2015-09-28 06:46 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

さて、前回ワイルドホーンのミュージカル「ルドルフ」ウィーン版のDVDレポを書いたわけですが、やっぱり史実>恋愛展開のほうが性に合う私としては、もうちょっと分析してしまいます。

 

●「ルドルフ」がウィーンで受けなかった理由

 

多分、この作品がウィーンで受けなかった最大の理由は、やっぱりこの史実完全無視な展開でしょうね。

 

史実に馴染みのない人が見たら、まあ時代に翻弄された若いカップルの悲劇と見れなくもないけど、史実を知ってたら、恋愛で浮ついてるのに逆に引いちゃうと思う。

 

ちょうど2006年に、オーストリアでは鳴り物入りで「皇太子ルドルフ」のテレビ映画が放映されたの。ミュージカル「エリザベート」の原作を書いた歴史家ブリギッテ・ハマンが監修を務め、ホーフブルクとシェーンブルン宮殿で撮影された「史実にできるだけ近い」ルドルフの物語。

 

「皇太子ルドルフ」テレビ映画DVD

 

当時の歴史をできるだけ正しく復元するように作られた作品で、マリーとの恋愛も、「ルドルフ」の原作A Nervous Splendorにあった程度の扱い。

 

このテレビ映画は何度も再放送されたし、ミュージカル「ルドルフ」が上演された2009年には、ほとんどのインテリや歴史好きが一度は見てた。(私も結局狙ったわけでもないのに偶然2回も見た)

 

この映画がなければ、ウィーン人もそれほどルドルフの史実にこだわりはなかったかもしれないけど、見ちゃったら、同じテーマを扱ってるだけに、ミュージカルの無理のあるロマンチックさに突っ込まざるを得なくなっちゃうわけ。

 

ミュージカルは作詞作曲がアメリカ人な上、自国の史実がゆがめられているのを目の当たりにしちゃうわけだし、なんだか「それはちょっと違うのでは。。」っていう気になるのもわかるよね。

 

ミュージカル「エリザベート」が逆に、オーストリア人が持っていたロミ・シュナイダーの「シシィ三部作」のロマンチックでかわいらしいイメージを、史実に基づいたダークな物語でぶち壊して、オーストリア人の人気を勝ち得たけど、「ルドルフ」は史実を超えられなかった、ってわけね。

 

というわけで、せっかくなので、この「皇太子ルドルフ」のテレビ映画(ミュージカルではありません)も、ショップに並べてみました。

 

「皇太子ルドルフ」テレビ映画DVD

 

ホーフブルクやシェーンブルンで撮影された映像のリアリティは一見の価値ありです。行ったことある場所ばっかり!

 

王宮のシーンで馬車が着くのは、ブルクカペレの横の階段だったり、シェーンブルン宮殿の舞踏会のシーンもまさにあのバルコニーからグロリエッテを背景に撮ってたり!もう、なじみの場所が出て来るだけでも興奮します。

 

シシィ(もうおばさんと言える年齢)も、ちょっとまたイメージが違ったリアルな感じで、刺青を入れてる姿まで見れてしまいます(←意外な史実)。

 

おまけに、ルドルフ役のMax von Thunは、フランツヨーゼフの後継者でサラエボ事件で暗殺されたフランツ・フェルディナンドの妻ソフィ・ホテクの末裔(大叔母さんがルドルフの親戚だった)です。ルドルフが自殺してなければ、フランツ・フェルディナンドが殺されることもなかったと思うと、なんだかめちゃくちゃリアルですよねー。

 

というわけで、やっぱり「ノンフィクションの史実>フィクションの恋愛」って感じで見ちゃうわけですが、ミュージカルもとってもきれいにDVDにまとまっていて、オススメです。

 

もしミュージカル「ルドルフ」を見て史実に興味を持ったら、原作やテレビ映画でもっと当時のことを知ってみてください。恋愛だけじゃなくて、文化的、社会的にもとっても面白い時代です。

 

 

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2015-09-25 16:45 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

当店ウィーン・ミュージカル・ワールドでも絶賛お取り扱い中の、ミュージカル「ルドルフ」のウィーン版DVDですが、最近見ていなかったので、久々に家で見てみました。

 

ルドルフ ウィーン版DVD

 

見ながら片手でツイッターにレポを書き込んでいたんですが、それをまとめておきます。

 

正直売る人間がここまで書いていいのか、って感じですが(爆)、元々個人的には結構苦手な作品だったので、DVDで見ることで、映像化した良さ(素晴らしい点もたくさんありました!)と、それでも気になる欠点(舞台見た時の感想と似たようなものですが、あの時ちゃんとレポ書いてなかったので。。)がはっきりしました。

 

というわけで、売る気満々レポではなく、私の正直なレポとなってます。この作品大好きな方は、ちょっと毒吐くのでお気を付けください。。

 

(私はルドルフ周辺の史実を結構知った上でこのミュージカルを見たので、色々とツッコミまくったんですが、そのあたり詳しくなくてただのラブストーリーとしてみる方は、全く感じ方が違うと思います。その辺もご了承の上お読みください)

 

===DVDつぶやきレポ===

 

●1幕

 

家でルドルフDVDつけてみた。ちゃんと見るのはプレビュー以来だけど、DVDで見る方が舞台上で見るより良く見える(笑)珍しいパターンだけど、DVDにして売り出してよかったね。

 

役者の演技が抑え目(?)なので、映像で見ても違和感少ないのと(Uweターフェだけ濃い演技w)、演出が映像向けかも(舞台だと小さくまとまってた印象だったけど、映像ならちょうどいい)。あと、Lisaのマリーヴェッツェラが本物に似てる。Wiestke美しい。。

 

ホント演出が映像向きー。ワイルドホーン背後のいい席で見たのに、こんなに良くは見えなかったぞ。撮り方も上手いな。けど、ブダペスト版に比べるとやっぱり物足りない気も。キレイにまとまりすぎな感じが(笑)

 

アンサンブルのお馴染みさんが映像なのが不思議w Martin ParschingとRory Sixがソロで歌ってる!Carinさんやっぱりすごいなー。Lisaもうまいなー。ヴィルヘルムだけキッツーくドイツのドイツ語(笑)エドワードは普通のドイツ語なのに。

 

くしゃみ(笑)マリーの彼氏のミゲル・ブラガンツァがRory Sixで、完全に空気(笑)しかしルドルフ原作は好きで何度も読み返したけど、二人の出会いからどんどん話が違う方向へ。。そしてラブストーリー展開にイライラ(笑)舞踏会からバーへの演出が上手い!この場面、映画でもあったなー。

 

Drew左利きかー。うわー。この有名なラブソング(So viel mehr)素晴らしいー!鳥肌モノ!しかし、ミッツィ無視でラブソングとかw史実は?w(やはりツッコミたくなる)アンドラーシがRobert D Marx :) もう何年も経つのに、ブダペスト版の演出思い出すわ。。

 

マリーヴェッツェラがユリウス・フェリックス(ルドルフのペンネーム)に憧れてたなんて設定、どこから持ってきたの?聞いたこと無いし、原作にもないんですけど。

 

