2016-03-11 16:28 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトと磁気療法で有名なメスマー博士の関係について、ちょっとだけ書く予定が、調べて行ったらどんどんハマってしまい、気がついたら8記事目。。

 

というわけで、そろそろまとめに入ります。

 

●史実まとめ

 

まず、史実としてメスマーは、金持ちの未亡人と結婚した有名な医師として、10代のモーツァルトのパトロンだったことは記録に残っています。

 

12歳と16歳のモーツァルトの世話をして、オペラの作曲や自宅での演奏会を依頼しています。ヨーロッパ旅行に飛び回っていたモーツァルト一家にとって、ウィーンでの頼りになるクライアントといったところでしょうか。

 

また、モーツァルトは後に、オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」の中で、メスマーの磁気療法に言及しています。

 

●ミュージカルの登場シーンまとめ

 

上記の記録に残っているメスマーとモーツァルトの交流の内、ミュージカルに登場するのは12歳の時のメスマー邸での演奏会のみです。ただし、この場面は初演版のみで、ウィーン新演出版ではモーツァルト6歳でのシェーンブルン宮殿での演奏会に差し替えられています。

 

また、ミュージカルのプロローグで登場する、コンスタンツェを連れてのモーツァルトの墓探しは、史実ではない可能性が高いです。また、2幕プロローグとフィナーレで登場する墓場のシーンは、新演出版ではカットされています。

 

さらに、「神よなぜ許される」の画面でコロレドに脳みそを送りつけてくるのもメスマーですが、こちらも歴史的には無理っぽいです。

 

というわけで、表にまとめてみました。

 

モーツァルトの年齢 ミュージカルのシーン(ウィーン初演・ハンブルク、日本) ミュージカルのシーン(ウィーン新演出) 出来事 場所 その場にいた人物 史実?
1809 死後18年 プロローグ プロローグ モーツァルトの頭蓋骨探し サンクト・マルクス墓地 コンスタンツェ・墓掘り 史実ではない?(メスマーウィーン追放後)
1762 6   1幕最初 演奏会・コートを下賜される シェーンブルン宮殿 鏡の間ORローザの間 マリア・テレジア・カール1世、レオポルト、ナンネール 史実(レオポルトの手紙)ただしコートは赤ではない。
1768 12 1幕最初   演奏会 ウィーンLandstrasseのメスマーの自宅の庭/室内 メスマー、レオポルト、サリエリほか 史実(レオポルトの手紙)
1772/8 16     演奏会 ウィーンLandstrasseのメスマーの自宅の庭 メスマー、レオポルト 史実(レオポルトの手紙)
1772/9 16     訪問 Rothmuehle城 メスマー、レオポルト 史実(レオポルトの手紙)
(1777)       メスマー、ウィーン追放。パリへ。     史実
  死後18年 2幕プロローグ   モーツァルトの頭蓋骨探し・ サンクト・マルクス墓地 コンスタンツェ 史実ではない?(メスマーウィーン追放後)
1781/10 25 「ここはウィーン」   モーツァルトのピアノコンサート。その後客が「ここはウィーン」を歌う。 カプツィーナ教会向かいの市営カジノMehlgrube メスマー・サリエリ、男爵夫人、シカネーダー他 史実ではない?(メスマーウィーン追放後)
1782/8 26   「ここはウィーン」 オペラ「後宮からの誘拐」初演。その後「ここはウィーン: ミヒャエル広場の旧ブルク劇場舞台&劇場前(背景は国立オペラ座) ヨーゼフII世 史実
(1784)       メスマー、パリとドイツで療法を否定される。     史実
1784-5 28 「神よなぜ許される」 「神よなぜ許される」 脳みその配達 ザルツブルク コロレド・アルコ 史実ではない?(メスマーウィーン追放後)
(1793)       メスマー、離婚した妻の遺産整理のため再びウィーンを訪問し、再度追放。      
1809 死後18年   フィナーレ モーツァルトの頭蓋骨発見 サンクト・マルクス墓地 コンスタンツェ 史実ではない?(メスマーウィーン追放後)

 

●ミュージカルモーツァルト!でのメスマーの役割

 

しかし、初演当時の生身のメスマーの登場シーンである、プロローグ、2幕始め、フィナーレの内、後の2つがカットされちゃったら、あのプロローグがかなり他の部分と関係なくなって、浮いてくるなー。

 

おまけに脳みそコレクションも史実でないとすれば、あれはかろうじてメスマーを忘れないでアピールだったのかなw.

 

これはやはり、メスマーが当初もっとはっきりした狂言回し役だったという説が色濃くなってきましたねー。メスマーの登場シーンは、初演に至るまででもかなりカットされて、それが新演出版になると、プロローグと脳みそコレクションだけが残されちゃったんだね。。とっても重要なはずの神童コンサートですら、もっと有名なシェーンブルンのコンサートに置き換えられてしまったんだし、、。

 

なんだか、インチキ医者とか色々と言われてる上に、登場シーンも差し替えたりカットされたして、メスマーが段々かわいそうになってきた。。それも、10代のモーツァルトがものすごくお世話になってたって、レオポルトの手紙読んでてすごく感じたし、恩人なわけだし。

 

●まとめ

 

けど、別にモーツァルト!のメスマーの登場シーンが史実か史実じゃないかは、ミュージカルの本筋と関係ないから、別に重箱の隅を突くつもりはないんです。単に調べてて楽しかっただけw

 

クンツェ氏もインタビューで「歴史的に正確であろうと思ったわけでは全くありません」「現代の観客のために、当時の人物を動かしているのです」って言ってるし、メスマーてほんといてもいなくてもいいキャラだしね。。

 

けど、メスマーに着目してみたら、意外な初演と新演出版の違いや、それによる変更の影響が見えてきて、とっても面白かった!田舎の城一個訪れるだけで、ここまで記事が書けてしまうんだから、モーツァルトを巡る史実、ほんと面白い!

