2012-06-26 07:55 | カテゴリ:ハンガリー
(連載ブダペストレポ最終編ですー。レベッカレポは別日記で。)

●タパスバー

なんだか、温泉終わってからずっとお腹空いてたので、観劇&出待ちの後で、元オペレッタカフェ(しばらく閉店してたけど、素敵なタパスバーに改装されてました)でちょっとおしゃべりすることに。ハンガリー風のタパスが一皿3ユーロほどで選べる感じ。

せっかくハンガリーなので、冷たいフルーツスープとフォアグラは外せない!「ブラックベリーの冷たいスープラベンダーのアイス添え」「フォアグラのパテと洋なしのコンポート」「ナスのパテとピタパン」の3つを頼みました。どれも美味しい!!!特にブラックベリーの冷たいスープは、ドロっと濃くてもう最高!アイスはラベンダー味というより、バニラアイスにラベンダーオイルのようなものを垂らしていて、ラベンダーの花まで乗ってて、すごく素敵でした♪

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ブラックベリーの冷たいスープ

フォアグラのパテもナスのパテも美味しくて、もう好きなモノばっかりでこんなに安くて嬉しすぎ!と、大喜びで食べながらおしゃべりしてたんですが、つい添え物のパプリカに手を出してしまった!いや、オーストリアでパプリカといえば、日本でいうピーマンとほぼイコールなので、ピーマンかじる気持ちでかじったのね。そしたら!!!もう、目玉飛び出した!!!史上最強の辛さ!!!!全く予期してなかったから、もう爆弾かじったような気分。。すぐに口から出してはみるものの、口はもうビリビリでしゃべることすら出来ない。元々辛いの苦手なのに、なんでまたこんな大きなものを一気に。。(泣)結局15分くらいあまりしゃべれませんでした。。辛いなら辛いって先に言ってくれたらいいのにー!

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フォアグラのパテとナスのパテ。この緑のが激辛パプリカ!全く無害に見える。。


けど、この激辛パプリカ以外は大満足で、11時頃にお開きにする予定が、気がついたら11時40分!

●アンダンテでさらにおしゃべり

宿に戻ってもまだ寝ないで、アンダンテのオーナーのよしさんと更におしゃべり。何故かよしさんとはおしゃべりが進むんだよなー。国際情勢とか開発とか、そういう難しい話をしてました。専門のことを聞かれると、どうやってわかりやすく説明しようか考えながら話すからおもしろいわー。開発プロジェクトの投資の話とか、アフリカの賄賂や腐敗の話とか、中国のアフリカ進出の話とか、ちょっと懐かしかったなー。

というわけで、1時頃までおしゃべりして女子ドミに戻ったら、まだ中でも皆さんおしゃべり中ー。なんか、早寝に慣れてしまっていたけど、ここではみんな普通に真夜中過ぎても起きてるのね(笑)。私が寝る頃にはもう皆さんすごく静かで、ぐっすり眠れました♪


翌朝6時前に起きて、7時のバス(Nepliget発)でウィーンへ。帰りも無線LAN付きバスなので、助かりましたー。

●まとめ

というわけで、23時間と駆け足の旅行だったけど、温泉&ミュージカルと大好きなことばっかりできて、超幸せでした。おまけにいっぱいおしゃべりもしたし、おいしいものも食べたし。

ほんと、ウィーンから3時間で、ミュージカルと温泉と漫画があって、会っておしゃべりする人がいて、泊まるところもあってって、なんか楽園じゃない?(爆)毎回ブダペストに行くたびに思うけど、ウィーンからふらっと出かけるのにこれほど最高なところもないよ!

あー。今回は随分久しぶり(1年半ぶり?)だったけど、ほんと、半年に一回はホントは行きたいんだよねー。次はまた別の温泉に挑戦してみよう!


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2012-06-25 07:47 | カテゴリ:ハンガリー
(ブダペスト旅行記続きですー)

●ルカーチ温泉

ドナウ川を渡って右側に行くと、ルカーチ温泉があるはず。しかし、なかなか入り口が見つからず、裏の辺りをうろうろ。裏は整備されてないシェーンブルンみたいで、ぼろぼろながら歴史のある建物。

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迷った建物の裏側。整備はされていないが豪華。


入り口の建物も豪華な内装でどちらかと言うとマイナー温泉だけど、わくわく。2900ftのチケットを買って入る。

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切符を買うあたりは明るくて近代的

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入り口の建物

とりあえず他の人についていくと中庭みたいなところに出てしまい、どこに行けばいいのか全然分からない。地図の説明はハンガリー語のみだし、中庭から入れる建物が複数あったり、工事中だったりで、完全お手上げ。歩いていたおばちゃんに、英語で更衣室はどこですか?と聞くと、幸い英語が話せる人で、連れて行ってくれたよ。助かったー!

