2016-03-03 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトとメスマー博士の関係について、モーツァルト!のミュージカルから史実を検証しています。

 

モーツァルト!に関する記事は、モーツァルト!カテゴリからどうぞ。

 

今回は、プロローグでメスマーとコンスタンツェが、モーツァルトの遺体を探しに行く、サンクトマルクス墓地について調べてみました。

 

・メスマはコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ったのか?

 

サンクト・マルクス墓地のモーツァルトが埋められたっぽい場所に建てられた「嘆きの天使」

 

さて、最初に戻って、メスマーは本当にコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ったんでしょうか?そして、モーツァルトの遺体を発見したんでしょうか?

 

色々調べてみましたが、これを証明する史実は出てきませんでした。

 

メスマーはウィーンで活躍した後パリに行きましたが、その後人気が落ち、フランス、ウィーン、スイスとウロウロします。最後の20年間に何をしていたかはあまりよくわかっていません。

 

ということは、コンスタンツェと一緒にサンクトマルクス墓地にいた1809年のメスマーは、40年前のモーツァルトのパトロンだった頃のイケイケハイテク医者ではもうなかったということです

 

モーツァルト部分以外のサンクト・マルクス墓地の奥の方はこんな感じ。時間が止まったようで雰囲気があります。

 

・メスマーの住処

 

それでは、このあたりのメスマーの動向を追ってみましょう。1801年までパリにいた事が確認されていて、1809年から1812年にはスイスにいたことがわかっています。物理的に1809年にウィーンにいるのは結構無駄な移動が発生する気がしますね。

 

・メスマーのウィーン追放

 

更に、彼のウィーン訪問を難しくする裏付けがあります。1777年の時点でメスマーは一度目のウィーン追放を命じられています。そしてパリで一通り活躍するわけですね。

 

そして、1793年9月、彼は離婚した妻の遺産整理のため、再びこっそりウィーンに舞い戻ります。しかし、この時スパイに付けられていました。11月に逮捕され、12月にはウィーンを再追放されました。

 

二回も追放されているのに(おまけにスパイまでついてるのに)、1809年にまた戻ってくるって無理がないですか?それも、わざわざフランスかスイスから、モーツァルトの遺体を探しに、このタイミングでウィーンに戻ってくるでしょうか?なんとなく無理な気もしますが。。

 

というわけで、ウィーンから2度も追放されたメスマーがコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ってモーツァルトの遺体を探した、という話は、史実っぽくない気がします。

 

 

●メスマーはモーツァルトマニア?

 

メスマーが本当にモーツァルトの墓を探しだして遺体を掘り出そうとしたとして、どうしてそんなものが欲しかったんでしょう?ミュージカルでは、メスマーは脳みそマニアだったようですし、もしかしたら昔パトロンを務めた神童の大ファンで、モーツァルトマニアだったのかもしれません。

 

しかし、メスマーが脳みそマニアという史実も、モーツァルトマニアという史実も、残念ながら見つかりませんでした。なんでこんなところで脳内で盛り上がって、ミュージカルまで始めてしまったのか、ちょっとわかりませんね。。

 

モーツァルトマニアと言えば、コンスタンツェと、その再婚夫のニッセンなので(モーツァルトの作品や遺稿を整理したり、ニッセンは伝記を書いたりした)、この二人こそモーツァルトの墓を必死で探したのでは?という気もするけど。

 

コンスタンツェの絵

 

10年位前に新発見されて大騒ぎになった、晩年のコンスタンツェの写真

 

コンスタンツェの二番目の夫ニッセン

 

 

(次回は、コロレドとメスマーの関係に迫ってみます)

 

モーツァルト!ウィーン新演出版 全曲ライブCD<2枚組みCD>

 

モーツァルト! 楽譜(ソングブック)

 

モーツァルト!ウィーン公演 チケット代行

 

応援クリック ありがとうございます!

 

関連記事
秘密

トラックバックURL
→http://wienok.blog119.fc2.com/tb.php/1915-176f31da