2016-05-28 16:06 | カテゴリ:ミュージカル系雑談

舞台見て色々疑問があったので、軽くエビータの史実を調べてみました。

 

●エビータの史実

 

Evita_(foto)_cropped

 

エビータの旧姓は、エバ・ドゥアルテ。アルゼンチンの超田舎村出身で私生児。父は妻帯者の農場主で、母はこの人の愛人で5人も子供がいた。ふらっとブエノスアイレスに出てきたので(マガルディにくっついてきたわけではない)、もちろん高等教育は受けてない。

 

マガルディ的に言うと、エビータに出会ったと言われる年に故郷の村を訪れた記録はなく、エビータの出世とは関係ないと言われている。また、エビータがペロンと出会ったコンサートで歌っている場面があるが、当時既に亡くなっている。マガルディ自体は実在したが、エビータと関係ない可能性が高い。

 

エビータはモデル、B級映画女優等をしていたが、ラジオ番組に起用されるようになり生活が安定する。1944年ペロンにチャリティコンサートで出会い愛人に。翌年ペロンがクーデターで逮捕されるが、ラジオで訴えて解放され、ペロンと結婚、翌年ペロン大統領に。エビータ26歳、ペロンは24歳年上。

 

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その後大統領夫人として国政に介入し、自身の財団を設立。金持ちから巻きあげ、労働者階級にばらまく政策を行い、経済に悪影響を与えた。1947年レインボーツアー。ペロンが副大統領の地位を与えようとするが、子宮がんで断念。1952年、33歳で死去。

 

Peron_y_Eva_-_Acto_en_Plaza_de_Mayo_-17OCT1951

 

エビータの遺体はエンバーミング処理をされ飾られたが、イタリアで埋葬、16年後発掘されスペインへ。1976年になってアルゼンチンの実家の墓に埋葬。これは、ペロンがエビータの死後失脚しヨーロッパを転々としたことが理由。

 

●ペロンの史実とその死後

 

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フアン・ペロン

 

ペロンの史実。ペロンも私生児で軍人。エビータの死後3年で失脚し、スペインへ亡命。そこでナイトクラブ歌手のイザベルと結婚するが、1973年アルゼンチンに帰国し、ふたたび大統領になるが1年で病死。

 

エビータとペロンが死んで話が終わるかと思いきや、このペロンの後妻(3人目の妻)イザベルがまた政治的にすごかった。ペロンはエビータに続いてこの妻まで副大統領に据え、ペロンの死後妻が大統領に。それも世界初の女性大統領。

 

Isabelita_ícono

イザベリータ・ペロン

 

このイザベルは、最初はエビータ人気に乗って似た服を着たりしてたんだが、それもかなぐり捨て、かなり強硬な政治を行い反感を買って、クーデターで解任。その後スペインに亡命。国際逮捕状が発行され、スペインで逮捕されたりするが、保釈され、なんと今でも85歳で存命。

 

なんだか、エビータは過去の人とはいえ、ペロンの後妻が世界初女性大統領になって今でも存命とかちょっと感慨深い。エビータが病さえなければこうなってたのかも。しかしなぜいつも妻を副大統領にしたがるんだこの人はw本人は政治家としてイマイチだったかもしれないけど、妻を選ぶ才能はあったわけね

 

●チェの史実

 

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ちなみに、チェ・ゲバラはエビータの8歳年下。裕福な家庭に生まれ医学部卒。反ペロン。1948年でブエノスアイレスの大学に進学。在学中は旅ばっかりしてるし、エビータが1952年に亡くなっているので、エビータと直接会ったことはないと言われている(←映画のパンフに書いてあった)。

 

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1951年22歳の学生時代のチェ

 

●まとめ

 

というわけで、ざっと見ただけでも、結構面白い事実が色々わかりました。ここまでエビータが史実と逸脱しているとはね。。

 

第二次世界大戦前後の混乱期ンペロンを中心として二人のキャラの濃い女性がいたことだけでも印象的なのに、同時代にチェ・ゲバラまでいたとは、本当にすごい時代だったんだね。。

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