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中庭の様子。こういうきれいな建物もあるが、、

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工事中の部分もあって、どこに行けばいいのかさっぱり。

システムはオーストリアと同じく、チップ入りの腕時計型のバンドでロッカーをロックする。更衣室は男女共同だけど、着替え用のキャビンか使えるので安心。 おばちゃんは使い方も親切に教えてくれていい人。困った時には現地人と交流ができて助かったわー。

この時点で4時半。お風呂でゆっくりしたいので急いで水着に着替えて、おばちゃんに場所を案内してもらう。どうやら、ここは温泉ゾーンとプールゾーンがあって、プールゾーンに入るには水泳帽が必要らしい。とりあえず温泉に入りたいので、「プールは後で入るので、その時にレンタルします」と言って、担当者と値段を確認してもらっておいて、おばさんとは別れて私は温泉へ。おばさんはプールだけ入りにきたらしい。

・温泉ゾーン

ここはローマ時代から続く温泉らしく、レンガの基礎部分が歴史的に保存してあったりして、気分も盛り上がる。

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こんな感じで(おそらく)ローマ時代の構造体の上からタイルを貼って今でも使っている。

温泉ゾーンはクリーム色のタイル張りになっていて薄暗い。4つの湯船があり、それぞれ、40度(日本人的に言っても満足な熱さ、大きく円形の湯船)、36度(暖かいが熱すぎず長く入っていられる)、32度(ぬるめ)、24度(水風呂)。40度の湯船のところには、ご丁寧に5-8分と書いてある。

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あまり浴室の方で写真撮れなかったけど、こんな感じで狭いアーチ型の通路で浴槽がつながっている

ここには、温泉の水が飲める泉が湧いているので飲んでみたが、まあ、どこの温泉の水もそうだけど、ミネラルっぽくて味は微妙。。健康にはいいのかなー。

しかし、この4つの湯船の温度が私的に最高の組み合わせで、もうこのバリエーション(熱い、暖かい、ぬるい、冷たい)を行ったり来たりしてるだけで、一日中でも温泉を楽しめる。もう、幸せすぎ!!特に、熱い→冷たいはほんと気持ちいいよねー。でちょっと休むのにぬるいお湯や暖かいお湯に入ってのんびりしたり。あー最高!

それに、なんといっても、泉質がものすごくいい!!コバルトブルーの水はヌメッとして肌にまとわりつくよう。こういうお湯好きーー!オーストリアで私が入った温泉(7つくらい?)でダントツの泉質はBlumauだったけど、そこに匹敵するヌメヌメ感!出てきたら肌がつるつる♪

お客さんはあまり多くなくて、のんびりできました。客層はおじさんおばさん、観光客の若者、カップルなど色々。一応14歳以下はダメって書いてあったけど、6歳くらいの男の子みたぞ?

・プールゾーン

やっぱり天気がこんなにプール日和なので、温泉をさーっと楽しんだら次はプールへ。水泳帽をレンタルしないといけないので、一旦戻って入り口のおばちゃんに聞いてみると、英語で「レンタル代が300フォリント、デポジットが500フォリントよ」って言われたので、更衣室にお金を取りにいく。お金を持って再度おばちゃんのところに戻ると、今度はプール当番のおじちゃんに引き渡され、そのおじちゃんはさらに別のおじちゃんに私を紹介する。この2人目のおじちゃんが倉庫から水泳帽を出してくれて、800フォリント渡そうとすると、200フォリントだよ!って言って、それだけ受け取っておしまいだった。一体何だったんだ。。

しかしその水泳帽が、なんか微妙なシロモノ。。ところどころ白い汚れがついてて、触った感じもぶよぶよで、こんな非常事態じゃなかったら被りたくないよ。。それに一番恥ずかしいのは、水泳帽がモロ緑白赤!ハンガリーカラー!なんか、ここで唯一の外国人(の見た目)の私が、こんな使い込んだハンガリーカラーの水泳帽かぶるとか恥ずかしすぎる!!!(日本で外国人が地元のプールで日の丸水泳帽で泳いでる感じ?(笑))

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プールゾーンはこんな感じで25メートルプール

けど、プールゾーン(屋外)に行ってみると、さっきの親切なおばちゃんがゆっくり平泳ぎしながら挨拶してくれたので、かぶらない訳にはいかない(笑)。しばらく躊躇してから気にしないフリしてw水泳帽かぶって、そのまま水に入る。ああー!気持ちいい!!!こんな暑い日に外でプールとか最高だ!それも、水が冷たすぎず、抵抗なく入れる。

幸せ感に浸ってると、横から若い兄さんがこちらをちら見てるのに気がついた。無視するのも失礼なのでスマイルを返すと、向こうから「ハロー」と言ってスマイル。「その帽子かっこいいね?(ダサいねw?)」って言われるのかと思ってたら、顔を指差して「ビューティフル」って。。こんな変な帽子の私を口説く気かwwこっちが苦笑していると、「アイラブユー」ってwww。話飛びすぎww。更にあしらってると、兄さん、「さ~うな」って。。。

そういえば、プールの側に掘っ立て小屋みたいな小さいサウナがある。あそこに誘っているのか?まあ、個室みたいなもんだから、落ち着いて口説きたいんだろう。しかし、こんなに暑いのにサウナに誘うとか、作戦間違ってるんじゃない?「It's too hotあははは」って普通にかわしちゃったよww。しかし、ビューティフルとアイラブユーしか知らない兄さんが理解してたかわからないけど。。

で、そのまま兄さんは無視して、さっきの親切なおばちゃんの方に行って、兄さんはついてこないのでよかったー、って思いながら気持ちよく泳いでました。ところが、休憩でプールから出たらすかさずまたやってきて、「さ~うな、かもーーん」って。。それも、ハンガリー訛りなので、「かまーーーん」みたいな感じが妙に笑えたwwさっき暑いって言ったじゃん!まあ、普通にあしらったら諦めてくれました(笑)。

