2015-11-02 07:00 | カテゴリ:クリムトの歴史

映画「黄金のアデーレ」公開を機に、クリムトの名画「アデーレ」がアメリカに行ってしまった経緯とその後について、二回に渡って記事にしましたが、そういえば・・と思い返し、当時書いた日記を掘り返してみました。

 

アデーレの返却が決まった時、オーストリアから運び出された時、売却された時と、2006年に三回の関連日記を書いています。前の二つの記事のように、きっちり調べて事実を書いたわけではないですが、当時の私やオーストリア人の感情は、このままの文章の方が伝わるのではないかなー、と思い、引用しておきます。

 

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2006年03月13日「チャオ・アデーレ」

 

 

なんと、オーストリア所有のクリムトの絵が5枚、どっかにいっちゃいます!!!


このニュース、12月から2月ごろまでウィーン中大騒ぎだったんだけど、日記を書きそびれてたのです。


実は、去年末、仲介裁判所(って何か聞かないでねw)の決定によると、戦争中にユダヤ人からナチスが取り上げ、そのままオーストリアのものになっていたクリムト5枚を持ち主のユダヤ人(マリア何とかという70歳くらいのおばあさん)に返却する命令が出たそう。(余計なことせんでいいのに!とちょっと思った)


1月ごろには、オーストリアがこの5枚を買い戻すならオーストリアの所有になるという話だったんだけど、オーストリアはお金を出さなかったので(何十億もしたらしい)、そのまま持ち主のおばあさんが好きなときにオークションかけれるようになってしまったらしい。


ちなみに、持ち主のユダヤ人はクリムトの元モデルだったらしい。(クリムトの愛人にはユダヤ人が多かった)あと、この直接の持ち主は遺言にオーストリアに寄贈するように明記してたらしいが、相続人がごねて仲介裁判所につめより、裁判を起こして5年も戦った末に絵を手に入れる判決をゲットしたのだとか。めちゃくちゃな話やね。。


この5枚の絵は今のところまだウィーンのベルヴェデーレで見ることが出来ますが、今にもオークションにかけられようかという状態らしい。どうしても見たい人は今のうちにベルヴェデーレにダッシュだ!ちなみに、いちばん有名な「接吻」はいなくならないのでご安心を。

 
今にもなくなる5枚の絵は以下のとおり
Adele Bloch-Bauer I, 1907(アデーレ)
Adele Bloch-Bauer II, 1912(アデーレ2)
Der Apfelbaum, 1912頃(りんごの木)
Häuser in Unterach am Attersee, 1916頃(アタセーの風景画)
Birkenwald/Buchenwald, 1907(森の絵)


ウィーンでは各地で「チャオ・アデーレ」と書いたポスターが並び、最後をしのんでいる模様。もう去年2回見に行ったから、とりあえずいいけど、それにしてもひどい話だね。。

 

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2006年03月16日

「アデーレ、ウィーンを去る」
 

今日、地下鉄でタダで配ってる新聞をざーっと読んでたら、なんとも目にしたくなかったニュースが。。


ベルヴェデーレにあるクリムトの5枚の絵がユダヤ人女性への返還されることがが決定したと言う日記をこないだ書いたけど、とうとう昨日その5枚の絵がベルヴェデーレから輸送業者の手によって外されたそうです。


この5枚の絵はアメリカへ輸送され、4月4日からロサンジェルスの美術館„County Museum Of Art“で展示される予定。


ちょっと希望が持てるのは、絵の旅立ちにもかかわらず、ウィーンの画廊オーナーの一人が未だ買い戻すべくがんばって銀行などに声をかけているってこと。まあ。こんなに無情に持ち去られてしまったんだったら、そう簡単に買い戻せないとは思うけど、やっぱり帰ってきてほしいなあ。。ベルヴェデーレが寂しくなりそう。。(泣)

 

 

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