2012-05-30 20:26 | カテゴリ:サウンド・オブ・ミュージックの歴史
サウンド・オブ・ミュージック見たので、ちょっと気になって、トラップ大佐の史実を調べてみました。

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■関連日記

♪サウンド・オブ・ミュージック@Volksoper 2005年6月
♪サウンドオブミュージック配役情報
♪サウンド・オブ・ミュージック@Volksoper2回目レポ

・ゲオルグ・ファン・トラップ、1880/4/4生まれ、1947/5/30没。

・父も海軍。トリエステ(イタリア)、プーラ(クロアチア)を移り住む。当時はそのあたりもオーストリアの領土。

・1900年に義和団の乱に従軍。

・最初の妻はイギリス人アガーテ・ホワイトヘッド。アガーテの祖父は魚雷の発明者で、1910年にゲオルグが初めて館長となった潜水艦「アガーテ号」の命名の元となった女性。奇遇!

・第一次世界大戦が始まると、プーラからツェル・アム・ゼー(オーストリア)に移り住む。

・ゲオルグは第一次世界大戦で潜水艦艦長として従軍し、オーストリア海軍の国民的英雄に。

・従軍期間を含め、結婚から11年で7人の子が生まれる。ルーペルト(男)、アガーテ(女)、マリアフランツェスカ(女)、ヴェルナー(男)、ヘドヴィク(女)、ヨハンナ(女)、マルティナ(女)。これまた映画や舞台とも名前がぜんぜん違うねー。
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誰が誰かわからないけど、一応写真見つけたので。

・のちの映画では大佐と呼ばれるが、実際は少佐。ただし、オーストリアでは少佐でも艦長(Kapitaen)になるので、英語圏の海軍の艦長である大佐という称号が使われている。

・第一次世界大戦でオーストリアが海岸を失うので、ゲオルグは1919年に退役し、ドナウの水運会社を設立。

・1922年妻アガーテはクロスターノイブルクで猩紅熱で32歳で死去。

・1925年にザルツブルク郊外に引越し。家庭教師の派遣を依頼し、マリア・アウグスタ・クチェラが住み込む。

・2年後ゲオルグとマリアは結婚。この時ゲオルグ47歳、マリア22歳。

・やがてマリアとの間にも1男2女が生まれ、12人の大家族となる。

・1933年、オーストリアの金融恐慌でピンチに陥っていた友人の銀行を救うべく、ゲオルグは財産の殆どを融資してしまうが、銀行が倒産し、ゲオルグは破産。

・マリアは館の空き部屋を貸し出すなどしてやりくりを頑張り、今まで家族の趣味だったコーラスを公演して収入しようと思い立った。ヴァスナー神父と知り合い、専門的な指導を受ける。

・1935年のザルツブルク音楽祭に参加し、優勝。オーストリアで人気となり、ヨーロッパツアーをする。

・1938年ドイツ併合。ゲオルグはナチスの旗を掲げるのを拒否し、ドイツ海軍からの招集も拒否(このへんはミュージカルのまま)。これ以上抵抗すれば危険と判断し、オーストリアを離れることにする。

・ちょうどアメリカで公演の話があったので、ヴェスナー司祭とともにイタリア、スイス、フランス、イギリスと渡り、イギリスからアメリカへ。アメリカのビザが切れると北欧でも講演しつつ、1939年にNYへ。

・この時マリアは末っ子ヨハネスを妊娠中だった。アルプスを越えてイタリアに渡った。

・バーモント州に農場を買取、オーストリア風のロッジを立てる。息子たちは従軍するが無事復員する。

・ゲオルグは67歳で肺がんで死去。

・マリアは1987年永眠。

・トラップ一家は1993年ザルツブルク州知事より文化功労賞受賞。

・マリアはサウンド・オブ・ミュージックの中でのトラップ大佐像が現実とはかけ離れているとして不満を持っていた。

・ほとんどの子供たちがアメリカに残る中、ヨハンナは1948年に結婚してからほとんどオーストリアで暮らした。

●まとめ

というわけで、映画になってる部分だけじゃなくて、国民的英雄とか、銀行に融資して破産とか、随分波乱万丈な人生じゃないですか。それも子供12人とか!従軍中も含めた11年で7人産むってすごいなあ。。けど、知り合いで10年で8人っていう話も聞いたことあるぞ。。

映画になってる部分は、時間的に随分端折ってはあるけど、大きな史実からのズレはなさそうね。音楽祭がマリアとの結婚から随分あとってことくらいかな。



Volksoper版サウンド・オブ・ミュージック


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