スケートのシーンはやっぱりいいなー。っていうか、ここしか記憶にない(笑)舞台になってるのはEislaufvereinだよ。どんなスケート靴か確認したかったけど、やっぱり、ローラーブレードだった。あー、恋愛展開がイヤー(笑)

 

あーヤダヤダ、マイヤーリンク美化(笑)やっぱり恋愛要素がなければもっとスッキリ楽しんで見れるのに。あと、原作みたいに同時代人をもっと出して欲しいなー。クリムト、フロイト、シュニッツラー、ブルックナー、ブラームス。恋愛なくても面白い時代なのに!あーまたラブソングw三曲目だぜw

 

どんなに素晴らしい曲&歌詞でも、マリーヴェッツェラがダメダメ男ルドルフをあの手この手でたぶらかしてるようにしか見えない。。騙されてハマっていくルドルフ。。これで美しいラブストーリーなのか?おまけに史実ですらないとか。。スッキリしないなー。

 

●2幕

 

二幕。ターフェの紐マスター(Master of Strings)。これはブダペスト版が最高過ぎた。Uweの良さも生かせてないし、あの紐の演出でなきゃ!Uweムキムキ過ぎて燕尾服パツパツw 首吊りの演出も直接過ぎ。っていうか、マリーヴェッツェラがホーフブルクにお忍びで入っていく様子とか面白いから、舞台で見せて欲しかったわ(笑)

 

Wietskeシュテファニーソロすごいなー!しかし、二人のデュエットが聞きたかった。。せっかく舞台上にいるのに、言われっぱなしのルドルフw あかん、このルドルフ、ダメ男すぎる。。かわいそうっぽいのに、全然共感できない。。グダグダ言わずに、男らしくバン!って行こうよ。。(爆)

 

とりあえずOrdinary Manまで聞いて一度ストップ。続きはまた時間ができた時に。。っていうか、やっぱり感動したのは1幕前半のみで、恋愛展開になってきたらイライラしてきた(爆)。原作>ブダペスト版>ウィーン版だな、こりゃ。

 

ルドルフDVD続き。バーのシーン。不気味な雰囲気にしてるけどさぁ、。結末わかってるのでなんかはいはいって感じ。Roryが当時はなんか美男子w やはりここでもMartin Parsching, Robert D Marxのソロがいい!Dennisさん存在感あるなー。

 

ルドルフ自殺しようして、なんか辞めて、急に希望に燃えだしたww この人の行動なんなの?あとカメラワーク的に観客いたら無理っぽいんだが。そしてワイルドホーンお得意、希望に燃え立た歌来たー!w 時代背景や文脈を削ぎとった普遍的な歌詞過ぎて、ルドルフが希望に満ちて何したいのかわからん。

 

ほんと、この辺りからもう何なの?って感じになってくる。一体それぞれの登場人物は具体的に何したいの?ラリッシュ夫人のソロは、Carinさんは上手いけど、意味あるの?この人の立ち位置は?人形使い(ファイファー)がいないなら、この人を狂言回しにしちゃった方が良かったんじゃない?

 

シュテファニーとマリー・ヴェッツェラの場面。あーあー、結局恋愛の話して終わりかい。ルドルフ希望に燃えてたくせに、政治的に具体的に何したいのかわからんし、ターフェとマリー・ヴェッツェラのデュエットも別になくてもいいのでは?あー、でもルドルフは恋愛やめてまともになることにしたのね。

 

え?ルドルフがやろうとした事ってそれだけ?自由なヨーロッパ?いや、それは史実を略しすぎでは。。で、駅のシーン。これもハンガリー版のが良かったよー。ほんとダメダメだな、この男は。。野心家のマリーヴェッツェラもこの人が皇太子じゃなかったら惚れなかったんじゃ。。ほんと打たれ弱すぎw

 

いきなりマイヤーリンクに連れてってっていうマリー。いや、実際駅から帰って来てマイヤーリンクに行ったわけじゃないしw

炎に囲まれたベッドw マイヤーリンクがそんなとこじゃないって知ってるから、ロマンチックすぎて苦笑w あーやっぱりこの辺はRJみたいで、突っ込まずには見られないw おまけに銃声二発だけw何も解決してないまま、唐突に終わったwww

 

●まとめ

 

あ~終わった終わったー。ひたすら恋愛至上主義で、政治の話は見事に上っ面だけ、登場人物も薄っぺらく、史実の面白いエピソードも無視。こんなラブストーリー、別にルドルフが主人公じゃなくてもよかったのでは?(爆)

 

個人的には原作が好きなので、あの内容の濃い原作をよくここまで違う話にしてくれたと思うわ。マリー・ヴェッツェラの死んだ後の扱い(ハプスブルク家によってもみ消された)とかを描いた方が悲劇性は上がるだろうし、ルドルフの御者とか、いかにもなウィーン人を登場させても息抜きになったのに。

 

あと、銃声二発で終わりっていうのが。。オペラじゃあるまいし。。個人的にはこの心中に何らかの解釈を入れて欲しかったが、明らかに謎解きから逃げてるよね。例えばルドがマリーを撃ってから自殺したって結末にするなら、それに導くようなストーリーにするとか。なんのひねりもないただの恋愛でしたw

 

というわけで、プレビュー見て以来非リピだったのは正解だったと今でも言えるわw しかしこの作品好きな人もいるわけだし、多分作品に期待するものが違うんだろうなー。史実を知り過ぎてると、ストーリーのウソが気になるけど、知らないと別に美しい恋愛だもんね。

 

日本版見て私みたいにイライラした人はいるんだろうか?不思議なのは、ブダペスト版は普通に良かったんだよね。ウィーン版みたいに真面目に暗かったわけではなく、ブダペスト版は明るく濃く、ある意味恋愛を茶化してた所があるので、大上段に構えず、史実と違っても受け入れられたんだよね。

 

ちなみに、ウィーン版プレビューとハンガリー版は見てるんですが、どちらもレポ書いてません。。ウィーン版プレビューは、このレポが代わりになるとして、少なくともハンガリー版は書いておけばよかった。。

 

(次回、ウィーン人が知るルドルフの史実についてもうちょっと語ります)

 

 

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2015-09-23 06:39 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

難民記事でしばらく中断されていましたが、マリー・ヴェッツェラの記事を続けます。皇太子ルドルフ近辺であまりにマリーMarieが多いので、ちょっと関係する女性を写真付きでご紹介しておきますね。

 

まずは、皇太子ルドルフとの情死で一番有名な、マリー・ヴェッツェラ。彼女の写真は沢山あるので、別にご紹介しましたね。

 

さて、マリー・ヴェッツェラ以外の二人のマリーって誰でしょう?一人は、マリー・ルイーズ・ラリッシュ。ラリッシュ伯爵夫人です。

 

 

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左がラリッシュ夫人、右がマリー・ヴェッツェラ。二人は友達だった。ラリッシュ夫人がルドルフと同い年(いとこ)なので30歳、マリー・ヴェッツェラが17歳前後の写真。

 

この写真が、マリー・ヴェッツェラの最後の写真で、この服で心中現場で発見されたそうです。心中当日とか、直前に撮影されたんでしょうね。

 