 

モーツァルト、メスマー、コロレドと、同時代に生きた個性の強い人物たち。こんな濃い人たちが、このウィーンでウロウロしてたなんで、考えるだけでもワクワクしますね。ちょっと今度、Landstrasseのメスマー邸を見に行ってみようかなー。

 

 

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2016-03-09 16:23 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

ここまで検証してきて、1809年にコンスタンツェが、メスマーとサンクト・マルクス墓地にいるのは難しいのでは?という流れになってきました。

 

それでは、メスマーとサンクトマルクス墓地は無関係だったんでしょうか?これには、興味深い事実が出てきました。

 

メスマーの有名な患者に、盲目の女性作曲家でピアニストの、マリア・テレジア・パラディスMaria Theresia Paradisという人がいます。

 

この人もモーツァルトの同時代人で、おまけにメスマーを取り巻く音楽家ですので、当然モーツァルトとも親交があります。モーツァルトの『ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調』はパラディスのために書かれたと言われています。

 

彼女は3歳頃で視力を失い、18歳になった1766年から11年間、メスマーの治療を受けました。

 

その催眠療法で使われた「グラス・ハーモニカ」という謎の楽器は、当時人を死に至らしめると言われていたため、メスマーはこの治療のために、ウィーンを追放されることになります。(これが理由で、再度妻の遺産整理のためにウィーンに戻ってきても、またすぐ追放されてしまったんですね。。)

 

少し後の時代のものだけど、グラス・ハーモニカってこんなもの。

 

こうやって演奏するらしい。 

 

あと、磁石を使って催眠療法をしている時のメスマーが像になってました。

 

Mesmer. Plastik von Peter Lenk auf der Hafenmole von Meersburg

 

つまり、メスマーの最も有名な患者で、彼の没落の引き金ともなった人の遺体が眠る墓地が、サンクトマルクスだったということは史実です。もしかしてメスマーは、モーツァルトじゃなくてこの盲目の女性音楽家を探していたのでは?なんて勘ぐってしまいます。

 

(次回、モーツァルトとメスマーの関係をまとめます)

 

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2016-03-07 16:21 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

ウィーンミュージカル、モーツァルト!で超脇役で登場するメスマー博士と、モーツァルトの交流について、史実を検証していくシリーズ第6弾です。

 

モーツァルト!に関する記事は、モーツァルト!カテゴリからどうぞ。

 

●ウィーン新演出版で削られた、第二の墓場のシーン

 

・2幕プロローグの墓場

 

ウィーン初演版(ハンブルク版、日本版も)では、1幕のプロローグだけではなく、2幕の始め(プロローグ)もこの墓場のシーンで始まります。

 

コンスタンツェに墓の位置を指定された墓掘りが墓を掘り始め(正しい位置かは別として)、メスマーはモーツァルトに性格ついてコンスタンツェに質問しますが、コンスタンツェは口を閉ざします。

 

ここで興味深いのは、モーツァルトとの関係について、メスマーは「もちろん何度か遠目に見たことはあるけれど」「彼の性格は特異で変わっていたように見受けられたが」とありますが、遠目に見たと言うより、あなた10代のモーツァルトのパトロンで、16歳のモーツァルトはあなたの所に入り浸ってたんじゃなかった?

 

このシーンはウィーン新演出版ではカットされていて、2幕はいきなり「ここはウィーン」からスタートしますね。

 

 

・旧版「ここはウィーン!」のメスマー

 

そして、次の「ここはウィーン」のシーンにもメスマーはいます。この場面、ハンブルク版のリブレットによると、ウィーン(カプツィーナ教会向かいの市営カジノMehlgrube)でのピアノコンサートのあと、メスマー、シカネーダー、男爵夫人を含む観客がウィーンについて色々話してるわけですが、この歌の一番スパイスの聞いている「ナイフを隠して手にキスをする」のソロパート、歌ってるのメスマーだ!

 

メスマー本人が一番、このウィーンの怖さを知っていた人だから、ものすごい説得力あるわ。。この名言を彼に言わせたクンツェ氏すごい!

 

けどね。。この場面にもメスマーは登場できないはずなんだよね。。だって、前述のとおり、メスマーは1777年にウィーンを追放されてるので、この場面の1781年にウィーンにいるのは無理なんだよね。。

 

・新演出版の「ここはウィーン」

 

そしてこのシーン、新演出版では、ミヒャエル広場の旧ブルク劇場の舞台と場所が変わっていて、オペラ「後宮からの誘拐」上演後となっています。皇帝ヨーゼフII世も出てきてますね。

 

ちなみにこの作品は、ヨーゼフII世の命で作られ、旧ブルク劇場で1783年に初演されたので、この事自体は史実です。(背景に使われているのは国立オペラ座の正面玄関ですけど、これはわかりすぎるくらいの転用ですので、間違いと言うのは野暮ですねw)

 

この「ここはウィーン」新演出版の場面にメスマーが目立つ形でいたかどうかはわかりません。

 

 

というわけで、「ここはウィーン」のシーンの場所も登場人物も、ガラッと変わってしまいましたね。年は1782年が1783年に変わっただけで、モーツァルトの年齢も25-26歳なので、大きな影響はないのかもしれません。

 

 

●ラストシーンで再び登場するメスマー

 

あらすじ(初演版、新演出版)によると、ヴォルフガングの死後、ナンネールが小箱を開ける前に、再びメスマーが登場すると書かれています。

 

Auf dem St. Marxer Friedhof hält Mesmer einen ausgegrabenen

Menschenschädel in die Höhe.

 

「サンクトマルクス墓地では、メスマーが掘り出された頭蓋骨を取り出し、高く掲げる」

 

えっと。。新演出版でこのシーン見た記憶ないんですけど。。2幕始めの墓地のシーンと同じく、完全にカットされていると思われます。そもそもモーツァルトの頭蓋骨特定できるわけないしね。。

 

・この場面の詳細

 

ハンブルク版のリブレットを見てみますと、

 

チェチェリア・ヴェーバーがヴォルフガングの死を確認し、レクイエムの報酬として得た金を発見して喜ぶ

→舞台の別の場所で、メスマーが頭蓋骨を興奮して手に取り、コンスタンツェに目もくれず、報酬の入った袋を渡す。金を数えるコンスタンツェ。

→ナンネールがモーツァルトの目を閉じてやり、小箱を開ける、

 

という流れになります。

 

新演出版では、墓場のシーンがカットされ、チェチェリア→ナンネールの順番で入ってきます。チェチェリアの金の小袋もなかった気が。

 

旧版は、チェチェリアの金→コンスタンツェの金→ナンネールの小箱、という流れがとてもきれいな印象です。

 

新板は、なぜ唐突にチェチェリア?で次がナンネールで、目を閉じてあげるのね。からの、小箱(Der Prinz ist fortが流れる)という流れでした。少し疑問が残ったのを覚えています。

 

 

 

(次は、インチキと言われたメスマーの療法に迫ります)

 

 

 

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2016-03-05 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

ミュージカル「モーツァルト!」でのメスマー登場シーンの検証続きです。

 

モーツァルト!に関する記事は、モーツァルト!カテゴリからどうぞ。

 

●メスマーと脳みそコレクション

 

あと、「神よなぜ許される」のシーンで、コロレドに脳みそ送り付けたのもメスマーでしたね。これも史実なのか、メスマーという同時代の有名人を出したかっただけなのか、検証してみました。

 

コロレド

 

FranzMesmer_thumb[2]_thumb

メスマー

 

コロレドの「神よなぜ許される」の直前に、アルコは、「画家の脳みそが、パリのメスマー教授から届きました」と言って、ホルマリン漬けの脳みそを持ってきていましたね。

 

