2016-01-12 16:15 | カテゴリ:モーツァルト!Mozart!

前回の記事で、ウィーン新演出版モーツァルト!で新曲として加えられた、コロレドVSヴォルフガングの対決ソングDer einfache Weg(安易な道)の全訳をしてみましたが、今回はその解釈として「安易な道」とは何か?を考えてみました。

 

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<「安易な道」とは?>

 

この歌で最も重要なのが、「安易な道」の解釈ですね。一回目のサビではコロレドがソロで歌い、二回目にはコロレドとヴォルフガング二人で歌います。コロレドにとっての安易な道とは、そしてヴォルフガングにとっての安易な道とは何なんでしょうか?

 

3度観劇した後で歌詞を書き起こしてみて、やっとわかりました。

 

コロレドにとっての安易な(間違った)道:魔笛のような大衆のための曲を書くこと。

コロレドにとっての困難な(正しい)道:神や教会のための音楽を作ること。

 

コロレドにとっては、教会の音楽(=真の宇宙)こそが崇高で厳粛な道で、この道こそが真実や神に近づく「険しい道」なのだと言えます。だから、モーツァルトが書いた魔笛のような民衆のための娯楽の歌は、「安易な道」であるゆえに、真実や神からほど遠いと考え、そこから彼を救い出すことが、神や教会のためになると考えています。


特にこの時代は、音楽は、天文学や数学と同じく、神が作った世界を理解するための学問という位置づけでした。音楽も天文学も数学も、人知を超えた法則が根底に流れていて、この法則こそ神の叡智であると考えられていました。


神の叡智である法則(音階や和音)に基づいて作曲し、美しい作品を作ることが出来れば、神を理解し、一歩近づいた、と考えられていました。そのため、教会音楽は、単に耳に心地よい音楽を演奏するだけでなく、神の法則を理解し、感謝した上で、その法則に基づいて作られた「美」で神を賛美する、という特別なジャンルであったといえます。


だからこそコロレドは、優れた作曲家であるモーツァルトをほとんど神と同化し、自分より神に近い人物(だから手元に置きたい)と考えていました。この辺りは「神よなぜ許される」の「今私を馬鹿にした奴が、完璧さ(Vollkommenheit)の域に達した」の歌詞ではっきり現れていますね。


もちろんモーツァルトにとっての音楽は、神と関係ない、自分の才能(僕こそ音楽)なので、当時知識人の間では当たり前だった、コロレドの考えと完全に食い違います。


モーツァルトは「自分のゴールは町の人たちが口ずさむ歌を作ることだ」(音楽と神は無関係だ)と反論しているので、二人の芸術論は完全に食い違っていると言えます。

 

モーツァルトにとっての安易な(間違った)道:コロレドの部下になり、雇われ作曲家になること。

モーツァルトにとっての困難な(正しい)道:フリーランスで不安定な生活ながら、自由を手に入れること。

 

当時作曲家はパトロンについて、注文された曲を書くのが出世の道でした。逆にモーツァルトの様にフリーランスで仕事を取るのは至難の業で、モーツァルト自身も資金繰りに苦しんでいました。

 

やとわれて安定収入を得る代わりに、パトロンの注文通りの曲を書くか、不安定なフリーランスになる代わりに、自由に作曲をするか、この二択を迫られた時、自由を追い求めたヴォルフガングは、もちろん後者を選びます。それが結局彼の命を削ることになりますし、いばらの道であっても、自由のために困難な道を行くのが彼の選択でした。

 

 

こちらがコロレドパートを歌うマーク・ザイベルト。

©VBW / Deen van Meer 2015

©VBW / Deen van Meer 2015

 

こちらがヴォルフガングパートを歌うウード・カイパース。

 

一回目のサビをコロレドソロで、二回目のサビを二人で歌わせることで、この「間違った安易な道」「正しい困難な道」の解釈が二人で食い違っていることを表現するのは、さすがとしか言いようがありません。こんな二人が意見が一致するわけがないですよね。

 

 

参考記事:

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