2015-08-27 05:52 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

マイヤーリンク事件において、マリーの生い立ちや家族構成などを知っておくと、歴史解釈に役に立ちそうかなーと思い、色々な視点から調べてみました。

 

今回はマリーの住んだ家についてのお話です。

 

 

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こちらがウィーンでVetsera家の住んでいた家。ドナウカナル沿いのSchuttelstrasse。

 

1870年にコンスタンチノープル(現イスタンブール)からウィーンに移ってきたマリーの母ヘレネは、ボスフォラス海峡をを思い出すということで、ドナウ運河沿いのこの家を選んだそうです。

 

この家はマリーの生家でもありますが、現存していません。ここでは、マリー一家(母、父、姉、マリー、弟)の他に、母の姉妹とその夫たちも生活していたようです。

 

 

その後、1880年にPalais Salm-Vetsera(サルム・ヴェッツェラ宮殿)と呼ばれた、こちらの家に引っ越します。場所は3区のSalesianergasse。

 

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ここは持ち家ではなく賃貸だったようですが、ここで頻繁に舞踏会やパーティーが開かれたとのこと。マイヤーリンク事件当時、マリーはここに住んでいたんですね。

 

マイヤーリンク事件の翌年1890年、マリーの母ヘレネは、経済的理由でこの建物を出ますが、何と不思議なことに、その後入居したのは、アメリカと日本の公使館だったそうです。

 

この建物は、第一次世界大戦での破損がひどかったため取り壊され、現存はしていません。

 

しかし、マイヤーリンク事件の前夜、マリーがルドルフに呼び出されて、この建物のある通りの角から、ブラートフィッシュの御する馬車に乗って、ホーフブルクまで急いで行ったのですから、建物が現存していなくても、その「角」は見つけてみたいものですね。

 

 

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