しかし、英語できないのにたったの5フレーズで口説くとは、兄ちゃん強者。。しかしよく考えたら、プールは私以外の女性はおばちゃんかおばあちゃんばっかりだったわ。。(爆)

そんな感じで少し体が冷えたので、再び温泉ゾーンで体を温めたり、またプールに戻ったりして、6時までお湯もプールもじっくり楽しみました♪親切にしてくれたおばちゃんは、プールが終わったら帰っちゃったらしく、温泉ゾーンでは会えなかったなあ。

しかし、プールゾーンの下の段にもう一つプールか巨大浴槽のようなものがあって工事中だったのと、建物も半分くらいは足場に覆われて工事をしていたので、私が行った時には本来の形じゃなかったのかも。帰ってきてからこの温泉のレポ読んでも、なんだか他の人と印象が違ったし。他の人の意見では、明るくて近代的、混んでいた、などなど。私は、空いていて薄暗くてちょっとダサめボロめ、っていう印象だったんだけどなあ。

しかし、泉質が最高で、温度も好みドンピシャ、おまけにプールまで入れて、定宿からドアツードアで15分!これは、ぜひとも通いたい気分になってしまう温泉でした♪まだブダペストの温泉はルダーシュ、ゲッレールト、キラーイとか、行ってないところいっぱいあるので、クリアもしていきたいけど、全部行き終わったらまたここに戻ってこよう-。その頃には修復も終わってるだろうしねー。


●陣痛待ち

7時に開演なので、急いでアンダンテに戻って荷物を入れ替え、そのままダッシュで劇場へ。その途中で、さっき電話してでなかったハンガリー人の友達から電話かかってきた。今年の冬にウィーンで会った時に妊娠中期だったんだけど、そろそろ生まれるのかな?と思ってたら、「予定日過ぎて今陣痛待ち」だってー。今にも産まれそうじゃないー!ちょうど私が電話した時には、旦那さんとランチしてて気が付かなかったんだって。残念!っていうか、ブダペストに着いてから電話する私も私だがw。

10年くらい前に京都で出会って、そのまましばらく音信不通だったけど、結局京都時代の友達で一番近いのは彼女。私の結婚式に来てくれて、彼女の結婚式の時には私が妊娠してて、そのあと彼女が妊娠したままウィーンで会って、って、この何年かはコンスタントに会ってるなあ。おまけにあっちも夫婦揃ってミューファン(笑)。お互いに子供を見せ合う仲になるとは、10年前には思ってもいなかったよねえ。

●レベッカ

(レベッカレポと出待ち編は別レポにしますー)

(タパスバー編に続きます)


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2012-06-24 07:35 | カテゴリ:ハンガリー
(前の日のブダペスト旅行記の続きですー)

●温泉を目指して!

到着してから開演の7時まで4時間ほど時間の余裕が。とりあえず、一緒に観劇予定の日本から来てる友人に電話をしてみるが、出ない。ブダペスト在住のハンガリー人の友達(ギリギリすぎて行くって言ってなかった。。)に電話しても出ない!彼女はちょうどそろそろ臨月なので、電話に出ても会えないかなー。

誰かと遊ぶ案がなくなったので、一人でフリータイムを満喫するぞ!ってことで、計画を立ててみる。ブダペストで見逃してるのはマチャーシュ教会の中身。しかし、この日は30度を超えるめちゃくちゃ暑い日。観光をする気にはあまりなれない。。っていうか、プールで泳ぎたい!ってことで、ブダペストの温泉で、露天風呂か野外プールがついているところを探してみる。

一番理想的なのはセイチェニ(巨大露天風呂あり)だけど、行った事あるし、まだ行ったことがなくて行ってみたかったルダーシュは屋内だしなあ。。キラーイ(ゲイ風呂)は男性の日だから行けないし、ゲッレールトは多少ルートから外れる。というわけで、マチャーシュ教会と組み合わせてもルート的にOKで、野外プールがある温泉、ルカーチ温泉に行くことに!

ルカーチは、ブダペストの温泉の中ではあまりメジャーな方ではないし、日本人が行くならセイチェニかルダーシュだろうな、と思ってたので、ちょっとどきどき。なんと、アンダンテからトラムでたった15分!

元々、マチューシャ教会→時間が余ったら温泉と思ってルートを組んだんだけど、トラムに乗ってる間にどうしてももう水に飛び込みたくて仕方なくなってきたので、急遽予定を変更して温泉へ。トラムの一個前の駅(Margit Hidのど真ん中)で降りて、ドナウの風を感じながら、国会議事堂を左に歩いてみる。ああーー!!開放感!!!

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ドナウが町のど真ん中を流れてるっていいねー。

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国会議事堂

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マチャーシュ教会(たぶん)のほう

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ハンガリーの王冠が端の飾りとなっているMargit橋

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ハンガリーの王冠の先っぽ

(温泉編に続きますー)


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2012-06-23 07:28 | カテゴリ:ハンガリー
急に思い立って、週末(6/16-17)にブダペストに23時間だけ行ってきました。メインの目的はレベッカ。

安いチケットだけ売り切れ寸前だったので3日ほど前に押さえておいて、それ以外(宿とバス)は出発の1時間前に予約するという荒業。ギリギリまで、ほんとにいけるかどうかも分からなかったしねー。

とりあえず、日曜朝10時にはコンサートのためにウィーンに戻ってないといけなかったので、かなり強行軍。けど、勝手知ったるブダペストだし、23時間をとても充実して過ごせたぞ!