ハンガリー版では、コロレドはそもそも脳みそコレクションルームで「神よなぜ許される」を歌います。コロレドもメスマーも脳みそマニアでコレクター仲間です(笑)

 

けど、ぱっと調べた感じ、コロレドが脳みそコレクションをしていたという話もないし、コロレドとメスマーが交流があったという話も見つかりません。

 

一応、この「神よなぜ愛される」の歌は、コロレドの「芸術の部屋」と呼ばれる場所を舞台としているとリブレットの記されています。「ここには、美術品のレプリカや動物の剥製が置かれている」とされ、コロレドが神と芸術を思考するための部屋ということがわかります。まあ、剥製があったらホルマリン漬けもありそうな気もしますが。

 

コロレド自身知識人で、自然科学から音楽からいろんなことを専門家並みに知っていたので、医学と芸術との関連を脳みそから調査しようと思っていても不思議ではありません。それに、そのコレクションにメスマーが協力していたというのも、あながち嘘ではない気がしてきました。

 

しかしそもそもメスマーは、当時王様レベルの偉い人だったコロレドに、脳みそを送れる立場だったんでしょうか?

 

・メスマーの脳みそ送りつけ事件を検証

 

それでは、メスマーがコロレドに脳みそを送りつけたかどうかを検証してみます。

 

まずはこの脳みそが送られた時期と場所を特定します。場所はアルコが「パリ」と言っていますので簡単ですね。

 

時期は、Der Prinz ist fort(ナンネールが貧しい恋人Franz Armand d'Ippoldと結婚したくてお金がないので、モーツァルトにお金の無心をした)とレオポルトのウィーン訪問の間です。

 

ナンネールが結局この貧しい恋人と結婚させてもらえず、金持ちの15才年上の男の3番目の妻になるが1784年です。また、「神はなぜ許される」の途中でレオポルトが入ってきて、ナンネールの子レオポルトを次の神童にする、という場面がありますが、このレオポルトの孫レオポルトの生年はわかりません。

 

ハンブルク版リブレットによると、次のシーンが1785年3月ザルツブルク(新演出版で削られたシーン、ウィーンに行った父の手紙を読むナンネールと夫の会話のシーン)なので、「神はなぜ許される」とメスマーからのコンタクトは1784~85年の間のどこかの時点ですね。

 

それでは、この間メスマーはどこにいたでしょう?

 

1784年はメスマーにとって重要な年です。当時パリにいたメスマーは、当時の科学者たちの会議にて、彼の手法の一つが否定され、失意の内にパリを去り、イギリス、その後ドイツに行きます。

 

更に翌年、ドイツのライン川沿いの町バーデンにて、同じく彼の磁気療法が否定され、1788年にはドイツのカールスルーエにいたとされています。

 

まあ、パリに行ったりできなくもない距離ですが、メスマの没落の始まりと言っていい時代に、のんきにコロレドに脳みそ送ってる場合なのでしょうかね?

 

おまけにメスマーは、1777年に謎の笛を使った治療法が民衆を不安に陥れるとして、ウィーンから追放されている身です。そんな怪しい人物と、王様レベルのコロレドが親交を持つかどうかも少し疑問に思います。

 

 

(次回で、ウィーン新演出版でカットされた、メスマーの出番を検証します。)

 

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2016-03-03 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトとメスマー博士の関係について、モーツァルト!のミュージカルから史実を検証しています。

 

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今回は、プロローグでメスマーとコンスタンツェが、モーツァルトの遺体を探しに行く、サンクトマルクス墓地について調べてみました。

 

・メスマはコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ったのか?

 

サンクト・マルクス墓地のモーツァルトが埋められたっぽい場所に建てられた「嘆きの天使」

 

さて、最初に戻って、メスマーは本当にコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ったんでしょうか?そして、モーツァルトの遺体を発見したんでしょうか?

 

色々調べてみましたが、これを証明する史実は出てきませんでした。

 

メスマーはウィーンで活躍した後パリに行きましたが、その後人気が落ち、フランス、ウィーン、スイスとウロウロします。最後の20年間に何をしていたかはあまりよくわかっていません。

 

ということは、コンスタンツェと一緒にサンクトマルクス墓地にいた1809年のメスマーは、40年前のモーツァルトのパトロンだった頃のイケイケハイテク医者ではもうなかったということです

 

モーツァルト部分以外のサンクト・マルクス墓地の奥の方はこんな感じ。時間が止まったようで雰囲気があります。

 

・メスマーの住処

 

それでは、このあたりのメスマーの動向を追ってみましょう。1801年までパリにいた事が確認されていて、1809年から1812年にはスイスにいたことがわかっています。物理的に1809年にウィーンにいるのは結構無駄な移動が発生する気がしますね。

 

・メスマーのウィーン追放

 

更に、彼のウィーン訪問を難しくする裏付けがあります。1777年の時点でメスマーは一度目のウィーン追放を命じられています。そしてパリで一通り活躍するわけですね。

 

そして、1793年9月、彼は離婚した妻の遺産整理のため、再びこっそりウィーンに舞い戻ります。しかし、この時スパイに付けられていました。11月に逮捕され、12月にはウィーンを再追放されました。

 

二回も追放されているのに(おまけにスパイまでついてるのに)、1809年にまた戻ってくるって無理がないですか?それも、わざわざフランスかスイスから、モーツァルトの遺体を探しに、このタイミングでウィーンに戻ってくるでしょうか?なんとなく無理な気もしますが。。

 

というわけで、ウィーンから2度も追放されたメスマーがコンスタンツェとサンクトマルクス墓地に行ってモーツァルトの遺体を探した、という話は、史実っぽくない気がします。

 

 

●メスマーはモーツァルトマニア?

 

メスマーが本当にモーツァルトの墓を探しだして遺体を掘り出そうとしたとして、どうしてそんなものが欲しかったんでしょう?ミュージカルでは、メスマーは脳みそマニアだったようですし、もしかしたら昔パトロンを務めた神童の大ファンで、モーツァルトマニアだったのかもしれません。

 

しかし、メスマーが脳みそマニアという史実も、モーツァルトマニアという史実も、残念ながら見つかりませんでした。なんでこんなところで脳内で盛り上がって、ミュージカルまで始めてしまったのか、ちょっとわかりませんね。。

 

モーツァルトマニアと言えば、コンスタンツェと、その再婚夫のニッセンなので(モーツァルトの作品や遺稿を整理したり、ニッセンは伝記を書いたりした)、この二人こそモーツァルトの墓を必死で探したのでは?という気もするけど。

 

コンスタンツェの絵

 

10年位前に新発見されて大騒ぎになった、晩年のコンスタンツェの写真

 

コンスタンツェの二番目の夫ニッセン

 

 

(次回は、コロレドとメスマーの関係に迫ってみます)

 

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2016-03-01 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

偶然訪れた田舎のお城がメスマー博士の居城で、モーツァルトが訪れたことがあるという史実を発見し、そこから取り憑かれたようにメスマーについて調べ出しました。

 

