ちょっと今回は真面目なお話。というか、ホントはこういう文化、歴史考察って一番好きなんだよね。。
予約投稿の関係で、かなり後ろにずれこんでしまいましたが、一応この記事は、イースター直前につぶやいたことのまとめです。

ジーザス・クライスト・スーパースターとか興味がある方がいらっしゃれば、面白い考察かもしれません。

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毎年イースターは日本が多いので、今年は珍しく伝統通りやってみてる。今日は緑の木曜日でほうれん草を食べる日なんだって。明日は磔になったKarfreitagで、断食の日。菜食にする人が多いね。

今日は金曜でダンシングスターズ見よう♪と思ってたら、Karfreitag(キリスト磔の金曜日)で、断食とかしておとなしく過ごす日だから、ダンス番組とかやらないんだってさー。ドンちゃん騒ぎ禁止らしい。

一般的には最後の晩餐は木曜夜、磔は金曜日中、復活は月曜と信じられてるけど、タイミングが無理っぽいので、議論しながら調べてみた。木曜夜に晩餐&ゲッセマネ&逮捕で、金曜に裁判、ヘロデ、鞭打ち、十字架の道行、磔、死、埋葬で、土曜は安息日、日曜復活。無理がない?特に金曜。

うわー!今この磔デーについて議論してたら、すごい発見が!キリストの死刑を希望したユダヤ司祭たち悪どすぎ!!民衆はサクラだった?!

では最初から。まず、磔周辺の日付や時間に関しては、史実、聖書の記述、教会の決定によりソースがあやふやなのに信じられてること、学者の意見が違うことなど入り交じってるので注意。

史実と言えるのは、磔が金曜で、埋葬も金曜日中に行われた事。翌日土曜日が安息日だったので、埋葬までやってしまう必要があった。あとのことは全部いろんな説がある。

復活は日曜と言われているけど、死から「三日三晩」だったら月曜になっちゃう。これは、死の当日も含めて3日という説と、ユダヤの「一日一晩」という表現は文字通りではなく、24時間以内の任意の時間を示すから、合計48時間強でもokと言う説がある。

次は金曜の磔の時間帯。これは福音書によって全然違うので議論の的。9時磔、12時真っ暗、15時死亡説と、12時にピラトの所にいた説。ユダヤの一日は前日の日没から始まるので、安息日に掛からないように日没前に埋葬を終える必要があった。

磔刑は、両手を十字架に打ち付けることで体が吊り下げられ、肺がずり落ちることで呼吸困難になって死ぬと言う仕組み。埋葬が日没前に間に合うように見に行ったら、他の2人の罪人はまだ生きていたので、足の骨を折って死を早めた。イエスはもう死んでいたので、そのまま埋葬した、との記述がある。

磔は死ぬまでに時間がかかるので、9時磔→15時死亡は妥当なところ。しかしそうすると、朝9時までに、ユダヤ司祭裁判→ピラト→ヘロデ→ピラト→鞭打ち→ゴルゴタの丘登り→磔を済ませておかないといけなくなる。そんな時間に人が働いているのか?!

ここで画期的な説が出てきた。わざと無理して朝9時に磔にしたのかもしれない、と言う説。キリストは民衆に人気があったので、普通に死刑にするのは難しい。キリストが目障りだったユダヤ司祭たちは、みんなが寝ている早朝の時間帯に、こっそり強引に死刑を決めてしまったのだ!

そうすると、最後の晩餐から磔まで、みんな寝ずに行動していたことになる。最後の晩餐の後のゲッセマネ→ユダの裏切りは→逮捕は、深夜/早朝に行われたのだ(ゲッセマネで使徒が寝てたのも頷ける)。現代だって逮捕は朝4時とかよくあることだし。

逮捕されたらすぐに、ユダヤ司祭裁判に掛けられる。司祭たちは逮捕計画の立案者なので、夜中でも起きてる。ユダヤ裁判では死刑にできないので、ローマ総督ピラトの法律で死刑にしてもらう必要がある。ピラト→ヘロデのたらい回しは、早朝だとすると、単にたたき起こされて面倒だったのかも。