土曜の11時ウィーン発、14時ブダペスト着。16-18時温泉、19-22時レベッカ、そのあとディナー&おしゃべり、宿に戻ってさらにおしゃべり、って感じ。翌日は朝6時おきで、7時のバスでウィーンに戻りました。

レベッカもよかったけど、温泉がもう最高だった!!3時間でふらっといけて、大好きなミュージカルと大好きな温泉があって、定宿でまったりできて、おしゃべりも楽しくてって、ブダペストなんて楽園なんだ。。

●予算
レベッカチケット:5000ft(15ユーロ)
宿:15ユーロ(:-))
バス:19ユーロ*2
地下鉄:320ft:4(4ユーロ)
スーパー(ワイン、フォアグラパテ):15ユーロ
ディナー:4000ft(12ユーロ)
温泉:2900ft(9ユーロ)
--------------------
約90EUR


●バス

Orangewaysの格安バスの時間が合わなかったので、普通にEurolines。片道19ユーロなんだけど、昔は3ユーロほど高かったはず。競争があって安くなったのかな。あと、車内無線LANがあるのが嬉しすぎる!


●宿

定宿のアンダンテ。ギリギリすぎて個室はなかったので、初女子ドミ。もうそろそろホステルのドミは卒業かな、と思ってたんだけど、女子ドミだし、静かできれいでぐーっすり眠れた!まだまだドミ行けるな(笑)。女子ドミは15ユーロ(個室は20ユーロ)。よしさん、ありがとうございました♪

それに、やっぱりアンダンテは、一人でふらっと行っても話し相手がいるのが嬉しいねえ。話し相手いなくてもマンガあるし(笑)。臨時管理人の人と、観劇後はオーナーのよしさんと、いっぱいおしゃべりしました。もっとしゃべってたかったけど。。(笑)

今回は天気がよかったのと滞在が短かったのとで、マンガ読む暇なかったー!また次回!

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宿の近くのリスト音楽学院

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宿の近くのオクトゴンのバー

(温泉編に続きます)


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2008-07-29 16:19 | カテゴリ:ハンガリー
時々やたら不思議なものにやたらひっかかる時期がある。2年前なんて、ゲイのミュージカル3種類を一ヶ月以内に見たし(Hedwig,ラカージュ、キャバレー)、St Wolfgangになぜか2週連続で行ったりするし。そういう意味でも、偶然今年は鉄のカーテン崩壊づいてるなあ、と思うわけですよ。こないだベルリンに行ったときには壁博物館とかチェックポイントチャーリーとか見たし、かと思うと偶然ヨーロッパピクニックの事件現場に行けちゃったりするし。

このヨーロッパピクニック事件、昔NHKで見て衝撃を受けて、あれ以来ずっと気になってたのだ。。

●ヨーロッパピクニック事件とは

ベルリンの壁崩壊が冷戦の終結として知られているけれど、本当の鉄のカーテンの崩壊はこのハンガリーとオーストリアの国境で起こったヨーロッパピクニック事件が始まりだったのだ。当時東ドイツ国民は西側諸国への入国は禁止されていたが、同じ東側であるチェコやハンガリーへの旅行は比較的簡単に出来た。1989年5月、東ドイツ市民の間でハンガリーがオーストリアとの国境を開放するといううわさが流れ、東ドイツ市民がハンガリーに流入した。実はこれはデマで本当はハンガリー人がオーストリアに旅行できるに過ぎなかったが、このうわさのせいでハンガリー国内にはノイジードラー湖沿いのバカンスと称した大量の東ドイツ人難民がオーストリアとの国境付近にあふれることとなった。

写真


こうした状況の中、ハンガリー国内ではこの東ドイツ人難民を西側へ逃がしてやろうという動きがあった。ハンガリーの民主化を求める「民主フォーラム」やハプスブルグ家の末裔オットー・フォン・ハプスブルグが活躍し、8月19日に「ヨーロッパピクニック」を計画した。このピクニックは、形式上は「ショプロンに集まってヨーロッパ統合について話し合う会議」で、そのイベントの一環としてハンガリー内務省に正式に許可を得て40年間開いたことのなかった国境を開放。この国境開放イベントに乗じて東ドイツ国民がオーストリアに流入することを「黙認した」というイベントだったわけ。

写真


舞台はオーストリアとの国境に近いハンガリーの町ショプロン。ここにピクニックの参加者が大量に集まり、国境開放を待った。その時オーストリア側では受け入れ先の村St.Margaretenで報道陣や送迎バスが手配され、亡命者の受け入れ態勢も組織的に整っていた。3時間と期限付きの国境開放の瞬間が迫るにつれ、亡命者は公式声明を待ってショプロンにいる者たち(大多数)と、それを待ちきれず国境線付近で待機している150人とに別れていた。

代表団の挨拶が大幅に遅れ、待ちきれなくなったこの150人は、公式の国境解放を待たずに国境を渡り始めた。国境警備隊は射撃命令を受けていたにも関わらず発砲を見送り、この150人は無事にオーストリアへと渡ることが出来た。数時間後、公式発表を待って残りの1000人近い東ドイツ人たちが国境を渡り(兵士たちは黙認)、受け入れ先の町St.Margaretenから21時にはバスでウィーンに運ばれ、そこから南ドイツ行きの電車で西ドイツへと入国していった。