今回は、モーツァルト!のミュージカルに登場するメスマーとモーツァルトの関係について紐解いてみます。

 

モーツァルト!に関する記事は、モーツァルト!カテゴリからどうぞ。

 

モーツァルト

 

FranzMesmer_thumb[2]

メスマー

 

 

この二人が直接会って話すシーンはミュージカル「モーツァルト!」ではありませんが、メスマーは同時代の有名人だけあって、チラチラと名前が出てきます。

 

新演出版に限ると、メスマーが登場するのは2箇所。プロローグとコロレドに脳みそを送りつけるところです。生身で登場するのはプロローグだけですね。おまけにモーツァルト死後ですし。有名人な割に、なんでここだけ登場するの?って少し思っていました。

 

今回調べてみて、昔はメスマーはこの作品でもっと重要な立場であったことがわかりました。こんな視点からこの作品を見て、新しい発見があるとは。。

 

●プロローグ

 

まず、メスマーが一番目立つのはプロローグのコンスタンツェとの会話。メスマーがサンクト・マルクス共同墓地で、金と引き換えにモーツァルトの埋葬された場所をコンスタンツェに特定してくれと頼む場面ですね。

 

サンクト・マルクス墓地のモーツァルトが埋められたっぽい場所に建てられた「嘆きの天使」

 

おそらくメスマーは、モーツァルトの頭蓋骨と脳みその痕跡目当てだったと思われますが(後で脳みそのホルマリン漬けをコロレドに送りつけてるので)、コンスタンツェは墓地の埋葬に同行していないので、どこに埋葬されているかわからないはずです。

 

あらすじや台本では、このサンクトマルクス墓地訪問は1809年11月18日となっています。ここで、40年前のモーツァルトの神童ぶりを思い出すメスマーが脳内で盛り上がって、ミュージカルがスタートします。

 

(この墓地のシーンは、後で詳しく検証します)

 

神童モーツァルトのピアノ披露はいつどこで?

 

★12歳でメスマー邸(ウィーン初演、ハンブルク版、日本版)

 

前のプロローグでメスマーの脳内から物語が展開してるので、次の子供モーツァルトがピアノを披露している場面は、メスマー邸なんです。少なくとも初演版では。

 

(注:ウィーン初演版、ハンブルク版、日本版ともに、この場面はメスマー邸です)

 

・メスマー邸でのモーツァルトの年齢と史実

 

メスマーは実際10代のモーツァルトのパトロンだったので、実際のメスマーの自宅で演奏したと、記録に残っています。

 

この演奏がRothmuehle城だったらいいのになーと調べてみましたが、モーツァルトがRothmuehle城を訪れたのは1772年なので16歳。この場面の神童モーツァルトは1768年5月、12歳です。

 

モーツァルト12歳の年、メスマーの依頼で歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」を書き、ウィーンのメスマーの自宅にて初演されました。(作曲したことは史実ですが、初演に関しては反対意見もあります)

 

メスマーは当時ウィーンのLandstrasse 261に住んでいましたが、この家には研究室やクリニックの他に、大きな庭と劇場があったとのことですので、モーツァルトが演奏するにはぴったりですね!

 

モーツァルトはこの頃、パトロンであるメスマーのために歌劇を作曲したり、演奏会を開いたりしていましたので、この場面はそんな演奏会の一つだと言えます。

 

この時期ピッタリの12歳のモーツァルトの絵がありました!

 

Wolfgang child - 1770

Vienna, 30 July 1768  (1770年?)

12歳(14歳?)のモーツァルト。赤いコートを着ているが、これはマリア・テレジアにもらったものとは別物。

 

・ミュージカル的には、メスマー邸のどこで演奏した?

 

さて、この最初のピアノ披露のシーンが初演でメスマー邸だとしたら、一体場所はどこなんでしょう?Wikipediaのあらすじ(初演当時ののままで、新演出版仕様になってない)によると、こう書いてあります。

 

Am Grab angekommen, erinnert sich Mesmer an den Auftritt des Wunderknaben vor vierzig Jahren auf der Freiluftbühne im Barockgarten seiner Wiener Villa.

 

ってことは、やはり場所は「ウィーンにあるメスマー邸のバロック庭園の野外ステージ」ということで、Rothmuehle城ではないってことですね。

 

 

ちなみに、ハンブルク版のリブレットでは、In einem Baroksaal (…) auf Einladung des Arztes Dr. Anton Mesmerとあるので、「バロックの間にて、医者であるアントン・メスマー博士の招きに応じて」となっています。この場には、サリエリや男爵夫人もいて、アマデは「マリア・テレジアにプレゼントされた、マキシミリアンのコートを着ている」とあります。写真ではアマデは赤いコートを着ています。

 

また、リブレットでは、Auf Wolfgang Amade Mozart!と乾杯の音頭を取るのがメスマーです。(それ以外に一人で言葉を発する場面はありません)

 

・メスマーはルキーニ?

 

この話をちらっとツイッターに書いたら、フォロワーさんが「元々メスマーは、モーツァルト!の狂言回し的な位置づけの予定だったのではないか」とおっしゃっていました。

 

モーツァルト!のルキーニはメスマー!若いころ大人気で、晩年は惨めだったり、ヨーロッパ中飛び回った「天才」だったり、共通点が多いし、ありえますねー。

 

★6歳でシェーンブルン宮殿(ウィーン新演出版)

 

ウィーン初演版、ハンブルク版、日本版では12才でメスマー邸で演奏していたモーツァルトですが、新演出版ではシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で演奏しています。これっていつのことなんでしょう?

 

・シェーンブルン宮殿での御前演奏の史実

 

モーツァルトがマリア・テレジアに呼ばれて、シェーンブルン宮殿で演奏したのは、1762年10月13日(時間帯は15-18時)ですので、12才どころか6歳の時です。(ソース:Wolfgang Amadeus Mozart – 1762 in Passau | Mozart in Passau 1762

 

これが1763年のモーツァルト。マリアテレジアの前で演奏した一年後の7歳。この服、マリア・テレジアにもらったもの。赤くないよね?

 

・シェーンブルン宮殿のどこ?

 

演奏会が開かれた部屋は、鏡の間かローザの間だと言われています。

 

鏡の間はこの部屋

Das Spiegelzimmer (Zustand 1860)

 

ローザの間Rosa Zimmerはこちら

 

 

Die Große Galerie (1961) ←これが、新演出版の背景の部屋じゃない?鏡の間じゃなくて大広間だった。。それも古いバージョン。

 

Große Galerie 2015←最近改装したらしいから、これが今の大広間。

 

部屋を見比べてみたら、新演出版の背景の大広間はちょっと大きすぎるよね。鏡の間かローザの間くらいのサイズが、こういう演奏会にはちょうどいい感じ。

 

・その場にいたのはだれ?