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ラリッシュ夫人は乗馬が上手だったので、このような写真も残されています。

 

Larisch (2)

こうやって見るとなかなかきれいですね。

 

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こちらの写真はまるで別人の様

 

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シシィの姪と言うことで、信頼されていたこともあり、シシィの娘マリー・ヴァレリーとの写真も残っています。

 

ラリッシュ夫人の人生は、それはもう波乱番所なので、別の機会に記事にしますね。

 

そして三人目のマリーは、ミッツィ・カスパー。いつもミッツィと呼び名で表記されるので気が付きにくいですが、ミッツィはマリーの愛称。ルドルフの本命愛人で、マイヤーリンク事件時点で24歳。

 

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彼女の職業は「家の持ち主」。何とも不思議な職業ですが、これは暗に「愛人業」「妾業」を意味します。アパートで愛人の訪問を待っているイメージですね。

 

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Mizzi

 

彼女は、ラリッシュ夫人やマリー・ヴェッツェラの母のように、手記の形を取った暴露本などを出版することなく、ひっそりと一生を終えます。何となく、愛人と言いつつ品のある人生ですね。

 

まだマイヤーリンク事件ネタはあるんですが、またしばらくしたら再開しますー。

 

 

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2015-09-06 06:37 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

もうどんどんネタが出てきて、マイヤーリンク事件の一連の記事が全然終わりませんね。。(苦笑)

 

今回はマリーのお墓のお話です。

 

マリーの遺体はマイヤーリンク事件の直後、二人のおじ(Alexander BaltazziとStokau伯爵)に付き添われ、ハイリゲンクロイツの修道院に運ばれ、翌日雨の中、そこでひそかに埋葬されます。

 

これはもちろん、母への別れの手紙にあった、Allandの墓地のルドルフの横に埋葬されたわけではないですね。ルドルフはカプツィーナ礼拝堂のシシィとフランツヨーゼフの隣です。

 

こちらがマリーの墓石。Mary Freiin v. Vetseraとの表記。本名Marieじゃなくて呼び名のMaryの方が墓石に載るなんてね。FreiinはBaronin(Baronesse、男爵の女性形)って事。

 

 

エピタフに刻まれているのは、Wie ein Blume sprosst der Mensch auf und wird gebrochen (Job 14.2.) 「人間は花のように芽ぶき、花のように折られる」といった意味。

 

マイヤーリンク事件直後の埋葬では、急ぎだったために木の棺でしたが、翌年マリーの母Heleneがきれいな銅の棺と取り替えました。

 

キリスト教徒として通常自殺者は、通常の埋葬手続きができないので、実際の死因と関係なく、マリーの死因は「精神を病んでいたための自殺」として手続きがされました。

 

1945年敗戦時に、マリーのお墓は一度ソビエト兵によって中を暴かれ、1955年までそのまま放置され、ソビエト兵撤退後も表面的に修復されただけでした。

 

1959年なってやっと正式に修復され、新しい金属の棺に入れられることになりました。この時にヴェッツェラ家の家族と一緒に遺骨を検証した医者も、弾丸の後はなかったとしています。この時にマリーの頭蓋骨を見た聖職者は「弾丸の後はなかったように思われる」と言っています。(けれどそもそも、この遺体がマリーの物なのか、もうすでにわからない状態ですしね。。)

 

マリーの墓は1991年に、オーストリア人の一般人(リンツの家具屋)によって再び暴かれ、遺骨は検査に回されました。この人はマイヤーリンク事件に取りつかれていて、自費で検査機関に検査を依頼し、事件の真相を調べようとしていました。結局この人物は特定され、1993年に元の墓に戻されました。

 

この時に遺族が、遺骨の検査の許可を一度は下しましたが、その後取り下げたため、検査は途中で終わってしまいました。また、遺骨の一部が紛失していたため、弾丸の後の有無は不明のままとのことです。

 

 

ちなみに現在の有力説は、ルドルフがマリーを撃った後、数時間して自殺したというもの。今回のマリーの手紙の発見により、マリーが事件前からルドルフとの自殺を計画していたことが分かったので、マリーはわかっていて心中したという説の裏付けになりそうです。

 

関連リンク:

Mayerling!

Vetsera(1993年の再々埋葬時の棺の写真等あります)

 

 

 

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2015-09-04 06:55 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

まだマイヤーリンクネタ、続きます。調べれば調べるほどいろいろ出て来る。。

 

マリー・ヴェッツェラをまとめて写真でご紹介しましたが、私がマリー・ヴェッツェラといえば一番に思いつくのは、この絵。王室家具博物館にあるマリーのヌード絵。死までの2週間のどこかで、ルドルフが描かせたものと言われています。しかし、死後にヌード絵が博物館に飾られるとか、晒し者みたいでいやですね。。

 

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この絵の展示の側にあるのが、マイヤーリンク事件の心中の場となったベッド。

 

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また、ルドルフの遺書にあった「トルコの部屋」とはこんな部屋です。なんかくつろげそうw

 

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そして、遺書が入っていた机がこちら。どくろに見つめながらのお仕事。。この引き出しに妻シュテファニーや愛人ミッツィ・カスパーへの手紙が入っていたんですね。

 

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(上の三つの写真は、王宮家具博物館でひょろ撮影)

 

 

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2015-09-01 06:54 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

掘れば掘るほど興味深いエピソードが出て来るマイヤーリンク事件ですが、当時の社交界やセレブの世界を垣間見るつもりで、もう少しお付き合いください。

 

今回は、マリーの母の実家Baltazzi家をもうちょっと深く見てみます。この一家はコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)に住んでいたギリシャ人銀行家一家で、コンスタンチノープル一の金持ちと言われていました。ウィーンとは縁が深かったらしく、家族のほぼすべてのメンバーはウィーンで活躍しています。

 

Baltazzi家には、Aristide, Alexander, Hector, Henrich(Henri)と男兄弟が4人いましたが(姉妹も沢山)、四人とも乗馬で有名でした。特に二番目のAlexanderは乗馬では最も名を知られていて、イギリスのダービーで優勝したこともあるそうです。

 

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Alexander Baltazzi

 

マイヤーリンク事件関連では、死後のマリーを、Stokau伯爵(マリーの母の姉の夫)と共に、マイヤーリンクからハイリゲンクロイツ修道院(マリーの墓所)まで運ぶ役割を果たしました。

 

Alexander BaltazziとStokau伯爵はどちらも、マリーのおじに当たります。Stokau伯爵の方が血は繋がっていないのですが、身分が上だったこともあり、中心的な役割を果たしたようです。

 

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この右の写真の右側で椅子に腰かけているのがStokau氏。その横にいるのはHeleneの妹(姉?)Eveline。

 

 

また、二番目の兄弟Henrich(Henri)は、ラリッシュ夫人との情事で有名です。ラリッシュ夫人もHenriも配偶者がいた中でのダブル不倫。

 

ラリッシュ夫人は乗馬がうまく、Heinrich Baltazziも馬乗りが職業ですので、趣味が合ったのかもしれませんね。

 