そして、2回目ピラト裁判。ここで民衆がイエスを十字架に!と叫ぶけど、これも早朝だったとすれば、一般人がわざわざ裁判見に来てたと考えるより、叫んでたのは司祭に仕込まれたサクラだったと考える方が自然。第一一般人には人気があったから、手の平を返す方が変だよね。

その仕込みにピラトは気がついたから、鞭打ちで済まそうと思ったのに、イエスまで沈黙してるので、死刑にするしかなかった。で、一般人が起きてきた頃には既に磔は決定されてて、イエスはゴルゴタの丘の道行きの真っ最中(ここでは皆親切)。朝起きてみたら人気者が死刑でびっくりしただろうねー。

と言う流れで行くと、逮捕と裁判は、イエスの味方に邪魔されないように、内輪で皆が寝てる時間帯にわざと行われたことになる。ユダヤ司祭たちは事前に計画を練って、全て準備を進めて実行に移したのねー。あくどすぎる。。

この深夜/早朝の秘密裁判について、聖書は特に書いてないし、このことを取り上げた作品や解釈も見たことがないので、一応私(達)の勝手な解釈だけど、かなり納得行く説明な気がする。

次は、最後の晩餐について。一般的には磔の金曜日の前日の木曜夜だとされている。つまり、ゲッセマネの直前ね。(一部火曜、水曜説もあり。朝9時以前の裁判が不可能と考えると水曜夜逮捕もありうる。)問題は、この晩餐の食事内容。宗教絵画にも影響してくるので結構重要。

磔は過越祭の日かその前日だった。過越とは、ユダヤ人がエジプトで奴隷だった時代、モーゼがユダヤ人の家に印を付けた家だけ赤子が殺されなかったという旧約聖書の記念日。伝統的に当日子羊が屠られ、その夜に食べる。過越祭が木曜だったら、最後の晩餐のメニューは子羊と種無しパンのはず。

ヨハネの福音書では、最後の晩餐は過越祭の前日だったと書いてある。前日とはいえ、ユダヤ暦では日没後は翌日に含まれるので、実際は過越しの日の夕食だが、子羊は祭り当日に屠られるので、食卓に子羊は並ばない。ダヴィンチの「最後の晩餐」では、こちらの説を採り、魚と普通のパンが描かれている。

ヨハネ説のいい所は、翌日が過越祭で、ちょうどイエスが十字架上で死ぬタイミングで、子羊も屠られた(15-17時と決まっている)。キリスト=子羊のイメージが象徴的。他の福音書では、最後の晩餐は過越祭を祝ったとあるので、当日昼に屠られた子羊を晩餐で食べたはず。食卓に子羊の絵も多い。

問題は、最後の晩餐が過越祭のようなユダヤ人にとって重要なお祭りの、当日だったか前日だったかも意見が分かれるような福音書の著者たち。ユダヤ人なら間違いようがない重要事項なのに、言ってることばらばら。著者が使徒でないどころか、ユダヤ人ですらない可能性も指摘される。

こういう背景を踏まえて宗教画を見ると、画家がどの説を踏まえて絵を描いているかが分かって面白い。これからちゃんと食卓の食べ物もチェックしておこう!

ちなみに、実際の受難日の特定は複数説があるけど、過越祭り周辺とのことで、4月だったとされている。AD33年4月3日という説もあるが、意見が分かれる。実際の日程はイースター直前の金曜で、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と毎年移動する。

受難日(聖金曜日)のドイツ語名はKarfreitag。Karは「悲しみ」を意味する古独語Karaから。当日は断食か、最低でも菜食。魚はOK。踊ったり歌ったりも控える。オーストリアでは結構皆この習慣をちゃんと守ってるみたい。

前日の最後の晩餐の木曜日はGruenndonnerstag(緑の木曜日)と言われ、夕食は緑のほうれん草(笑)。由来は複数有り、「嘆く」と言う意味のGreienがGruenn(緑)になったという説が有力。だからってほうれん草食べなくてもw最後の晩餐なのにー(笑)。

と言うわけで、ちょうど受難日だったし、オペラ「パルジファル」にも木金耀の儀式が出てきたので、色々周りと議論したり、調べたりするいい機会になったわー。色んな説や考え方があって、あまりに意見がバラバラで、その適当さにびっくりしたけど。


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