2015-10-29 07:36 | カテゴリ:クリムトの歴史

「黄金のアデーレ」という映画があると聞いたので、どんな視点で作られた映画なのかと気になって、ウィーンから「アデーレ」が去ったあの時のことを思い出して、その後についても調べてみました。

 

Adele Bloch-Bauer I (Gustav Klimt)

Adele Bloch-Bauer I, 1907

 

映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』プロダクションノート

 

ベルヴェデーレのオーストリア・ギャラリーに「キス」などと共に展示されていたクリムトの「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像I」と他4枚の絵(アデーレII、リンゴの木、ブナの木、アッター湖のウンターアッハの家々)が、2006年にウィーンからアメリカに渡りました。

 

この「アデーレ」を含む5枚の絵は、アメリカ在住の女性マリア・アルトマンに「返却」されました。彼女は絵のモデルとなったアデーレの姪でユダヤ人。ナチスに没収された財産は元の持ち主に返す、という法律に従って、絵画の返却が2006年に決定されました。

 

そもそも絵のモデルになったアデーレさんは、当時のウィーンの上流階級で、苗字からわかる通りユダヤ人。クリムトはユダヤ人女性との交流も多く、アデーレは彼のモデルの一人でした。1925年に43歳の若さで亡くなったのは幸か不幸か。

 

彼女は遺言に、夫が死んだらこの絵をベルヴェデーレのオーストリア・ギャラリーに寄贈するよう、遺言に書いていました。(この遺書の効力が大きな争点の一つとなります。)夫が死ぬ前、妻の死の13年後の1938年にこの絵はナチスに没収され、彼は国外追放の末亡くなります。

 

このアデーレの夫の遺言は、妻の遺言を無視して、「クリムトの絵画と没収された財産は姪と甥のもの」とあり、返還請求を起こしたマリア・アルトマンはこの「姪」に当たります。オーストリアはアデーレ本人の遺言の従い、絵画をベルヴェデーレに飾っていましたが、アデーレの遺言を守るべきか、遺言を無視した夫の遺言を守るべきか、争点が分かれるところです。

 

結局、オーストリアの裁判所は、この絵画が「ナチスによって没収されたもの」と判決を下し、マリア・アルトマンに返還されることが決まりました。「アデーレがオーストリア・ギャラリーに寄贈するという遺言を残しているんだから返却する必要はない」と思うオーストリア人がいても不思議ではありません。

 

返却騒ぎの時には、オーストリアも交渉を頑張りました。マリア・アルトマンにまずは「長期貸与」を依頼しました。そうすれば、所有者は彼女のままで、ベルヴェデーレに置いておけるからです。

 

しかし、彼女はそれを拒否し、5枚まとめて3億ドルで買い取るよう要求しました。ベルヴェデーレ側は出資者を募って購入を検討しましたが、資金不足で諦めることとなり、2006年2月にアデーレはウィーンからロサンゼルスへ向かいました。

 

当時の騒ぎは連日新聞をにぎわせていましたし、アデーレの最後の姿を一目見ようと多くの人がベルヴェデーレに行きました。いたるところで「チャオ・アデーレ」というポスターが貼られていて、ウィーン中がやるせない気分に沈んでいたのを覚えています。

 

 

それでも、アデーレの姪が、叔母の絵画を取り返したかったという気持ちもわかるし、異国の地でアデーレ達が一般公開され、美術館で見ることができれば、それがオーストリアではなくてもいいではないか。名画は世界の財産だ、と考えて、納得していたところはあります。それなのに。。

 

(次回は、「アデーレ」と5枚の絵のその後に迫ってみます)

 

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