ラリッシュ夫人は夫との間に5人の子供がいましたが、そのうち3番目と4番目のMary Henriette とGeorg Heinrichは、夫と間の子ではなくHenriとの子であることは、ほぼ確実であると言われています(5番目の子も別の人との子供です)

 

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Heinrich Baltazzi

 

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ラリッシュ夫人(左)とマリー・ヴェッツェラ(右)

マイヤーリンク事件の直前に撮影。

 

夫は一応認知はしましたが、この二人の子のセカンドネームHenrietteとHeinrichは、明らかに本当の父親を示唆していますね。見た目もHenri似だったそうです。

 

特にGeorgの方は、自分が父ラリッシュ伯爵の実の子でないと知って、23歳の時ピストル自殺をしていますので、相当ショックだったのでしょう。

 

というわけで、ヴェッツェラ家と、母方の実家Baltazzi家の成金セレブっぷり、お分かりいただけましたでしょうか?こちら側に比べて父方のVetsera家があまりに地味で、バランスが悪すぎな感じもします。

 

マリーの母ヘレネの微妙な立ち位置(コンスタンチノープルの大金持ちな実家と超セレブな乗馬の天才4兄弟に、片や貴族になりたての22歳年上の外交官の夫)は、マリーを玉の輿に駆り立てる大きな要因になったように思えます。

 
参考記事:

Mary Dear am Donaukanal: Die Häuser der Familien Vetsera und Baltazzi, Schüttelstraße 7-9 (ehemals 11, ab 1870) und Praterstraße 

 

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2015-08-30 19:52 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

以前マリー・ヴェッツェラとその母を写真でご紹介しましたが、今回は残りの家族、姉Hanna,兄Ladislas、弟Franzをご紹介します。母の他、姉Johanna (Hanna)と弟Franz (Feri)には、最後の手紙が残されていますね。

 

こちらはマリーの姉で仲が良かったJohanna(Hanna)とのツーショット。

 

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前がHannaで後ろがマリー。マリーからHannaへの「別れの手紙」を思い出しながらこの写真を見ると、結構感慨深いです。

 

マリーから「愛のある結婚をしなさい」と言われたHannaは、のちにオランダ人貴族Hendrik graaf van Bylandt氏と結婚し、二人の子をもうけます。van Byland家は古い伯爵家の様なので、一応玉の輿ではありますが、愛のある結婚かどうかは、調べた感じわかりませんでした。

 

曰くつきのマリーの姉と言うことで、嫁ぎ先を見つけるのに苦労したのか、1897年に結婚した時にはもう29歳でした。1899年と1900年に女の子と男の子が産まれますが(女の子は早く亡くなった可能性も)、Hannaも1901年に亡くなっているので、子供が幼いうちにこの世を去ったんですね。

 

 

マリーの一番上の兄Ladislaus (Lazi)は、マイヤーリンク事件より前に亡くなっています。それも、彼の名は意外な歴史的事件で登場します。あの、リンク劇場火災事件です。

 

1881年リンク大通りにあった劇場で、舞台からの火が客席に燃え移り、大火災に発展。客席の通路に置かれたコート類が邪魔になり、内開きの扉に阻まれ、客は客席から逃げることができず、30分から1時間ほどの間に384人の観客や舞台関係者が、劇場に閉じ込められたまま亡くなりました。

 

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リンク劇場火災の再現絵

 

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この痛ましい事件で教訓を得て、ウィーンでは厳しい劇場法が定められました。ウィーンで劇場に行かれる方は、持ち物をほとんどすべてクロークに預けされられるのが気になっていた方もいらっしゃるかもしれません。これも劇場法で、客席内火災防止の一策です。

 

Ladislas Vetseraはこの場に居合わせ、マイヤーリンク事件の8年前に亡くなっています。

 

参考記事:

ウィーンの劇場のドレスコード③クロークと劇場法

 

 

弟のFranz Albin(Feri)は、彼宛の手紙が今回見つかりましたが、兄弟の中では一番長く生きたという以外はあまり知られていません。

 

 

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2015-08-27 05:52 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

マイヤーリンク事件において、マリーの生い立ちや家族構成などを知っておくと、歴史解釈に役に立ちそうかなーと思い、色々な視点から調べてみました。

 

今回はマリーの住んだ家についてのお話です。

 

 

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こちらがウィーンでVetsera家の住んでいた家。ドナウカナル沿いのSchuttelstrasse。

 

1870年にコンスタンチノープル(現イスタンブール)からウィーンに移ってきたマリーの母ヘレネは、ボスフォラス海峡をを思い出すということで、ドナウ運河沿いのこの家を選んだそうです。

 

この家はマリーの生家でもありますが、現存していません。ここでは、マリー一家(母、父、姉、マリー、弟)の他に、母の姉妹とその夫たちも生活していたようです。

 

 

その後、1880年にPalais Salm-Vetsera(サルム・ヴェッツェラ宮殿)と呼ばれた、こちらの家に引っ越します。場所は3区のSalesianergasse。

 

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ここは持ち家ではなく賃貸だったようですが、ここで頻繁に舞踏会やパーティーが開かれたとのこと。マイヤーリンク事件当時、マリーはここに住んでいたんですね。

 

マイヤーリンク事件の翌年1890年、マリーの母ヘレネは、経済的理由でこの建物を出ますが、何と不思議なことに、その後入居したのは、アメリカと日本の公使館だったそうです。

 

この建物は、第一次世界大戦での破損がひどかったため取り壊され、現存はしていません。

 

しかし、マイヤーリンク事件の前夜、マリーがルドルフに呼び出されて、この建物のある通りの角から、ブラートフィッシュの御する馬車に乗って、ホーフブルクまで急いで行ったのですから、建物が現存していなくても、その「角」は見つけてみたいものですね。

 

 

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2015-08-25 05:28 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

マリー・ヴェッツェラの母、姉、兄宛の「別れの手紙」が見つかった事件以来、マイヤーリンクについての記事を書きまくっていますね。。まだしばらく続きますので、お付き合いください。

 

前回マリー・ヴェッツェラを写真でご紹介しましたが、今日ご紹介するのは、マリーの母ヘレネ・ヴェッツェラ。この人もルドルフの愛人だったことがあるんです。

 

マリーの母の旧姓はHelene Baltazzi。コンスタンチノープルで最も金持ちと言われた銀行家の娘で、22歳年上のオーストリア外交官 Albin Ritter von Vetsera氏と結婚し、ウィーンへ移り住む。その後夫が貴族になったため、男爵夫人となる。

 

このマリーの父親Albin Ritter von Vetseraは影が薄く、1887年に亡くなっているので、マイヤーリンク事件の時にはもういなかったんですね。けど、Heleneは有名なBartazzi4兄弟がついていたので、社交界ではかなりイケイケだったようです。

 

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この左の写真で床に座っているのがHelene、右端で立っている長い髭の人が夫のAlbin Ritter von Vetsera。(右の写真は関係ありません)

 

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確かにオーストリア人と言うより、南方系の顔立ち。ギリシャ・トルコ系だね。

 

Helene haha

 

Helene

 

