2016-02-24 16:35 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

  モーツァルトとメスマーが実際に会っていた場所を偶然訪れ、二人の関係が気になって調べてみました。もちろんミュージカルにメスマー博士の名前は出てきますしね。

 

ミュージカルでの出番については、後で詳しく検証しますので、今回は先に、史実でのモーツァルトとメスマーの親交について調べてみました。 

 

モーツァルト

 

FranzMesmer_thumb[2]_thumb

メスマー

 

 

メスマーは10代の頃のモーツァルトのパトロンでした。以下がわかっている史実です。

 

・12歳の頃のモーツァルトは、メスマーに依頼されてディヴェルティメンティとオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」(1768)を作曲した 。

 

「バスティアンとバスティエンヌ」初演はメスマー邸だったという話もある。(コンスタンツェの二番目の夫でモーツァルト研究家のニッセン氏は裏付けがないとしているが、多くの人が初演はメスマー邸だったと主張)

 

・1773年16歳のモーツァルトはザルツブルクからウィーンを2ヶ月ほど訪れたが、この時滞在期間中メスマーにとてもお世話になっている。

 

この滞在中、レオポルトやヴォルフガングはナンネールにほぼ3日に一階手紙を書いていますが、そのほとんどすべての手紙には、メスマーの名前が登場します。実際読んでみて、こんなにメスマーメスマー言っているとは驚きです。 (ソースBriefe und Aufzeichnungen←モーツァルテウムのモーツァルトの手紙データベース)

 

Landstrasseにあるメスマー邸で食事を一緒にしたり、メスマーの母親がなくなった話題を出したり、メスマーの患者さんの名前や、治療の道具のガラス器具の話をしたりしています。

 

 

・このウィーン滞在中の1773年8月18日に、ウィーンのメスマー邸の庭での大音楽会で演奏した。そのとき「ディヴェルティメント第7番ニ長調」(K.205)が演奏されたともいわれる。 (ソース:Mozart con grazia

 

letztς Posttag hab ich nicht geschriebς, dan wir hattς eine grosse Musik auf der Landstrasse im Garten.(1773/8/21の手紙)

 

「前回の手紙集配日に手紙を書かなかったのは、Landstrasse庭で大きな演奏会があったからです。」

 

・1773年9月22日にメスマーの居城Rothmuehleを訪れている。(城の入口に記載あり)

 

IMG_7708_thumb[1]

お城の入口。ひょろ撮影。

 

その日の父レオポルトからナンネールへの手紙

 

  Wien dς 22tς Septς:
                                                                                                                     1773.
Ich sehe vor, daß ich vor dem freÿtage odς gar vor dem Samstage nicht werde
abreisen könnς, dan heute sind wir endlich einmal um halbe 12 uhr Mittags
auf die Rottmühl gefahren, und abends nach 7 uhr wiedς zurückgekehrt.
Morgen wird es also ohnmöglich seÿn alles in Ordnung zu bringς: folglich werde
wohl am Samstage abreisen. Alle empfehlς sich! Ich weis eben nichts
andςs zu schreibς. Ich schreibe in Eÿl beÿ dem Jungς hς: v Messmer,
mit dessς frau Gemahlin wir auf dς Rottmühl warς.
Lebts demnach alle wohl! ich Eÿle um die Post nicht zu versäumς.
dies wird also mein letzter Brief seÿn. wir empfς: uns allς
gutς freundς und freundinς in und ausser dem Hause, kissς euch
viel 10000000 mahl u bin dein alter

Briefe und Aufzeichnungen 1773/9/22

 

Rothmuehle城での滞在は昼ごろから夕方7時ウィーン帰着となっていますので、宿泊したわけではなさそうです。また、手紙の後半ではメスマーの名前とその妻、城についても再び言及しています。

 

・メスマーはモーツァルトの肩こりの治療をしていた?(これは資料が見つかりませんでした。。)

 

・メスマーがあのmesmerizeの語源となった催眠療法や磁気療法に傾倒するのは1774年からで、当時はまだ一開業医だったっぽい。メスマーの妻が金持ち未亡人だったから、城に住んでパトロンになれた模様。

 

メスマーの動物磁気治療の様子。

 

ただし、レオポルトの手紙に、1773年に後のメスマーを有名にするグラス・ハーモニカという謎の楽器を演奏していたと書かれています。このグラス・ハーモニカをMiss Davisとレオポルトは呼んでいました。なので、後のメスマー療法のちょうど始まりの時期だったのでしょう。

 

 

・後にモーツァルトはオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(1790)で、磁石で治療するシーンを挿入し(作詞のダポンテに掛け合ってわざわざ入れてもらったとか)、メスマーの治療法に言及した。

 

登場シーンは1幕のラスト。

 

あらすじ(Wikipedia)によると、こんな感じ。

 

姉妹は庭で恋人を想う二重唱を歌う。そこへ変装したフェルランドとグリエルモが現れ、絶望のあまり毒を飲んだふりをする。姉妹は驚き、変装した二人に同情しかかる。医者に変装したデスピーナが現れ、「磁気療法」を二人にほどこす。デスピーナは、のた打ち回る二人を支えるように姉妹に命ずる。意識を取り戻した二人は姉妹にキスを迫り、混乱のうちに幕を閉じる。

 

コシは、男二人と女二人の恋の駆け引きの楽しく軽い話なので、男二人が、磁気治療医者に変装した別の女に、ニセの毒薬効果を偽の磁気治療で直してもらい、2カップル登場してめでたしめでたしってわけですねw.

 

該当の歌詞:

In poch'ore, lo vedrete,
Per virtù del magnetismo
Finirà quel parossismo,
Torneranno al primo umor.

 

磁気治療のおかげで発作が終わり

元の楽しい様子に戻ります」

 

2幕にもこんな歌詞が登場します。

Ed al magnetico signor dottore
Rendo l'onore
Che meritò!

 

セニョール・磁気ドクター

あなたに名誉を与えます。」

 

 

というわけで、12歳の時にオペラ作曲を依頼、自宅でオペラの初演(たぶん)、16歳の時に自宅で大演奏会、さらに、ウィーンから結構離れた田舎の居城までわざわざ訪問、極めつけは、後々人気作品で磁気療法を取り上げてネタにするなど、この二人の関係はかなり深かったと言えるでしょう。

 

レオポルトからナンネールへの手紙にも、メスマーの名前は多く登場しますし、コシでおちょくったとはいえ、モーツァルトの10代を支えてくれた恩人なわけですから、メスマーに感謝していたのではないでしょうか

 

(次回は、ミュージカルの中に出てくるメスマーを検証してみます)

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