写真


このヨーロッパピクニックの成功をを受けて、東ドイツ人の流出はさらに激しくなり、ベルリンの壁が意味を成さなくなった。これを受けて東ドイツ政府が旅行ビザ発給規制を緩和しようというニュースがベルリン内で間違って放送され、これがベルリンの壁(11月9日)の直接の原因となった。(ベルリンの壁レポhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=848240351&owner_id=132300写真追加)

というわけで、本当はベルリンの壁崩壊はいきなり起きたことではなく、ピクニックの成功が本当の鉄のカーテンの崩壊第一歩だったというわけ。

参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
ハンガリー国内の後押しする動きについてはこちら(これについてはNHKで詳しくやっていたようです)
http://www.asyura2.com/0610/asia6/msg/128.html
わかりやすい説明
http://www.mauer.jp/mauer0/mauer0y.html

●なれそめ

このヨーロッパピクニック、ちょうど人生の方向転換をしよう、ウィーンに来て国際関係を勉強しよう、って思ってるときに出張先で偶然見たNHKで特集やってたんだよね。知らなかったことだけどあまりに興味深くて遅くまで見てたんだった。すごくいい番組だったし、何より映像が衝撃的だったのでよく覚えてる。(http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2004/h040606.html

けど、当時はハンガリーやオーストリアの地名なんてわからなかったし、なんか東と西の国境でなんかあったんだなあ、程度だったんですが、こないだアンダンテの日記で、このピクニック、実はショプロンが舞台だったことが判明!めちゃめちゃ近いじゃん!現地に行ってみたい!!!と急に調べる気満々になったのでした。

偶然先週末はセイリングのコースでノイジードラー湖(ハンガリー語でフェルトゥー湖)のRustにいたんですが、地図を見たらそこからハンガリーの国境はすぐそこ!!おまけに、地図上に「ヨーロッパピクニック記念碑」って書いてあるじゃないですか!!!!!現地のすぐそばで二日間もセイリングやってたのか。。。

●現地への行きかた

この日はノイジードラー湖の国境周辺をサイクリングしながら、ピクニック現場を取材しつつ、開いたばかりのハンガリーとオーストリアの国境を自転車で自由自在に越えてみる計画!(ハンガリーがシェンゲンに入ったのは今年から)

しかし、記念碑を実際に探すのには非常に手間取った。なぜか、オーストリアから車で記念碑にはたどり着けないようになっているので、私もかなり苦労した。

土地の話をすると、湖沿いにウィーンに近いほうからRust(ワインとコウノトリで有名)、Moerbisch(湖上オペレッタ有名)、国境、Fertotrakos(ハンガリー)と言う順番で、それぞれの町の距離は6キロほど。Rustから内陸に6キロ行くとSt Margaretenという村がある(野外オペラで有名)。記念碑は国境から内陸に6キロいったところにあるはずなんだけど、国境近くのためか車で通れない道が多くて非常に難儀する。

St. M. ------- Rust +
  |        |   +
  |       MB  +  湖
記念碑 (AT)  |   +
--[]----国境--[]-- +
記念碑 (HU)) |   +
  |        |   +
  |       / FR  +
Shopron---- /     +

周辺地図(ハンガリー的視線から)
http://www.hungarytabi.jp/sekaiisan/mapfer.html

この地図のうち、車で通れるのはSr. MーRust間とRust-MB間。MBとFRの間は国境では車道は遠回りになる。MB?記念碑間は車道は途中までで、いきなり自転車&歩行者専用道になって一般者は通行できないので注意。MBから自転車で行こうとすれば間の丘のアップダウンがあり、自転車では結構大変。遠回りしてSt.Mから記念碑のほうへ向かおうとすると、これも途中で一般車通行止めとなるが、住民、農業の車は通行可。

すなわち、オーストリア側からピクニック記念碑に車で近づくことは不可能。自転車でMoerbischから丘をえっちらおっちら越えていくか、St. Margaretenから自転車で行くかしかない。(どちらも歩くには遠すぎる距離)オーストリアでここまで近づきがたい記念碑に行ったことがないので相当びっくり。これも国境が近いからか。

ちなみに、いろんなソースを見てると、ピクニック事件はショプロンが舞台だとか、Fertorrakosが舞台だとか書いてありますが、本当はどちらもちがう!ショプロンとSt.Margaretenの中間地点にある地名も何もない国境地点が現場です。湖畔サイクリング用地図には「ピクニック記念碑」って書いてあるけど、普通の地図には書いてないと思うので探す人はがんばってください。。

●現地突撃!

結局St.Mから記念碑までがんばって突破し、ようやくピクニック記念碑に到着。苦労しただけに感慨深いわ。。おまけに、今年からシェンゲンもなくなって、この20年前には人も寄せ付けなかった恐るべき国境が、今はまったく障害物もなく開放されてるんだから不思議。。。国境警備の兵隊も警察も誰もいないよ。。。

まず、オーストリア側から国境を眺めてみる。シェンゲンの国境があったころは手前に赤い鉄製の柵、置くに赤緑白の鉄製の柵があり、それぞれ二人ずつ兵士が立っていたらしい(写真http://www.hungarytabi.jp/literary2.html)。いまは、人っ子一人なく、オーストリア側の赤い鉄柵も撤去されている。ハンガリー側はまだ赤緑白の鉄柵は残っているが、開放された状態。こんな状態で今からシェンゲン復活させます!とか言ったって越境者を止めるなんて事実上無理だろうよ。。。シェンゲン恐るべし。。