 

モーツァルトは、父レオポルトと姉ナンネールとともに、マリア・テレジアとその夫フランツ1世の前で演奏しました。

 

この時に7歳のマリー・アントワネットにプロポーズしたという伝説もありますね。こちらは伝説だろうと言われていますが、その場にいた人の目撃談として、モーツァルトは演奏後マリア・テレジアの膝に飛び乗って抱きついたという話があり、こちらは真実らしいです。もちろん新演出版モーツァルト!でも膝に飛び乗っていますね♪

 

父レオポルトが知人に書いた手紙で、その様子が目に浮かぶように書かれています。

 

„der Kayserin auf die Schooß gesprungen, sie um den Halß bekommen, und rechtschaffen abgeküßt“.

 

「(ヴォルフガングは)女帝の膝に飛び乗り、首に手を回し、キスをした」

 

また、この御前演奏のご褒美として、史実では上記の絵画で描かれたコートをマリア・テレジアから二日後に贈られます。(舞台では赤いコートを女帝本人から着せてもらう)

 

・ミュージカル版のシェーンブルン宮殿の演奏シーン

 

モーツァルト!新演出版のプログラムを見ると、シェーンブルンでの演奏の年は書いていませんが、そのあとで「14年後に大人になったモーツァルトは~」との記述がありますので、シェーンブルンのシーンは6歳だと推測できます。

 

また、演奏の場所は、シーン紹介では「シェーンブルン宮殿のサロン」とされていますが、背景画は改装前の大広間のように見えます。

 

それでは、エピソード毎に史実チェック!

・シェーンブルン宮殿の演奏は、史実も新演出版も6歳。

・マリア・テレジアの膝に飛び乗ってキスしたのは史実。

・演奏された場所は、史実では鏡の間かローザの間。舞台の背景画は改装前の大広間

・マリア・テレジアから贈られたコートは水色(薄い紫?)で赤ではないあ。また、その場で手渡されたものではなく、後日贈られた。

 

・まとめ

 

というわけで、新演出版では、この「神童披露」の場面は、初演のメスマー邸で12才からシェーンブルン宮殿で6才に完全に変更したようですね。

 

旧版プロローグのメスマー邸での演奏も、新演出版のシェーンブルン宮殿の6才の演奏会も史実です。後はどちらを取るか(メスマーを強調した筋にするか、メスマーを捨てて観光客受けを良くするか)ってことですね。アマデの見た目の年齢は6歳でも12歳でも取れる感じです。

 

(次回はプロローグの謎、メスマーと墓地について紐解きます)

 

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2016-02-24 16:35 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

  モーツァルトとメスマーが実際に会っていた場所を偶然訪れ、二人の関係が気になって調べてみました。もちろんミュージカルにメスマー博士の名前は出てきますしね。

 

ミュージカルでの出番については、後で詳しく検証しますので、今回は先に、史実でのモーツァルトとメスマーの親交について調べてみました。 

 

モーツァルト

 

FranzMesmer_thumb[2]_thumb

メスマー

 

 

メスマーは10代の頃のモーツァルトのパトロンでした。以下がわかっている史実です。

 

・12歳の頃のモーツァルトは、メスマーに依頼されてディヴェルティメンティとオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」(1768)を作曲した 。

 

「バスティアンとバスティエンヌ」初演はメスマー邸だったという話もある。(コンスタンツェの二番目の夫でモーツァルト研究家のニッセン氏は裏付けがないとしているが、多くの人が初演はメスマー邸だったと主張)

 

・1773年16歳のモーツァルトはザルツブルクからウィーンを2ヶ月ほど訪れたが、この時滞在期間中メスマーにとてもお世話になっている。

 

この滞在中、レオポルトやヴォルフガングはナンネールにほぼ3日に一階手紙を書いていますが、そのほとんどすべての手紙には、メスマーの名前が登場します。実際読んでみて、こんなにメスマーメスマー言っているとは驚きです。 (ソースBriefe und Aufzeichnungen←モーツァルテウムのモーツァルトの手紙データベース)

 

Landstrasseにあるメスマー邸で食事を一緒にしたり、メスマーの母親がなくなった話題を出したり、メスマーの患者さんの名前や、治療の道具のガラス器具の話をしたりしています。

 

 

・このウィーン滞在中の1773年8月18日に、ウィーンのメスマー邸の庭での大音楽会で演奏した。そのとき「ディヴェルティメント第7番ニ長調」(K.205)が演奏されたともいわれる。 (ソース:Mozart con grazia

 

letztς Posttag hab ich nicht geschriebς, dan wir hattς eine grosse Musik auf der Landstrasse im Garten.(1773/8/21の手紙)

 

「前回の手紙集配日に手紙を書かなかったのは、Landstrasse庭で大きな演奏会があったからです。」

 

・1773年9月22日にメスマーの居城Rothmuehleを訪れている。(城の入口に記載あり)

 

IMG_7708_thumb[1]

お城の入口。ひょろ撮影。

 

その日の父レオポルトからナンネールへの手紙

 

  Wien dς 22tς Septς:
                                                                                                                     1773.
Ich sehe vor, daß ich vor dem freÿtage odς gar vor dem Samstage nicht werde
abreisen könnς, dan heute sind wir endlich einmal um halbe 12 uhr Mittags
auf die Rottmühl gefahren, und abends nach 7 uhr wiedς zurückgekehrt.
Morgen wird es also ohnmöglich seÿn alles in Ordnung zu bringς: folglich werde
wohl am Samstage abreisen. Alle empfehlς sich! Ich weis eben nichts
andςs zu schreibς. Ich schreibe in Eÿl beÿ dem Jungς hς: v Messmer,
mit dessς frau Gemahlin wir auf dς Rottmühl warς.
Lebts demnach alle wohl! ich Eÿle um die Post nicht zu versäumς.
dies wird also mein letzter Brief seÿn. wir empfς: uns allς
gutς freundς und freundinς in und ausser dem Hause, kissς euch
viel 10000000 mahl u bin dein alter

Briefe und Aufzeichnungen 1773/9/22

 

Rothmuehle城での滞在は昼ごろから夕方7時ウィーン帰着となっていますので、宿泊したわけではなさそうです。また、手紙の後半ではメスマーの名前とその妻、城についても再び言及しています。

 

・メスマーはモーツァルトの肩こりの治療をしていた?(これは資料が見つかりませんでした。。)

 

・メスマーがあのmesmerizeの語源となった催眠療法や磁気療法に傾倒するのは1774年からで、当時はまだ一開業医だったっぽい。メスマーの妻が金持ち未亡人だったから、城に住んでパトロンになれた模様。

 

メスマーの動物磁気治療の様子。

 