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マリーの母は娘のマリーやHannaに、かなり激しく玉の輿をプッシュしていたらしく、マリーはそんな母の事をあまり好きではなかった模様。

 

ヴェッツェラ家は、当時ノリノリだった新興貴族。位は高くないが大金持ちの貴族(それも最近貴族になったばかり)だけど、お金に物を言わせてかなり権力の中枢に近づくことができたわけです。

 

Heleneの兄Henriとラリッシュ夫人が不倫してたし(ラリッシュ夫人はこの不倫で二人も子供が産まれている)、ラリッシュ夫人はこの不倫相手からお金もたくさんもらっていた。ラリッシュ夫人も貴賤結婚とはいえ(父はシシィの一番上の兄、母は女優)、シシィの姪という血筋なのに、お金はHeleneの実家Baltazzi家に出してもらってたのね。

 

この辺りはまた今度詳しく書きますが、ルドルフはマリー・ヴェッツェラだけでなく、マリーの母Heleneとも、ラリッシュ夫人とも関係があったわけで、なんだかドロドロし過ぎ。。

 

ちなみに、マイヤーリンク事件当時の年齢は、ルドルフ皇太子30歳、マリー・ヴェッツェラ17歳、母Helene42歳、ラリッシュ夫人30歳、ルドルフ本命愛人ミッツィ・カスパー24歳です。母Heleneは昔の愛人だから現役ではないにしても、ルドルフ守備範囲広すぎ。。

 

マイヤーリンク事件後、Heleneは引っ越したりしながらもウィーンに住み続け、4人の子供たちより長生きします。マリーの母として手記を200冊だけ発行しますが、すぐに政府に見つかり、差し押さえられてしまいます。その後外国の出版社からこの手記は出版されます。マリーから母宛ての手紙の文面は、この手記に記してありました。

 

ヘレネは第一次世界大戦後のインフレで全財産を失い、1925年に貧しさのうちに亡くなります。コンスタンチノープル一の金持ちと言われたHeleneも最後は貧乏だったんですね。。

 

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2015-08-23 19:00 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

さて、しばらくマリー・ヴェッツェラの記事が続きますが、今回の記事ではマリー・ヴェッツェラを写真でご紹介します。身分はそれほど高くないものの、金持ちセレブファッションリーダーだったため、写真は沢山残っています。

 

本名はMarie Alexandrine Freiin von Vetsera。FreiinとはBaronesse(男爵の女性形)の未婚の呼称。Maryと表記されるのは、英語書きがファッショナブルとされたため。母方の祖父の二番目の妻がイギリス人だったとはいえ、英語読みなのは強引だよねw

 

カッコイイからMaryっていうのが単純な理由なのに、新聞記事とかみんなMaryって書いてる。しかしMaryと書くなら、カタカナらならメアリだよね。けど、ルドルフを巡りマリーが多すぎて、こうやって書き分けないといけないくらいなのかも。

 

写真はこんな感じ。

 

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今回の手紙発見でのプレス写真

 

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Wikipediaドイツ語版

 

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Wikipedia英語版。上の写真と別人のよう。。

 

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黒っぽいのがシシィっぽい

 

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こうやって髪をたらしてるのもシシィっぽいな。あどけない感じ。

 

Vetsera

 

MV

 

とてもきれいに見える写真と、ちょっとぽっちゃりな写真とが混じっていて、一概に美人かどうかわからない感じ。あと、当時の人はそうだったのかもしれないけど、一枚も笑顔の写真がないのね。

 

 

以下のコスプレ写真風のは、ファッションリーダーだったマリーが舞踏会などで着た衣装。新聞や雑誌に取り上げられ、当時のファッションの流行の最先端を行っていた。

 

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この写真は、「ルドルフ」原作にも登場する。農夫の娘のコスプレ。

 

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ちなみに、私がマリー・ヴェッツェラといえば一番に思いつくのは、この絵。王室家具博物館にあるマリーのヌード絵。死までの2週間のどこかで、ルドルフが描かせたものと言われている。

 

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マリーの写真を探してるうちに、マリーの家族も見つけたので、次回はマリーの母や姉、兄についてご紹介します。「別れの手紙」をもらった人たちなので、見た目もちょっと気になってました。

 

 

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2015-08-19 07:09 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

さて、前回、マリー・ヴェッツェラの母、弟、姉の「別れの手紙」を訳してみましたが、少し考察でも。。

 

この三つの手紙を見ると、急にマリーへの印象が変わる気もします。特に姉への手紙。「この愛に抗うことはできません」と言う印象的な(二度使われている)フレーズ。

 

この手紙の文面を扱った新聞記事(Tragödie von Mayerling 1889: "Ich gehe fidel hinüber" - Panorama - Süddeutsche.de)やKronenzeitungの日曜版雑誌でも、心中事件の人間関係がひっくり返るようだ、との記述があり、印象が変わったのは私だけではないという感じがします。

 

少なくとも、この手紙を読むまでは、私の中では、モテモテのファッションリーダーでちやほやされていたマリーは、手練手管を使って皇太子ルドルフをたらしこみ、他のルドルフの愛人たちを出し抜いで、一番であることを証明するために、心中に追い込んだという印象でした。何となく、ルドルフは被害者っていうイメージ。

 

(もちろん、「うたかたの恋」やミュージカル「ルドルフ」であるような、相思相愛のロマンチックなロミジュり的悲劇だとは思ってませんw)

 

けど、この手紙を読んで色々調べていると、やっぱりたらしこんだのはルドルフの方で、マリーは無知で世間知らずだった上、皇太子に惚れ込んでいたので、いいように操られ、利用されてしまったという印象も。

 

ルドルフは本命愛人ミッツィ・カスパー(23歳)に心中を申し込んで、既に断られた後、マリーに申し込み、OKされてから初めての関係を結んでいます。それが心中の2週間前。ミッツィが心中にOKしていたら、マリーと関係を結ぶこともなかったのかも?なんて勘ぐってしまいます。

 

皇太子は、熟女からプロから十代まで恋愛経験豊富な30歳、マリーは処女でファッション大好き下級貴族17歳(母親がルドルフの元愛人)。公平な恋愛とは言えません。

 

で、この手紙。マリーは周りの大人たちに煽てられ、ほれてしまった憧れの皇太子の言うがままに、大好きな皇太子の頼みは何でも聞いてあげたくて、一緒に心中することにしちゃった、っていう印象になるよね?

