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2019-03-31 16:40 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

エリザベートとフランツヨーゼフの息子、皇太子ルドルフの妻、ベルギー皇女ステファニーの半生について調べてみたのをまとめてみました。

 

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ルドルフとステファニー(Wikipediaより)

 

ステファニー、ルドルフ死後の後半生がおもしろい。25歳で5歳の娘(エリザベート・マリー。この人の人生はもっとすごい)を抱えて未亡人になったステファニーは、シシィに似て旅に取り付かれた10年を送る。

 

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ステファニーと娘1885年(Wikipediaより)

 

ステファニーは、1900年に36歳になり、ハンガリー貴族ローニャイと身分違いの結婚をしてから、夫の居城で今のスロバキアで45年間幸せに過ごす。

 

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二番目の夫ローニャイ(Wikipediaより)

 

ルドルフとの不幸な結婚は8年間だったのに対し、ローニャイとの幸せな結婚は45年も続いたのね。こちらはイタリア、ミラマーレ城での結婚式とロマンチック♪

 

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イタリア、トリエステのミラマーレ城

 

第二次世界大戦でロシア軍に居城を荒らされるのをなす術もなく見守ったあと、寝たきりになりハンガリーのパンノンハルマ修道院にて永眠。夫も一年後に亡くなる。二人は亡くなった、ハプスブルク家縁のパンノンハルマ修道院に今もひっそり埋葬されている(こないだ行ったとき偶然見つけてビックリした)

 

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パンノンハルマ修道院

 

このパンノンハルマ修道院、ハンガリーの平原の高台にポツンと建ってるんだが、3年前に亡くなったオットー・フォン・ハプスブルクも行ってた寄宿学校が付属している。オットー自身の希望により、心臓はここに埋葬されている。レストランが素敵で美味しい♪

 

ルドルフとステファニーの唯一の娘、エリザベート・マリーの人生もものすごいので、ついでに紹介しておきます。

 

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エリザベート・マリー

 

5歳で父ルドルフ、15歳で祖母シシィを亡くし、17歳でヴィンディッシュ・グレーツ侯爵と身分違いの結婚をして、皇位継承権を放棄する。子供が四人(フランツ・ヨーゼフ、エルンスト・ヴェーリアント、ルドルフ、シュテファニー)産まれるが、結婚から20年後別居し、子供を手放すことになる。

 

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エリザベート・マリーとヴィンディッシュ・グレーツ侯爵

 

そのことに同情した社会民主党指導者ペツネックと同居を始め、入党までしたことで「赤い皇女」と呼ばれる。ペツネックは第二次世界大戦でオーストリアが併合され、ダッハウ収容所に送られるが、戦後帰還。正式に前夫と離婚し、再婚となる。彼女は、遺品は全て国に返すと遺言し79歳で亡くなる。

 

彼女は、私が長く追っている、とある遺品を受け継いだ可能性が高いので前に調べたことがあったんですが、実際「国に返す」と遺言していても、返されたかどうかが不明なんだよね。。でも、彼女がその遺品を身につけた写真は残ってるので、ここから先が謎だ。。

 

というわけで、ルドルフ皇太子死後の妻と娘の壮絶な人生を振り返ってみました。皇族も色々と大変ですね。。

 


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