ただし、レオポルトの手紙に、1773年に後のメスマーを有名にするグラス・ハーモニカという謎の楽器を演奏していたと書かれています。このグラス・ハーモニカをMiss Davisとレオポルトは呼んでいました。なので、後のメスマー療法のちょうど始まりの時期だったのでしょう。

 

 

・後にモーツァルトはオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(1790)で、磁石で治療するシーンを挿入し(作詞のダポンテに掛け合ってわざわざ入れてもらったとか)、メスマーの治療法に言及した。

 

登場シーンは1幕のラスト。

 

あらすじ(Wikipedia)によると、こんな感じ。

 

姉妹は庭で恋人を想う二重唱を歌う。そこへ変装したフェルランドとグリエルモが現れ、絶望のあまり毒を飲んだふりをする。姉妹は驚き、変装した二人に同情しかかる。医者に変装したデスピーナが現れ、「磁気療法」を二人にほどこす。デスピーナは、のた打ち回る二人を支えるように姉妹に命ずる。意識を取り戻した二人は姉妹にキスを迫り、混乱のうちに幕を閉じる。

 

コシは、男二人と女二人の恋の駆け引きの楽しく軽い話なので、男二人が、磁気治療医者に変装した別の女に、ニセの毒薬効果を偽の磁気治療で直してもらい、2カップル登場してめでたしめでたしってわけですねw.

 

該当の歌詞:

In poch'ore, lo vedrete,
Per virtù del magnetismo
Finirà quel parossismo,
Torneranno al primo umor.

 

磁気治療のおかげで発作が終わり

元の楽しい様子に戻ります」

 

2幕にもこんな歌詞が登場します。

Ed al magnetico signor dottore
Rendo l'onore
Che meritò!

 

セニョール・磁気ドクター

あなたに名誉を与えます。」

 

 

というわけで、12歳の時にオペラ作曲を依頼、自宅でオペラの初演(たぶん)、16歳の時に自宅で大演奏会、さらに、ウィーンから結構離れた田舎の居城までわざわざ訪問、極めつけは、後々人気作品で磁気療法を取り上げてネタにするなど、この二人の関係はかなり深かったと言えるでしょう。

 

レオポルトからナンネールへの手紙にも、メスマーの名前は多く登場しますし、コシでおちょくったとはいえ、モーツァルトの10代を支えてくれた恩人なわけですから、メスマーに感謝していたのではないでしょうか

 

(次回は、ミュージカルの中に出てくるメスマーを検証してみます)

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2016-02-22 16:35 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

12月くらいに、中世騎士祭りがあって、Schwechat方面にあるSchloss Rothmuehleというお城に行ってきました。

 

Rothmuehle_Main01

お城外観(公式サイトよりRothmühle

 

そしたらなんと、入り口に、「1773年9月22日に、ここに住んでいたメスマー博士を訪ねて、モーツァルトが逗留したことがある」ってて書いてあるじゃないですか!

 

IMG_7708

お城の入口。ひょろ撮影。

 

IMG_7709-crop

お城の入口に貼ってある、モーツァルト滞在の記念プレート。ひょろ撮影

 

●お城について

 

このSchloss Rothmuehle、昔メスマー教授の妻が所有していて、二人はここに住んでいたとか。モーツァルトがここに住むメスマーを訪れているなんて!中世騎士祭りに来て、モーツァルトの足跡を見つけるとはね。

 

お城はこんな感じで、まあ、ちょっと田舎の宮殿って感じ。すごい豪華とか派手派手しいこともなく、身の丈サイズ。

 

330px-Rothmühle

Wikipediaより

 

Rothmuehle_Main02

中庭。公式サイトより。

 

結婚式とかセミナーにも使えるし、宿泊もできる。この規模のお城らしく、宿泊も全然高くない(二人部屋100ユーロ以下)。ウィーンからの距離も程よく、結婚式して朝まで踊って、泊まって帰るのにはぴったり。周辺に見所がないので、泊まるだけのために来るのは面白く無いかもだけど。(←城マニアなので、城がビジネスにどう生かされてるか、いちいち調べてしまうw)

 

今回は中庭が中世騎士祭りの会場をにもなってたし、色々とイベントに貸し出してるっぽい(お祭りも楽しかったので、また機会があれば記事にします)

 

 

●メスマー博士って誰?

 

メスマー博士ってだれ?って人のために、軽く解説ー。モーツァルトの時代の人で、動物磁気やら催眠術やらを使って治療をしていた、当時のハイテク医者。

 

FranzMesmer

フランツ・メスマー。顔調べたら、ウィーン版モーツァルト!のメスマーの人とそっくりでビックリしたw

 

まあ、今から考えたらインチキだったわけですが、いろんな病気を直したりしたので、一躍ウィーンでは時の人。

 

今では、メスメライズMesmerizeという英語の単語は「催眠術にかける」「幻惑してうっとりさせる」って意味で、単語にまで名前が残ってしまうような人なんです!

 

(次回は、史実上のモーツァルトとメスマーの親交について、その次からミュージカルの中に出てくるメスマーを検証してみます)

 

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2014-09-25 06:35 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

さて、前回の記事で、「モーツァルトが弾いた当時のチェンバロの音色が聞けるCD」をお客様のご要望で発見し、とても喜んでいただいたというお話を書きました。

 

今回は、さらにそのチェンバロの出処の謎解きをしてみます。こういうのって始めちゃったら止まりませんよねー(笑)。

 

●謎解きの続き

 

お客様に回答したメールで少し気になるのは「モーツァルトが実際に使った楽器であるかは推定と言われています」の部分ですよね。本当にこのチェンバロをモーツァルトが演奏したの?記録に残っていないにしても、このチェンバロとモーツァルトの間には何らかの関係があるはずだよね?って思いませんか?

 

さて、この記事を書くにあたって、もう少しこのモーツァルトと、この演奏に使われたチェンバロを作ったチェンバロ職人Burkat Shudiについて調べてみましたので、謎解きの続きもお楽しみください。

 

●チェンバロ職人Shudiとモーツァルトの接点

 

スイス人チェンバロ職人のBurkat Shudi(スイス名はBurkhart Tschudi)は、ロンドンでチェンバロのアトリエを持って仕事をしていました。Shudiは当世随一のチェンバロ職人で、当時の有名な作曲家(ヘンデルやハイドンなど)や王侯貴族(マリアテレジア女帝、ドイツのフリードリヒ2世、イギリス王ジョージ3世)とも交流がありました。

 

File:BurkatShudi.jpg

Schudi一家の肖像画はロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーにあるそうです。一番左がSchudi。

 

File:ClavecinShudi.JPG

Schudiがジョージ3世のために作ったチェンバロ

 

そんなShudiに、演奏旅行でロンドンに来ていたモーツァルトが出会い、彼のチェンバロを演奏することをとても喜んだと言われています。9歳の時のモーツァルトが1765年夏にロンドンのShudiのアトリエを訪れ、Shudi作のチェンバロを演奏したという記録が、父レオポルドの手によって残っています。