 

私の読んだ記事(Tragödie von Mayerling 1889: "Ich gehe fidel hinüber" - Panorama - Süddeutsche.de)では、マリー・ヴェッツェラは「女性と一緒に死ぬと決めた高位の貴族(皇太子)の死のグルーピー」と言う表現をされています。言いなりになって行き過ぎちゃったファンって感じですね。

 

また、Kronenzeitungの日曜版雑誌でも「この手紙の与える印象は、皇太子がティネイジャーを操り、道具にしたというもの。皇太子はこの娘に、愛を誓い、妻の文句を言って、心中によって一緒になれると言いくるめた」「一方的な愛」「マリーにとってはルドルフは、間違った女性と結婚してしまい絶望した男で、マリーがいないと生きていけない男だと思い込まされた」とあります。

 

まだ断定することはできませんが、マイヤーリンク事件の後で作られた「皇太子をたらしこんだ悪女マリー」像は、今回の手紙によって塗り変えられる可能性が出てきました。

 

 

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2015-08-17 07:11 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

新しく発見された、マリー・ヴェッツェラの母、姉、弟に宛てられた手紙について紹介しましたが、今回は、皇太子ルドルフの遺書や別れの手紙(こちらは既に知られているもの)をご紹介します。

 

<皇太子ルドルフから妻シュテファニーへの別れの手紙>

 

Liebe Stephanie!
Du bist von meiner Gegenwart und Plage befreit.
Werde glücklich auf Deine Art.
Sei gut für die arme Kleine, die das einzige ist, was von mir übrig bleibt.  Allen Bekannten, besonders Bombelles, Spindler, Latour, Szögyeny, Gisela, Leopold etc.etc. sage meine letzten Grüße.
Ich gehe ruhig in den Tod, der allein meinen guten Namen retten kann.  Dich herzlichst umarmend, Dein
Dich liebender
Rudolf

 

シュテファニーへ
私の現在と苦しみから、あなたは解放された。
あなたのやり方で幸せになりなさい。
私に唯一残された、かわいそうな子供たちによくしてやってくれ。
Bombelles, Spinlder, Lautour,  Szögyeny, Gisela, Leopoldなどなどに、私から最後の挨拶を伝えてくれ(Gisela, Leopoldは知り合いではなく親戚。Szögyenyは、この手紙を含む複数の手紙の宛先)。
私は静かに死に向かう。この死だけが私の「良い名前」を救うことができる。

あなたを心から抱きしめて、あなたを愛しているあなたのルドルフ。

 

この妻への手紙は、部局長Szögyenyに宛てられた手紙(ハンガリー語)に同封されていました。

 

Lieber Szögyeny!

Ich muß sterben, das ist die einzige Art, zumindest wie ein Gentleman diese Welt zu verlassen.
Haben Sie die Güte, meinen Schreibtisch hier in Wien im Türkischen Zimmer, dort, wo wir in besseren Zeiten so oft zusammen saßen, aufzumachen und die Papiere so zu behandeln, wie es in meinem letzten Willen - hier beigeschlossen - aufgeschrrieben Herzlichst grüßend, und Ihnen und unserem angebeteten ungarischen Vaterland alles Gute wünschend

bin ich Ihr
getreuer Rudolf

 

Szögyenyへ
私は死ななければならない。これが「ジェントルマン」としてこの世界を去ることができる、唯一の方法だ。
あの良かった時代によく一緒に座った、ウィーンの「トルコの部屋」の私の机を開け、私の遺言として書類を処理してくれないか。
心からよろしく。あなたと私たちのハンガリーの母国にも幸せを祈る。

あなたに忠実なルドルフ


こちらは、上記の部局長Szögyenyが、その他の手紙をどう処理するべきか具体的に指示した書面。


Sekt. Chef von Szögyeny-Marich soll die Güte haben, allein gleich meinen Schreibtisch im Türkischen Zimmer in Wien aufzumachen.  Folgende Briefe wurden verschickt:

1. An Valerie
2. An meine Frau
3. An Baron Hirsch
4. An Mizzi Caspar

 

Was von Geld sich vorfindet, bitte ich alles Mizzi Caspar zu übergeben. Mein Kammerdiener Loschek weiß ihre Adresse genau. Alle Briefe der Gräfin Larisch Wallersee und der kleinen Vetsera an mich sind allsogleich zu vernichten.

 

Mit den anderen Schriften kann Szögyeny nach Gutdünken handeln, mit militärischen sich früher mit Oberstlieutnant Mayer ins Einvernehmen setzen.

Rudolf

 

部局長Szögyeny-Marichは、ウィーンのトルコの部屋の私の机の引き出しを一人で開けること。以下の手紙を送ること。

1. Valerie宛て
2. 妻宛て
3. Hirsch男爵宛て
4. ミッツィ・カスパー宛て

 

そこにある金は全てミッツィ・カスパーに上げてほしい。私の侍従Loscheckが住所を知っている。Larisch Wallersee伯爵夫人(ラリッシュ夫人)と小さなVetsera(マリー・ヴェッツェラ)に宛てた私の全ての手紙は破棄するよう。

 

他の文書についてはSzögyenyの意思に従って扱うよう。軍事書類は事前にMeyer大尉に事前に相談するよう。

ルドルフ

 

http://www.mayerling.de/arch_briefe.htm

 

ちなみに、ルドルフとマリーの「別れの手紙」リストはこちら。

 

ルドルフ
・ハイリゲンクロイツのPrior宛ての電報
・侍従Loschek宛ての手紙かメモ
・友人で部局長Szögyeny宛て(本文あり)
・妹Marie Valerie宛て
・妻シュテファニー宛(本文有り)
・Hirsch男爵宛て(仕事について)
・愛人ミッツィ・カスパー宛て
・母エリザベート宛

 

マリー
・母ヘレネ宛て
・姉Hanna宛て
・弟Feri宛て
・ミゲル・デ・ブラガンツァ(元婚約者)宛て

 

 

<ひとこと>

 

ルドルフの手紙はもっとたくさんあるんですが、見つかっているものはこれだけです。明らかにミッツィとかに宛てた手紙があるのに、発見されていないのは残念!

 

しかし、ラリッシュ夫人とマリー宛の手紙は全部破棄っていうのが、ピンポイントで色々罪悪感あるんだろうな。。

 

それにしてもマリーは手紙の内容を親友に報告していたし、ラリッシュ夫人は沢山手記を出版してるし(マリーの母も)、手紙破棄の命令したくらいで口をふさげると思っていたんだろうか。。

 

皇太子ともあろう人は、色々大事な書類も扱ってたはずなのに、「好きに取り計らえ」だし、なんだか遺書としては内容薄いなー。

 


 

 

 

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2015-08-15 07:11 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

今日は、マリー・ヴェッツェラが死の直前に、親友に送った手紙の内容をご紹介します。

 

この親友と言うのは、マリーのピアノの先生でもあり、最もマリーが信用していたHermine Tobisという人物。マイヤーリンク事件の前にはフランクフルトに引っ越していたので、マリーはルドルフとの恋愛の詳細を、この人だけには詳細に書き綴っていました。

 

今回発見された紙入れの中には、このHermineからマリーの姉Hannaに宛てられた手紙(おそらく心中事件の数週間後には姉の手元に届いた)が入っており、心中事件直前のマリーの心境が新たに明らかになりました。

 

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こちらが、Hermineからマリーの姉への手紙。

 

マリーはルドルフに、二人の関係の事を誰にも知られないようにと言っていましたが、マリーはこの親友Hermineだけには、全てを書いて送っていました。

 

ルドルフがマリーに送った手紙も、マリーは読んで返却しなければなりませんでしたが、その内容をマリーはHermineに書き綴っています。このHermineからマリーの姉に宛てた手紙には、その引用が多く残されていますので、マリーとルドルフの恋愛の謎がかなり解き明かされています。

 

