2015-09-06 06:37 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

もうどんどんネタが出てきて、マイヤーリンク事件の一連の記事が全然終わりませんね。。(苦笑)

 

今回はマリーのお墓のお話です。

 

マリーの遺体はマイヤーリンク事件の直後、二人のおじ(Alexander BaltazziとStokau伯爵)に付き添われ、ハイリゲンクロイツの修道院に運ばれ、翌日雨の中、そこでひそかに埋葬されます。

 

これはもちろん、母への別れの手紙にあった、Allandの墓地のルドルフの横に埋葬されたわけではないですね。ルドルフはカプツィーナ礼拝堂のシシィとフランツヨーゼフの隣です。

 

こちらがマリーの墓石。Mary Freiin v. Vetseraとの表記。本名Marieじゃなくて呼び名のMaryの方が墓石に載るなんてね。FreiinはBaronin(Baronesse、男爵の女性形)って事。

 

 

エピタフに刻まれているのは、Wie ein Blume sprosst der Mensch auf und wird gebrochen (Job 14.2.) 「人間は花のように芽ぶき、花のように折られる」といった意味。

 

マイヤーリンク事件直後の埋葬では、急ぎだったために木の棺でしたが、翌年マリーの母Heleneがきれいな銅の棺と取り替えました。

 

キリスト教徒として通常自殺者は、通常の埋葬手続きができないので、実際の死因と関係なく、マリーの死因は「精神を病んでいたための自殺」として手続きがされました。

 

1945年敗戦時に、マリーのお墓は一度ソビエト兵によって中を暴かれ、1955年までそのまま放置され、ソビエト兵撤退後も表面的に修復されただけでした。

 

1959年なってやっと正式に修復され、新しい金属の棺に入れられることになりました。この時にヴェッツェラ家の家族と一緒に遺骨を検証した医者も、弾丸の後はなかったとしています。この時にマリーの頭蓋骨を見た聖職者は「弾丸の後はなかったように思われる」と言っています。(けれどそもそも、この遺体がマリーの物なのか、もうすでにわからない状態ですしね。。)

 

マリーの墓は1991年に、オーストリア人の一般人(リンツの家具屋)によって再び暴かれ、遺骨は検査に回されました。この人はマイヤーリンク事件に取りつかれていて、自費で検査機関に検査を依頼し、事件の真相を調べようとしていました。結局この人物は特定され、1993年に元の墓に戻されました。

 

この時に遺族が、遺骨の検査の許可を一度は下しましたが、その後取り下げたため、検査は途中で終わってしまいました。また、遺骨の一部が紛失していたため、弾丸の後の有無は不明のままとのことです。

 

 

ちなみに現在の有力説は、ルドルフがマリーを撃った後、数時間して自殺したというもの。今回のマリーの手紙の発見により、マリーが事件前からルドルフとの自殺を計画していたことが分かったので、マリーはわかっていて心中したという説の裏付けになりそうです。

 

関連リンク:

Mayerling!

Vetsera(1993年の再々埋葬時の棺の写真等あります)

 

 

 

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