 

●1765年にモーツァルトが実際に演奏したチェンバロのその後

 

実はこの1765年にモーツァルトがロンドンのアトリエで弾いたチェンバロは、Schudiがドイツのフリードリヒ2世の注文を受け作成したもの(Nr. 496)で、この後でドイツのサンスーシ宮殿に届けられます。

 

(Schudiはこれ以前に1745年に一つ、これ以後1765-66年の間にNr. 511と512をフリードリヒ2世のために作っています)

 

この、フリードリヒ2世に注文され、9歳のモーツァルトがアトリエで引いたチェンバロは、1932年にフリードリッヒ大王のBreslau城(現Wroclowポーランド)にて発見されます。このチェンバロは第二次世界大戦までこの城にありましたが、その後失われてしまったと記録されています。

 

調査によると、第二次世界大戦中に、このチェンバロを所蔵していたWroclow城博物館は、重要な所蔵物をSilesia地方の各地に隠しました。このチェンバロはPrudnikに隠され、その後その地域か、すぐ近くの国境を越えたチェコの博物館に所蔵されたと考えられますが、発見はされていません。

 

これが、1932年に撮影された、1765年にモーツァルトが実際に演奏したSchudiのチェンバロNr 496です。

 

WS000007

 

Shudi's Harpsichords for Frederick the Greatより)

 

●1771年制作の、CDで演奏されているチェンバロについて

 

このCDに使われているのは1771年作のチェンバロですので、モーツァルトがこの1965年に演奏したのとは別の楽器のはずです。

 

そういう意味では、この1771年のチェンバロは、モーツァルトが実際に触ったことのある楽器であるかどうか確定したわけではないですが、当時のモデルであり、かつモーツァルトが使用したチェンバロを作った職人の作であることは確実です

 

Schudiとモーツァルト家は長く交流があったので、他の機会に演奏された可能性は十分ありますし、実際モーツァルトが訪れた貴族の家にShudi作のチェンバロがあったとの記述もあります。

 

現在この1771年作のチェンバロはShudiの故郷であるスイスの

Museum des Landes Glarusに所蔵されていて、時々このチェンバロでモーツァルトを演奏するコンサートが開かれているそうですMozart im Freulerpalast - glarus24.ch

 

また、このコンサートの記事を探していたら、この1771年のチェンバロの演奏写真も出てきました。

 

Ein musikalischer Abstecher in die Biedermeierzeit - glarus24.ch

 

この記事にも説明がありますが、1771年のチェンバロ=モーツァルトが弾いたというわけではなく、「モーツァルトが1765年にチェンバロと同じ職人による作品」と記載されています。

 

この博物館のサイトにも、おそらくこのチェンバロと思われる写真があります。

 

-(neues Fenster öffnet Foto in Originalgrösse)

Museum des Landes Glarusのサイトより。

左端に鍵盤の楽器が見えますが、新聞記事のものと似てますね。

 

というわけで、モーツァルトが実際に弾き、現在は失われてしまった1765年のチェンバロと、モーツァルトが弾いたかどうかは定かではないが、同じ職人によるチェンバロで、このCDで使われた1771年のチェンバロは、両方写真で確認することができ、調査としては大満足です。

 

 

参考までに、Shudi作ではありませんが、1780年にウィーンで作られたモーツァルトのコンサート用のピアノがこちら。

 

Mozarts Konzertflügel - um 1780 in Wien gebaut
Mozarts Konzertflügel - um 1780 in Wien gebaut

 

というわけで、謎解きしていくうちに色々と興味深い事実がわかってきましたねー。モーツァルトは9歳にしてロンドンに演奏旅行に行って、当代随一のチェンバロ職人のアトリエまで訪れていたんですね!なんだか当時の交通機関を考えると、気が遠くなるような話です。

 

 

●今までに調べたもの

 

今回はモーツァルトのCDとウィーンらしいお問い合わせでしたが、他にも「デザインのかわいいドイツ語手芸本」「盛り付けのステキなオーストリア料理の本」「日本語で読んで気に入った絵本の原語(フランス語)版」「おすすめドイツ語クリスマス絵本」「振付家○○のバレエのDVD」など、ミュージカル以外の書籍やCD,DVDを探すお手伝いもしたことがあります。

 

ウィーン・ミュージカル・ワールド」では、音楽の都ウィーン在住のネットワークと語学力を生かして、できるだけお客様のご希望に合った商品を、ヨーロッパ内くまなくお探しします。

 

もし、長年お探しの品がありましたら、ぜひお問い合わせください♪

 

 

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2014-09-23 06:34 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

ウィーンミュージカル専門店「ウィーン・ミュージカル・ワールド」では、ウィーンを中心にした海外ミュージカルのCDや楽譜を主に扱っていますが、時にはバレエやクラシックのCDや、絵本などのお取り寄せのお問い合わせが来ることもあります。

 

 

そのお問い合わせがまた、結構私のツボにはまったりするので、つい聞かれたことを調べまくって、謎解きみたいになったりします。

 

今回は、そんなお客様からのお問い合わせ(謎解き?)をご紹介しますね。

 

まず、お客様からのご質問はこんな感じでした。

 

===

 

モーツァルトのCDで、モーツァルトが実際にひいていたチェンバロで演奏されたものが、生誕100周年を記念して10年ほど前にオーストリアで製作されたようなのですが、インターネットで探しても見つからず探しています。

 

こちらはミュージカル専門のお店でいらっしゃると思うのですが、このようなCDは扱っていらっしゃるのでしょうか。

 

===

 

なんとも、私のモーツァルト歴史マニアの興味をそそる質問ではないですか!モーツァルトが実際に引いたチェンバロを使って録音したCD!めっちゃ面白そう!

 

チェンバロを弾いているモーツァルトの絵

 

有名なモーツァルト一家の絵。こちらも弾いているのはチェンバロ。

 

というわけで、情報網を駆使して探し回ってみたところ、ありましたありました!

