2016-09-21 08:07 | カテゴリ:シカネーダー Schikaneder

ウィーンミュージカル新作「シカネーダー」開幕に向けて色々とシカネーダーの史実について調べてみましたが(→シカネーダー カテゴリ)そういえばちゃんとした略歴みたいなのは作っていなかったので、まとめてみました。

 

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わかりやすくするため、シカネーダーの人生をなぞりながら、妻エレオノレの動きや、同時代のモーツァルトやベートーベン、主な劇団員なども並行して記述しています。

 

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シカネーダーの肖像画

 

<シカネーダーの人生 エレオノレとの馴れ初め~魔笛初演まで>

 

・1751年ドイツバイエルン州の貧しい召使いに生まれる。

 

・レーゲンスブルクの教会で歌ったことからSchopf(ドイツ)の劇団に入り、オペラ、笑劇、歌劇などを演じた。

 

・1777年にはミュンヘンでハムレットを演じ人気を博し、Joseph Moserの劇団に同い年のエレオノレと参加し、1777年26歳の時に結婚。翌年にはこの劇団を任される。(このころモーツァルトはパリへ旅行中)

 

・シカネーダーの浮気癖は、アウグスブルクの教会の婚外子の記録によって証明されている。二人の婚外子がいたが、どちらも母親は異なる。

 

・1780年劇団がザルツブルクに滞在していた頃、モーツァルト家と知り合う。モーツァルト家はシカネーダーのショーに良く通い、週末を共に過ごした。(1781年頃が「ちょっぴりオツムに」の歌のタイミング。シカネーダーはドイツから客演に来ていた程度なので、ザルツブルクでは無名で当然。)

 

・モーツァルトがイドメネオ公演のためにミュンヘンに発つ前に、シカネーダーのために曲を書く約束をする。

 

・1784年―85年にかけて、シカネーダーはウィーンに拠点を移し、皇帝に会うなどして人気を確実なものにし、モーツァルトやハイドンのオペラを劇団で演じた。貴族批判の作品を上演し、公演中止に追い込まれたことも。

 

・しかし皇帝ヨーゼフ二世に気に入られ、1785-86年にかけては皇帝御用達役者としてブルク劇場などで演じた。シカネーダーは由緒あるブルク劇場で演じる事に不満があった。今までは主役を演じていたのが、ブルク劇場では歌手止まりだった。

 

・このような人気の絶頂の中、1785年妻エレオノレが彼のもとを去り、Johann Friedelと共に旅劇団を作る。役者だったシカネーダーの兄もこちらに加わった。

 

・シカネーダーは皇帝にウィーン郊外に新しい劇場を建てるよう提案し、許可が下りたが、建設の目途は立っていなかった。その間シカネーダーは旅劇団を再び作り、アウグスブルクやレーゲンスブルクを旅した。

 

・1788年、Johann Friedlとエレオノレはウィーン郊外(現在の4区)のアウフ・デア・ヴィーデン劇場に劇団を落ち着けた。金持ちの息子だったJohann Friedlは、全財産と土地をエレオノレに残し、1798年に亡くなり、劇場は閉鎖される。

 

・これを機会にエレオノレはシカネーダーと和解し、パートナーを組むこととなる。この劇場はJoseph von Bauernfeld(モーツァルトのフリーメイソンの同士)に投資してもらっていた。

 

・この劇場をオペラ座にするため、過去の劇団からBenedikt Schack(後のタミーノ役)とFranz Xaver Gerl(レオポルト・モーツァルトの弟子とされ、後のサラストロ役)を呼び込む。妻の劇団からはJosepha Hofer(後の夜の女王で、コンスタンツェの姉)などを呼び込む。

 

・上記の三人は皆劇団員でありながら、モーツァルトの友人や仲間、親戚でもあり、後の魔笛で主要キャラを演じる重要人物。Benedikt SchankとFranz Xaver Gerlはモーツァルト死の前日のレクイエムの演奏時に付き添ったとされている。

 

それぞれの劇団員のルックスはこちらからどうぞ

「シカネーダー」ルックス検証③魔笛初演キャスト大集合

 

・「後宮からの誘拐」がレパートリー化し、モーツァルトとのコラボ作品も生まれた。この劇場は、フライング、トラップドア、雷、照明、滝や火などの演出が可能だった。

 

(魔笛初演に続きます)

 


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