かなり長いので、この雑誌に載っていた引用をご紹介します。「」の中の文章は、マリーからHermineの手紙の引用。

 

・「彼を幸せにするために私の命を差し出すことができるなら、喜んでそうするわ!」
・マリーが処女を失ったのは、死の2週間前に、ホーフブルクにて。
・「昨日7時から9時まで彼のところにいたの。私たちは二人とも気が狂ったようだったわ。そして私はー『女』になりました!」
・「私が彼に『王冠の後継者』を贈ることができたら!」
・「あなたが話してくれたら、物事はもっと早く進むでしょうに!」
・ルドルフの手紙をマリーは手元に置いておくことは禁じられていた。全ての手紙は皇太子の側近に手渡された。

 

 

また、記事の中にあった、ルドルフからマリーへの手紙の引用二か所:

 

Lieber Engel, ich kann nicht leben mehr ohne dich (sic!), sei nur vorsichtig damit wir nicht entdeckt werden, wenn ich dich nicht mehr sehen duerfte, wuerde ich wahnsinnig. Komm bald zu deinem R

 

「愛する天使。君なしには生きていけない(ohne dir(三格)をohne dich(四格)と間違えて書いている)。我々の事は見つからないように気を付けてくれ。君に会えなくなるなんて、僕は気が狂ってしまう。君のRの所にすぐ来て欲しい」

 

下の手紙は、マイヤーリンクでの心中に呼び出したときの手紙。

 

Lieber Engel, ich kann nicht laenger sein, ohne dich wieder zu sehen. Komme also zu mir. Bratfisch wird dich an der Ecke der Gasse erwarten, Dein R.

 

「愛する天使。君に会わないでこれ以上いるのは無理だ。僕のところに来てくれ。ブラートフィッシュ(御者)が道の角で待っている。あなたのR」

 

 

上記の引用は、Hermineからの手紙として、この記事には書いてありましたが、なんだか見たことあるような文章もあるので、ちょっと出典が混じっているかもしれません。。あとで確認してみますが、とりあえず記事しておきますね。

 

 

 

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2015-08-12 07:18 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

7月30日にウィーンで発見された、マリー・ヴェッツェラの「別れの手紙」続報です。今日は母、弟、姉に宛てられた手紙の文面をご紹介します。

スペルミスや文法ミスは原文のままです。

 

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<マリー・ヴェッツェラから母Heleneへの「別れの手紙」全文>

 

Liebe Mutter: „Verzeih mir was ich gethan. – Ich konnte der Liebe nicht wiederstehen. In Übereinstimmung mit Ihm will ich neben Ihm im Friedhof von Alland begraben sein. – Ich bin glügklicher im Tod als im Leben. Deine Mary“

 

「お母様、私のしたことを許してください。この愛にあらがうことはできませんでした。彼(ルドルフ)の同意を得て、Allandの墓地の彼の隣に埋葬されることを希望します。私は生きている時より、死んでいる方が幸せなのです。あなたのマリー」

 

この本文は、母の手記の中で記載されていたので、既に知られていましたが、破棄されたと考えられていました。ミュージカル「ルドルフ」原作にも登場しますね。

 

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今回発見された、自筆の手紙

 

<マリー・ヴェッツェラから弟Feriへの「別れの手紙」>

 

„Mein lieber Feri – Leider konnte ich Dich nicht mehr sehen. Leb wohl, ich werde von der – anderen Welt über Dich wachen weil ich Dich sehr lieb habe. – Deine treue Schwester Mary“.

 

「Feriへ。残念ながらあなたにもう会うことはできません。元気でいてね。あなたの事が大好きだから、あなたの事は別の世界から見守っていますよ。あなたの姉Mary」

 

 

<マリー・ヴェッツェラから姉Hannaへの「別れの手紙」>

 

こちらは、他の二人宛てよりも長く、追伸では細々とした用事を頼んでいます。この追伸がなかなか興味深いです。原文にスペルミスや口語も多く、そのまま記載しています。

 

„Meine liebe Hanna – Wenige Stunden vor meinen Tod will ich dir adieu sagen. Wir gehen beide selig in dass ungewisse Jenseits. Denk hie und da an mich. Sei glücklich, und heirathe nur aus Liebe. Ich konnte es nicht thun und da ich der Liebe nicht wiederstehen konnte so gehe ich mit Ihm

 

「Hannaへ。私の死まであと何時間か。あなたにさようならを言いたい。私たちは魂となって、見知らぬあちら側に行きます。ときどき私の事を考えてね。幸せになって。愛する人とだけ結婚しなさい。私にはそれができなかったし、この愛に抗うことはできないのだから、私は彼と行きます。」

 

更に、姉への手紙には長い追伸が付いています。

 

P.S. Vergiss nicht den Starl den Ring zusenden, ich lasse ihn grüssen und denke sein in treuer Freundschaft.

 

Der Bratfisch hat uns gestern ideal vorgejodelt, ich habe ihm meine Uhr und Mondstein Ring geschenkt. Die Familie Hulka ist ganz unschuldig, ich habe alles aus freiem Willen und ohne Hilfe gethan.

Sag dem Eder dass ich nicht singen kann nächsten Samstag.

Meinen Schmuck vertheile ungefähr so wie du es am besten findest.

Weine nicht um mich ich gehe fidel hinüber

Den monsieur D. lass ich grüssen und lasse mich bei den Spatenbräu

Rendezvous entschuldigen.

Es ist wunderschön hier draussen man denkt an Schwarzau. Der

Philipp Coburg jagt heute hier leider ist die schöne Louise nicht mit.

 

Denk an die Lebenslinie in meiner Hand! Jetzt nochmals leb wohl! Richtig lass die Tobisslin grüssen. Vergiss nicht alle Jahre am 13 Jänner und am Jahrestag eine Gardenia auf mein Grab zu senden und zu oder zu bringen Als letzten Wunsch einer Sterbenden bitte ich die mama für die Familie Hulka auch fernerhin zu sorgen, damit sie nicht durch meine Schuld leiden.

Mary Vetsera

 

P.S.
Stralに指輪を送るのを忘れないでね。彼によろしくと伝えて、彼の忠実な友情に感謝するわ。

 

昨日ブラートフィッシュ(ルドルフの御者)は素晴らしくヨーデルしてくれたわ。彼に私の時計と月の石の指輪をあげたの。

 

Hulka一家は全く無実よ。私はすべて私の自由意思で、誰の助けもなくやったの。

 

Ederに、土曜日歌えないと伝えてね。

 

私のアクセサリは、あなたが一番いいと思うように分けてね。

 

私のために泣かないで。そうしないとそっちに行ってバイオリンを弾いちゃうわよ。

 

ミスターDにもよろしくと。Spatenbräuでの約束に行けないと謝ってね。


ここの外は素晴らしいわ。Schwarzau(地名)の事を思い出す。

 

Philipp Coburg(第一発見者の一人)はここで狩りをしているけど、あのきれいなLouise(妻)は残念ながら一緒に来てないの。

 

私の手にある命の線の事を考えてみて!幸せになってね!!