オーストリア側には歴史の説明パネルが一枚。ピクニックの概要をドイツ語とハンガリー語で説明している。冷戦当時の閉じられた国境の写真と、ピクニック事件で国境を越える人たちの写真(NHKで見たやつだと思う!)、ピクニックの招待状(こんなの大々的にして大丈夫だったんだろうか。。(爆))も資料として写真がある。周りは生い茂る森。この道は2000年前にローマ人がウィーンへ向かって通ったらしく、ローマ人琥珀の道と名づけられている。

さて、ちょっと緊張しながらこの人なき国境線をハンガリー側に越えてみる。歩いて国境を越えたのはめったにないかも。それもパスポートチェックなし。ちょっと密入国気分。これが冷戦当時だったら、車も荷物も自転車も全部オーストリアにおいて、貴重品だけ持って東側に入ったようなもんだ!このまま西側に帰れなかったらどうしよう。。とどきどき。この人っ子一人いない国境が、19年前にはがちがちに見張られて、超えたら撃たれてたところだったんだよ。。。

さて、ハンガリー側はオーストリア側の森と違ってきれいに整備された公園となっている。また、パネルや記念碑の数もずっと多い。おそらく、オーストリアが受入国であったのに対し、ハンガリーにとっては東ドイツ国民を逃がしてあげた以上に、自国に民主化にとって意味のある事件だったからかな。

まず、世界遺産の公式の説明パネルがある。薄くなって読みにくいが一番古くからある説明らしい。そして、Iron Curtain Trail(鉄のカーテンの散歩道)という表示が見えてちょっと笑ってしまう。こんなにのどかで誰もいないのに。。でも、19年前はここが鉄のカーテンのもっともホットな場所だったんだよ。。。と思うとぞっとした。

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国境近くには扉が開いた形のモニュメントがある。記念碑としては一番気に入ったかも。ほかにもいくつかハンガリーのこの地方の木彫りが置いてある。ハンガリー人のカップルが車で到着して、同じく展示を見て回っている。ハンガリー人が興味を持ってみているのはいいことだ。

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さて、反対側に目を向けると、さらに説明パネルが10枚!ひえー。これ全部読むのは大変だーと思いつつ、「鉄のカーテン散歩道」をお勉強しながら散策してみることに。ここには、ハンガリー語、ドイツ語、英語、日本語でピクニック計画の詳細が順を追って説明してある(私の上の説明はこのパネルがソース)。写真もたくさんあって非常に勉強になった。やっぱり、ピクニック計画の成功はハンガリーの民主化にも影響があったんだね!ふむふむ。

途中で実際に使われていた国境の鉄条網の展示もあり、ベルリンの壁とは違う形の鉄のカーテンを目の当たりしてどきどきした。して、遠くにはまだ国境監視用の塔が威圧的に立っていて、当時の雰囲気をかもし出している。ハンガリー人のおじいさんが犬を連れて車でやってきて、犬は人懐こく私についてきた。おじいさんは国境近くなのにぜんぜんドイツ語がしゃべれないらしく、私とはスマイルで意思疎通。線一本超えたらドイツ語すら通じないのか。。これも国境が開放されたらどんどん混じっていくに違いない。

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あとで思ったけど、この解説がハンガリー語、ドイツ語、英語のほかに日本語だったのにびっくりした。普通はフランス語かイタリア語なのに。なぜ日本語?しかし、帰ってこのサイト(http://www.hungarytabi.jp/literary2.html)を見てわかった。ハンガリー人と結婚した日本人が記念公演の整備に協力していたのだ。秋田から桜の苗木も送ってもらったんだってー。日本人すごいーー。

というわけで、非常に勉強になったヨーロッパピクニック現地調査でした。オーストリア側からの車のアクセスが非常に困難なのはちょっと残念だったけど、おそらくハンガリー側からだとショプロンから道があると思います。どうしてもオーストリア側から行きたい人はぜひ自転車で!

●Fertorrakosの町

一旦記念碑のある内陸の国境を離れて、Moerbischまで行き、ここで車を置いて本日の二つ目のテーマ、国境越えサイクリングへ。自転車専用道でMoerbischからFertorrakos(ハンガリー側の湖畔の村)までいけるので便利♪ここの国境ももちろん開放♪国境開放最高!!!ハンガリーに入ったところでローマ人が作ったミトラ神の神殿発見。なんという大昔。。。

そのまま20分くらいすいすい進むと石切り場で有名なFertorrakosの町に到着。たった20分なのにオーストリアの町とのこの違いは何。。いや、このオーストリアと東欧の差を体感したくて自転車で国境渡ったんですが、町のインフラが違いすぎる。。ハンガリーはまだ道ががたがただし、歩道と車道の間がかなり危険。家もレンガ剥き出しだし。。ああ、この東欧っぽさが好きさ♪このあたりは冷戦時代は国境に近すぎて寂れてたらしいから、今はすでに結構復興してきたところなのかな。あと10年もしたらぴかぴかになってるんだろうな、と思うとちょっと寂しい。

同じ湖だけどハンガリー側からも入ってみたかったので、湖畔まで自転車を飛ばす。オーストリアでは完全有料なんだけど、ハンガリー側ははぜか無料ゾーンがある♪無料ゾーンで湖に入って遊んでみた。ラッキー♪しかし、みんなほんとハンガリー語ばっかりだ。。国境近くって言語が混じってるのかと思ったけど、ここは恐ろしくモノリンガルだよ。。。