 

モーツァルトのチェンバロ情報だけでなく、こういう古楽器専門の演奏者がいて、マニア的に愛でているという世界が見えてきて、とっても面白かったです。

 

というわけで、私の回答はこんな感じです。

===

 

モーツァルトのオリジナルチェンバロのCDについてのお問い合わせ、ありがとうございます。

 

「モーツァルトイヤーである2006年に製作された、モーツァルトのCDで、本人が実際に弾いていたチェンバロを使って収録されたアルバム」とのことでお調べいたしましたところ、それらしきものが見つかりましたので、お知らせいたします。

 

Siegbert Rampeという古楽器の演奏家が、フォルテピアノ、クラヴィコード、チェンバロなど、モーツァルト時代の古楽器を使って演奏したアルバム「モーツァルト:鍵盤作品全集シリーズ全12集」の8集目(2006年発売)です。

 

5144tP VphL._SX425_

 

曲目は以下のようになっています。(太字部分が該当のモーツァルト時代のオリジナルチェンバロを使って演奏された曲)

 

主題 ハ長調 KV Anh.38(KV383c)、6つのドイツ舞曲 KV509
グルックの歌劇「メッカの巡礼」のアリエッタ「愚かな民の思うには」による10の変奏曲 ト長調 KV455
コントルダンス「雷雨」 KV534a
<以上、フォルテピアノ:B.&Th.ウォルフ1992年製作/ヨハン・シャンツ1795年頃製作のモデルによる>
メヌエット ヘ長調 KV4(ナンネルルの音楽帳より)
クラヴィア小品 ヘ長調 KV15m、同 ハ長調 KV15n
メヌエット ヘ長調 KV5(ナンネルルの音楽帳より)、12のメヌエット KV176
クラヴィア小品 ヘ長調 KV15a、同 ハ長調 KV15b、同 ト長調 KV15c、同 ニ長調
KV15d
<以上、クラヴィコード:A.ウィンクラー2003年に製作/.D.シードマイヤー1796年製作のモデルによる>
クラヴィア小品 ヘ長調 KV15v
同 変ホ長調 KV32/14(「ガリマティアス・ムジクム」より)
ソナタ イ長調 KV331(300i) 「トルコ行進曲付き」
<以上、チェンバロ:Burkat Shudi 1771年製作のオリジナル

 

ドイツ語のタイトル一覧はこちら

61M-iU85bWL

 

このうち、フォルテピアノとクラヴィコードは、当時のモデルをレプリカで再現したものが使われていますが、最後の二曲に使われているチェンバロは、1771年に製作されたオリジナルの楽器です

 

モーツァルトが実際に使った楽器であるかは推定と言われていますが、当時のモデルであることは確実です。(詳細後述)

 

このアルバムに使われている古楽器の詳細は、当CDの冊子に英語、フランス語、ドイツ語で記載されています。

 

 

最後のK331は「トルコ行進曲」を含み、21分と収録時間はこのCD最長です。また、演奏としてもとても評価が高く、一聴の価値はあるようです。

 

録音はスイスで、レーベルはドイツのものです。

 

 

演奏者のRampeは古楽器の演奏者であると同時に音楽史の研究科でもあり、当時の楽器をなるべくそのまま、当時の演奏形式に近い形式で演奏するといった演奏法はかなり特殊と言われています。

 

お客様がおっしゃった、2006年という年も一致しますし、他にこのようなことをするような演奏家がいないことからも、おそらくご指摘のアルバムはこれではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

====

 

というわけで、無事お客様が探していたCDを見つけることができ、お取り寄せにてお買い求めいただきました。ずっと探されていたCDのようで、とても喜ばれていたのが嬉しかったです。

 

そして、この『オリジナルのチェンバロ」の謎解きは更に続きます。

 

 

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2005-10-17 14:05 | カテゴリ:モーツァルトの歴史
なんだか、いても立ってもいられず、呼ばれたような気がしてどうしても行きたかった中央墓地とSt Marx。やっとこの日曜日に実現!それも、一人で行くのはちょっと怖いので、「この日曜日にお墓にいっしょに行こうよ!」って言っても、みんなそんな流行らないことしたくないらしく、同行者を見つけるのが一苦労でした。

今回の目的は、
1.St MarxのMozartのお墓
2.中央墓地のMozart記念碑、ベートーベン、シューベルト、シュトラウス(父、子)などのお墓
3.FALCOのお墓(←これが一番重要!!!)

の3つでした。
まあ、目的が1と2なら、今年中に空いてる週末でふらっと行こうかなあと思ってたんだけど、先週FALCOのお墓が中央墓地にあるとわかって、急に矢も盾もたまらずプライオリティリストの一位に踊り出ちゃったわけです。(FALCOについては後述)

と、前置きはここまでにして、レポ行きます。

●St Marx墓地

ここには、モーツァルトのお墓(Mozartgrab)があるといわれています。ただし、埋葬には家族や妻すら立ち会わなかったため、共同墓地に葬られたモーツァルトの本当の墓の場所は未だに判明していません。(ところで、現在のMozartgrabのある場所は、何かの根拠に基づいて決められたんでしょう。。)

とりあえず、11区SimmeringにあるSt Marxに車で向かいます。町の一角にある緑の地区、といった感じなのですが、門を入ると空気が違う!!!いきなり異空間に迷い込んだようなこの不思議なムードは何!普通ヨーロッパのお墓って、芝生の中に墓石が並んでいて、明るい公園のような雰囲気なんだけど、ここはなんか古くて独特の雰囲気!

DSC04107.jpg

入り口の説明を読んでみると、ここは18世紀中ごろから19世紀中ごろまで使われた墓地で、当時の墓石のスタイルが残っている世界で唯一の墓地だそうです。墓石には嘆く女性や天使などの像が使われたロロコ調のものが数多く残っているとのこと。18世紀中ごろから19世紀中ごろと言うと、モーツァルトからフランツヨーゼフ治世中期ってことで、オーストリアが超重要だった頃!その頃から時間がぴたっと止まったような雰囲気のする墓地です。現在はもう使用されていないので、ウィーン市によって保護されています。そうか。。そういうわけで、時代から取り残されたような雰囲気がするのか。。

左右を見ながら恐る恐る中央の通路を上がっていくと、やはり墓石は崩れて、石像も欠けたりしています。木も生い茂り、奥のほうを除くとかなり入っていきにくいムード。最初は怖いけど、慣れてくると他で感じたことのない独特の雰囲気があって私は気に入りました。地元のおばあさんが一人でベンチに座ってたりして、静謐な雰囲気の中にもほほえましい風景も見られます。

DSC04117.jpg

入り口の門からまっすぐ中央の通路を歩いて、真中の十字架の右手にMozartgrab(モーツァルトの墓)があるはず。行ってみると、既にプロ級のカメラを持ったおじさん2人がMozartgrabの写真をとっています。この静謐でグレーで時代が止まったようなSt Marx墓地において、このMozartgrabだけは時間が動いている感じがして不思議でした。Mozartjahr2006に向けてきれいにしたらしく、周りのグレーの墓石と違って真っ白な記念碑(折れた石柱)と嘆く天使がモダンな印象でした。(個人的には、Mozartgrabも回りの墓石のように朽ちかけたグレーだったらいいのになあとちょっと思ったのですが)

46186644_120.jpg

周りには栗が落ちていて、とても静か!Mozartgrabに来れたことも感動的だったのですが、それよりもこのSt Marx自体の雰囲気がとても気に入ったので、Mozartに挨拶したあと墓地をぐるっと一周してみました。ちょっと怖かったけど、フランツヨーゼフの頃に生きた人たちと実際に対面しているような不思議な体験でした。

(中央墓地編に続く)