 

Tobisslin(おそらく親友Hermine Tobisのこと)にもよろしく。

 

毎年1月13日と記念日に、私のお墓にくちなしの花を送るのを忘れないでね。

 

そして、死のうとしている私の最後の望みに、Hulka一家の事を気に掛けるよう、ママに言っておいて。彼らは私のした罪で苦しむことはないのだから。

 

マリー・ヴェッツェラ

 

<ひとこと>

 

母への手紙は既に知られていましたし、弟への手紙は結構短めですが、姉への手紙が面白い。

 

特にこの追伸が、人間関係やら、マリーの性格やら、姉との関係やらが見えてきて、どちらかと言うとかわいい娘さんと言う印象。

 

他にも、今まで知られていなかったHulka一家と言う名前が登場します。どうやらマリーはこのHulka一家に罪が及ばないよう気を使っているようです。

 

このHulka一家が誰なのか、また、親友Hermine Tobisの行く末、マリーの母、姉、弟のその後も気になるところです。

 

 

本文ソース:

http://www.onb.ac.at/files/Abschiedsbriefe_Wortlaut.pdf

 

 

 

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2015-08-10 07:16 | カテゴリ:皇太子ルドルフの歴史

皇太子ルドルフとの情死を遂げた、マリー・ヴェッツェラは、ミュージカル「ルドルフ」でも有名ですが、この度、彼女が死の間際に家族に書き送り、破棄されたとされていた「最期の手紙」が、銀行の歌詞金庫の中から発見され、歴史ファンが騒然となっています。

 

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新聞記事等でよく引用されるマリー・ヴェッツェラの写真

 

速報や詳細は、ツイッターの方で随時つぶやいていたんですが、あまりにリツイートやお気に入り等の反響が大きく、私も驚いています。

 

それでは、つぶやきの内容をまとめておきますね。

 

<メディア記事と速報>

 

破棄されたとされていたマリー・ヴェッツェラの死の直前に書かれた「別れの手紙」が見つかった!世紀の発見!

"Sensationsfund": Abschiedsbriefe von Mary Vetsera entdeckt « DiePresse.com

 

「この愛に抗うことはできません。私は生きているより死んでいる方が幸せなのです」という、有名なマリーの母に宛てた手紙の他に、弟と姉宛の手紙も見つかったとか。来年のフランツヨーゼフ死去100年の展示で一般公開されるとのこと。

 

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マリー・ヴェッツェラと皇太子ルドルフが心中事件を起こしたマイヤーリンク(当時は狩猟の館、今は修道院)

 

マリー・ヴェッツェラ最後の手紙に関する英語記事

Mary Vetsera's suicide letters found - The Local

 

<詳細記事、続報>

 

マリー・ヴェッツェラの最後の手紙に関する詳細記事が、 今日のKronenzeitungの日曜版雑誌に載ってた!

 

ウィーンの銀行の金庫で見つかった書類ケースに入っていたのは、マリーが唯一ルドルフとの仲について打ち明けた友人Harmine Tobisが、事件後マリーの姉に送った書類。

 

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こんな風に日曜版の雑誌に4ページのしっかりした特集。

 

マリーの親友Hermineから姉に送られ、銀行で発見された書類ケース(雑誌の上のページの真ん中の茶色い四角い物)の中には、母への有名な最後の手紙、姉Hannaと弟Feriへの手紙、Hermineに宛てられたマリーからの手紙、Hermineがマリーの姉に事情を書き記した手紙、死亡記事、マリーの髪の毛の束などが入っていた。

 

この中でも、マリーの母への手紙は、母の手記の中にも書かれているため、内容は知られていた。母の遺言に従い、唯一残された姪によって、二人の証人の前で焼き捨てられたはずだった。ちなみに母の手記には、マリーに不都合な事実は伏せられていたため、今回の発見で新しい事実も明らかになるだろう。

 

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この記事に載っていた、マリー直筆の母への別れの手紙。殴り書きっぽくも見える。「私は生きている時より、死んだ方が幸せ」という重い内容なのに、迷いなく書かれた様子で、どういう心境で書いたのだろう。

 

 

記事によると、今回の発見で明らかになったのは、ルドルフとマリー・ヴェッツェラの関係の、マリー側から見た事実。マリーが親友に宛てた手紙には、彼女の感情が書き綴られていた。ルドルフがマリーに都合のいい情報だけを知らせ、思いのままに彼女の感情を操っていた可能性もある。

 

ルドルフはマリーにしきりに妻との不仲を訴え、マリーは彼には自分しかいないと信じ込むようになり、彼を偶像視していった。30歳の皇太子にとって、17歳の小娘なんて簡単に転がせる。マリーはルドルフには愛人ミッツィ・カスパーがいて、ミッツィに先に心中を持ちかけていた事も知らなかった。

 

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皇太子ルドルフ

 

ミッツィに断られて初めて、ルドルフはマリーを心中に誘い、マリーが承諾して初めて、彼女と寝た。それが心中の二週間前。マリーはその日親友に「私は女になった」と書き綴っている。

 

ルドルフからマリーへの手紙は一枚も残っていない。証拠を残さないため、読んで直ぐに返却された為。なのに、女同士の手紙では全部赤裸々に書かれてしまっていて、プライバシーなんてあったものではない。

 

なぜルドルフは一人で自殺せず、ミッツィやマリーを誘ったか、と言う問いには、 ラリッシュ夫人が答えている。「皇太子は、死後神に自殺の罪に問われ、一人で弁明しなければはらない事を恐れていたのではないか。神の前で、愛のために死んだと証言してくれる人を連れていくために、心中を選んだ」

 

しかし、やはりルドルフにとってマリーは二番手で、誰かと心中できればいいって感じだったのに対し、マリーは皇太子という雲の上の人にのぼせ上がって巻き込まれた、という史実の裏付けになる資料。ミュージカル「ルドルフ」の史実無視っぷりに再びムカムカ。

 

この手紙類は、発見された銀行からオーストリア国立アーカイブに貸与され、電子化されたあと、来年春の皇帝フランツヨーゼフ死後100年展(会場はプルンクザール)にて公開される予定。

 

 

<関連新聞記事>

(未読ですが、後で読み返して関係ありそうな内容があれば記事にします)

Abschiedsbriefe von Mary Vetsera gefunden - wien.ORF.at

Abschiedsbriefe von Mary Vetsera im Safe entdeckt « DiePresse.com

Mary Vetseras Abschiedsbriefe entdeckt - KURIER.at

Geheime Briefe von Mary Vetsera gefunden - In Tresor entdeckt - Wissen - krone.at

Österreichische Nationalbibliothek – Presse

ÖNB: Sensationsfund in der Schoellerbank: Österreichische Nationalbibliothek erhält verloren geglaubte Abschiedsbriefe von Mary Vetsera | VÖBBLOG

"Ich bin glügklicher im Tod als im Leben" - Zeit - derStandard.at › Wissenschaft

Tragödie von Mayerling 1889: "Ich gehe fidel hinüber" - Panorama - Süddeutsche.de

Mayerling: ワbersicht der Abschiedsbriefe ←情報はまだアップデートされていないが、マイヤーリンク関連の手紙のアーカイブ

 

 

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