湖で遊んだあとショプロンまでよっていこうと思ったけど、もう遅くなりそうだったのでRustでホイリゲよってウィーンに戻りましたとさ。ちょっと国境越えるだけでアドベンチャー気分の一日だったよ。。。
2005-09-06 19:21 | カテゴリ:ハンガリー
翌日は、車でブダペストの郊外(30分ほど)ゲデレ(Gödöllő)にあるエルジェベト・パークに行きました。エルジェベトはハンガリー語でエリザベートのことです。

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ここには、エリザベートとフランツヨーゼフのハンガリーの別荘があり、部屋が公開されていたり、ミニ・シシィ・ミュージアムもあるので、シシィファンにはかなりおいしい観光地です。

イメージ的には、シェーンブルンやホーフブルグをもうちょっと小さくしてアットホームな雰囲気にしたような感じかな。シシィがハンガリーに入り浸ってたのもなんかわかるよ。居心地がいいもん。

中を見ている間は、キッチュ♪とエーヤン♪が流れまくってました。。特に、ハンガリーの戴冠式の年代を思い出そうと思うと曲がつい。。(笑)

ハンガリーに来るとフランツとシシィはKaiser&Kaiserin(皇帝と皇后)ではなく、Koenig&Koenigin(王と皇女)になるのがなんか新鮮。

あ、あと、宮殿の中には、シシィの写真も展示されていて、絵を見るよりなんか身近な感じ。シシィが犬(Shadowという名前)と座っている写真が印象的でした(※写真参照)。

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ホーフブルグほどじゃないけど、大きな絵も飾ってあって、それなりに感動。ハンガリーの戴冠式のときの巨大な絵はかなり壮観でした。

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と、かなり盛りだくさんの博物館になっていて、シシィファンとしてはかなり満足。

ウィーンに帰る前に、ブダペストの友人から10月始めのM!のチケットを受け取り、帰途につきましたとさ。

(注:シシィは19世紀末オーストリア皇后兼ハンガリー女王エリザベートの愛称です。)

ゲデレのオフィシャルサイト
http://www.godollo.hu/varos/
ゲデレの解説サイト(日本語)
http://www.szagami.com/cities/ai-godollo.htm
2005-09-06 19:10 | カテゴリ:ハンガリー
この週末は、友人の結婚式でブダペストの行ってきました。
新郎がオーストリア人、新婦がハンガリー人のカップルの結婚式です。

っていうか、今まで国際結婚以外の結婚式に立ち会ったことがないんですけど!どういうことなんでしょうか。。
オーストリア人とフランス人カップル。日本人とオーストラリア人カップル、日本人とカナダ人カップルなど。。あ、一度フランス人同士の結婚式に立ち会ったことがあるけど。。
日本人同士の結婚式は4歳のときの会ったこともない父親のいとこの結婚式のみ!!!
だれか、私を結婚式に呼んでください。。
(呼ばれてないだけじゃなくて、周りはまだあまり結婚しないだけなんだけどね。。)

話がそれたけど、国際結婚の場合、式は二ヶ国語で行われます。(三ヶ国語のこともあったけど。。)
今回は、神父様もパーティー担当者もバンドのメンバーもドイツ語とハンガリー語のバイリンガルでした。
オーストリア人でハンガリー語をしゃべれる人はほとんどいないんだけど、ハンガリー人でドイツ語をしゃべれる人は結構いるみたいです。

ヨーロッパの結婚式は大体そうだけど、当日の予定は
・午前中市役所で法的な結婚(身内だけで行われる)
・午後は教会での結婚式(誰でも参加できる)
・夕方から早朝にかけては披露宴(というか、ディナーとダンスパーティー)
という手順を踏むのがデフォルトのようです。

特にダンスパーティー部分が最高!!生バンドの演奏で踊れるので、誰でも楽しめます。日本の披露宴のように、ゲームやクイズがあるわけじゃないけど、ただ単に踊って楽しむだけ。バンドがあればいいので準備は楽々です。(幹事も必要なし。)

披露宴が宿泊しているホテルであったので、朝4時まで踊って、そのまま部屋に直行でした。なんて便利な結婚式!
2005-08-31 15:18 | カテゴリ:バルカン半島
こないだの週末(土日月)でクロアチアのIstria地方のRovinjという町にダイビングに行ってきました。
写真はまだ人のカメラに入ってるので、ネットから適当に取ってきた写真でも見て雰囲気を味わってね♪
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(土曜日)
土曜の朝7時に出発して、5時間程度でつくと思ってたら、着いてみたら夜の7時だった。。ていうか、もう途中の時点で、あきらめて3時間くらい観光とかもしてたし、雨だったからなかなか進めなかったのだけどね。。

次回のための自分メモとして、ルートと所要時間をまとめます。
ウィーン→グラーツ:2時間
グラーツ→クラーゲンフルト(Kaernten):1時間
クラーゲンフルト→ルビリアニ(スロベニアの首都):1.5時間(Loiblpassの峠で国境)
ルビリアニ→Postojna:0.5時間(Postojnaで洞窟見学3時間)
Postojna→Rijeca:1時間
Rijeka→Rovinj:2時間(途中Ucka自然公園を通過)

こうやって見てみると、普通に走ったら8時間で到着することがわかります。まあ、いきしは雨だったからスピードが落ちたのと、迷ったりした分を入れると正味9時間くらいはかかったなあ。
ちなみに帰りしは、
Rovinj→Koper(イタリアのトリエステの近く):1時間
Koper→Postojna:1時間
というルートを通ったので1時間ほど節約できたよ。

