「強い女性」を描きたかったんでしょ?なのにその強い女性は復讐と自分の過去にがんじがらめにされていて、決して自由ではない。強さや威厳は表面だけで、中身は愛していると言いながら復讐をとげる鬼女。女性としてあまり共感できないよね。。

 

更に「シカネーダー」。夫に浮気されて自分も浮気に走る辺りは、共感できなくもない(よくあるパターン過ぎて、わざわざミュージカル化する意味がよくわからないけど)。けどラスト、夫の浮気性大して治ってないのに、家族になろうという一言で、許してモトサヤ。大切な人の思い出は?

 

おまけに、エレオノレは才能ある劇場プロデューサーと言う設定だけど、結局愛人とやってた劇場は人気なかったんじゃん。夫とコンビ組んで初めて劇団の人気が出るんだから、それは彼女の才能じゃなくて夫シカネーダー本人の才能じゃないの?

 

エレオノレはシカネーダーのブレーンとして有能だったかもしれないけど、彼女一人で夫から自由になって、彼女自身の力で人気が出たところは全く脚本にないよね?それじゃ、強い女性も女性の解放も描けてないよね。。

 

NYでもシカネーダーでも、一見強そうなキャリアウーマンを描きながら、結局愛が一番大事宣言をして男(夫)の元に戻っておしまい。キャリアは?才能は?自由になりたいって言ってたけど、アナタそれでホントの自由なの?モトサヤはいいけど、そこであなたの今までのキャリアは確保できるの?

 

つまり、S氏脚本作品は、愛の名のもとに女性は男に縛られてるように私には見えるわけですよ。NYでは「星をつかもうとしたが、あなた無しでは意味のない星だった」、貴婦人では「愛は終わらない」、シカネーダーでは「愛は勝つ」とか言いつつ、女は男に束縛され、全く自由に羽搏けてない。

 

逆にエリザベートやレベッカを見てると、シシィは自分の意思で死を受け入れ、自分の選択でトートの腕に飛び込む。男は女性の自由を、女性本人と同じくらい受け入れ尊重している。

 

レベッカの「私」は気弱になるマキシムと対照的に強くなり、夫をレベッカという束縛から解放し、自らも身分や年の差などのしがらみから解放され、夫と対等以上の妻となる。

 

エリザベートやレベッカにある女性の強さや、選択の自由さが、結果的に男性が女性のありのままを受け入れ尊重することにつながり、女性は自らの強さで自由を、そして自分の希望する形での愛(自由のある愛)をつかみ取る。

 

S氏作品のリサやクレアやエレオノレは、元々自由で強い女性だったはずが、愛を誓って男性に縛られ、家庭に収まってしまったり、復讐の鬼になったりする。せっかくの強さ、財力、自由が勿体ないことになってて、男ってそれだけの価値があるのか?と思わせることになっちゃうんだよね。

 

S氏脚本では、「愛」は女性を男性に束縛するもの。クンツェ氏作品では「愛」は女性が男性を自由意思で受け入れ、同時に男性から尊敬を勝ち取るもの。S氏脚本では「愛」がハッピーエンドだけど、クンツェ氏脚本では「愛」の上に成り立つ「自由」や「尊敬」がハッピーエンド。

 

ミュージカルを見に行く世代の女性は、ある程度財力もあって、趣味に割ける時間もある、自由で強い女性。その人たちに、さあ、家庭が一番、仕事より愛する男が大事、裏切られたら復讐だ、ってアピールされても、ピンと来ないよ。。

 

だからクンツェ氏作品を見たらスゴイ解放感があるのに、S氏作品を見たら罪悪感があるのかな。。家庭に入って夫を愛する女性が一番幸せで、仕事を頑張る女性を否定された気がして、ムカッとくるんだよね。。

 

ああ、S氏三作品見て、こんな解釈が湧き上がってきた。もうこれで論文書けそうじゃんw私も仕事と家庭と夫との間で色々と揺れ動いてる中、劇場に行ってまで、家庭が大事!なんて説教されても、そんなこと言われなくてもわかっとるわ!となるわけでw(爆)仕事も頑張りたいから悩んでるんじゃん!

 

ちょっと補足だけど、シカネーダーの歌詞の独語訳はクンツェ氏です。この部分のドイツ語は色々と素晴らしくて、まさか英語詞が元々あったとは思えない秀逸さなんですが(韻とか言葉の聞こえやすさとか!)、脚本とセリフはS氏で、歌の歌詞の英語版は作曲家のSchwarz氏。この二人が何度も会談を重ねて話の筋を作っていって、話の筋やキャラ付け、結末を最終的に決定したのは、S氏です。

 

あと、シカネーダー見てもう一個S氏について思った事。もしかしてS氏、恐れ多くもシカネーダーと自分を重ねちゃったりしてません?役者で脚本家でプロデューサー、更にドイツからウィーンにやってきた劇場経営者とか、共通点多すぎて、普通に見てたらミューファンは気づくよ。。

 

彼は、自分が脚本を書いた作品については、VBWでの上演に限り、脚本料を取っていないそうです。ウィーン以外の公演では脚本料は発生しますので、基本海外に売ってなんぼ、ウィーンで上演する限りはタダ働きで脚本を書いているわけです。好きでもないとやってられませんよね。

 

まあ、彼はVBWのミュージカル部の総監督として、既に相当の給料をもらっているでしょうから、別に脚本料なんて出なくてもいいや、逆に脚本家に巨額の製作料を払うより安上がりになっているから財政的にお得!と考えているのかもしれません。

 

けどね。。既に3作品、こういうパターンの女性像を描かれるとちょっと食傷気味。。NYは楽しくて大好きな作品だけど、ラストだけ首をかしげるし、貴婦人とシカネーダーはどちらかと言うと苦手だしね。。それも苦手な理由が、女性が最後幸せそうに見えないって言うことだから、結構それは致命的。

 

短期間でこういうパターンを何度もやられると、いくら脚本料を節約してくれているとは言っても、また最後女性は適当にごまかされて愛を高らかに歌って終わりか。。って思うわけですよ。。

 

それにシカネーダーのような正式な劇団付き脚本家という立場でもないのに、総監督の自分がタダで書くから、という理由でなし崩しにされてる気が。。タダより高いものはないという言葉もあるわけで。。

 

 

とまあ、S氏作品について個人的に思ってることをまとめてみました。貴婦人の頃から色々と思ってきたことで、三作品見てから意見を固めようと思って今まで考えを溜めてきたんですが、そろそろ文章にしておこうかな、と。。

 

もちろん私の一考察ですし、いろいろな意見もあると思います。けど、S氏作品を見るたびに、これクンツェ氏が書いたらどうなってただろう、クンツェ氏ならこのテーマや原作は選ばないだろうなー、なんて思ったりしています。

 

また、今後の作品(クンツェ氏がリーヴァイ氏と組まない新作Don Camillo und Peponne等)でも意見が変わってくるかもしれませんが、とりあえず現時点での私の考えということで、好き勝手書いてみました。

 

過去のシカネーダー関連記事はこちらから→シカネーダー Schikaneder

 

 


モーツァルト!ウィーン新演出版 全曲ライブCD<2枚組みCD>

 

モーツァルト!ウィーン新演出版 DVD

 

モーツァルト!ウィーン新演出版 ブルーレイ

 

応援クリック ありがとうございます!

 

関連記事
秘密

トラックバックURL
→http://wienok.blog119.fc2.com/tb.php/2019-468218cb