到着してキャンプ場を探して(町から歩いて15分ほどの距離。ビーチのすぐそばのキャンプ場で、湾の向こうに町が見えてすごいきれい!!)、テントを張ってから町へ!!
昼間は大嵐だったのに、夕方は晴れてとてもいい気分。それに、8時間南に走っただけなのに、この気温の差は何!
オーストリアは長袖2枚重ね、ジャケットが手放せないというのに、クロアチアは袖なしにショートパンツ。普通の夏じゃないですか!いいなあ。。

ちなみに、海はアドリア海。海の向こうはイタリアです。

Rovinjに行ったのはダイビング目的だったので、町のことはぜんぜん調べてなかったけど、ものすごく素敵な町!!!半島の部分に石畳の小さな昔の町がちょこんと乗ってる感じ。一番高いところにはイタリア風の尖塔の教会が建ってて、すごいロマンチック!!町を歩いてみると、至る所にマーケットやギャラリー、カフェが建ち並ぶ。超かわいい!!
ヨーロッパ人の夏への憧れを町にしたらこういうものが出来上がったという感じで、超満足です。

来てる人は、イタリア人とドイツ人が4割ずつぐらい。あとはほんのちょっとオーストリア人、フランス人、オランダ人などがいました。地元の町の人はこういう多言語お客さんをもてなすため、クロアチア語のほかにイタリア語、ドイツ語、英語がぺらぺらなのには驚いたよ。

海はものすごい透明で、町のすぐそばのハーバーとかにも魚がわんさか!!これはダイビングが期待できますねえ!

町をぶらぶら散策してからその辺のオープンカフェ風レストランでディナーして、キャンプ場に戻ると、遠くのほうで雷が。。経験から言って3時間後に大嵐が来る!という感じだったので、車でも寝れるようにトランクをぶち抜いて体制を整えてからテントにもぐりこむ。

案の定朝3時に雨がテントにあたる音で目が醒めたので、猛スピードでテントから飛び出して、マットレスや寝袋を次々と車の中に放り込んで、社内で寝る体制を整えるまで10分とかからなかった!!!
それに、テントより車のほうが寝心地がいい。。(笑)

(日曜日)
朝から起きてダイブショップを探して速攻潜るつもりだったのに、7時に起きてみたらまだ大嵐なので、そのままぐずぐず11時くらいまで寝てしまった。。たぶん雨の後だしあまり海もきれいじゃないと踏んで、翌日ダイビングに切り替え。ショップで値段を聞いて回る。

昼間はまた町に行ってうろうろ。小さい町なのに見所が結構たくさんあって、何回行っても飽きないなあ。

スーパーでAjvarというパプリカとほかいろんな野菜をゆでてつぶした物を見つけたので、パンにつけて食べると超おいしい!!ウィーンでも買えるらしいので、これからは大好物がもう一つ増えたよ。
あと、やっぱり海のそばなのでシーフードが特産。魚のスープはおいしくて最高!でも、メインディッシュはいかとかたことかが多くてちょっと不便。。

町でフィンを買って、キャンプの近くのビーチで泳いで見る。寒!!!海が冷たいよおーー。シュノーケルをつけて泳いだら、大き目のかにとかが結構見えてかわいい。けど、やっぱり、トロピカルじゃないから、魚の色は結構地味かな。。

暗くなってから町に戻ってDreamという名前のレストランで最後の晩餐を楽しんで、キャンプに戻って寝ました。。雨はとっくにやんでたけど、テントより車のほうが心地よいので、テントをたたんで車でぐっすり♪

(月曜日)
今日はわくわくダイビングの日!キャンプ場からすぐのショップなので便利♪
今日はボートダイブ2回とフル装備一日レンタルで合計55ユーロ!!なんと去年のメキシコの半分!これは安いね!

おまけに、一回目のダイブは初洞窟!!!超どきどき!
なのに、水に入ってみると案の定一年ぶりなので大パニック!!借り物のマスクなので、鼻が見つからなくて耳抜きがすごいやりにくいし、ロープで降りるときに後ろの人に気を使うと、急いで降りないといけないし、フィンがちょっと大きめなので取れそうになるし、レギュレータに大量に水が入るし!!ていうか、最後のはマジであせった。既に二つ目のオクトパスを使おうかと思ったくらい。

しばらくしてかなり安定してきたので、1つ目の洞窟へ!ランプはなくても大丈夫なくらいの明るさなので、かなり楽々。所々上から日が差してきてすごいきれい!!!
1つ目の洞窟は向こうが行き止まりなので、ぐるっと回って引き返します。

二つ目の洞窟は島の真中にあいていて、島の側面から洞窟に入って、島の真中で水面に出れるようになっています。
こっちのほうがちょっと暗かったけど、浮力を調節してがんばった!!いったん水面に出るとなんか変な感じ。。

で、洞窟も終わって魚を見てだんだん落ち着いてきていると、急に異変が!!なんか、腰のあたりでするっと何かが触った気がするんですけど!!と思うまもなく、体がどんどん上昇していく!!!ふと下を見たらピンクのウェイトベルトが砂の上に!!!私はどんどん浮上していくし!!まあ、深さは10m程度だったので、浮上しても大丈夫だったけど、30mとかだったら超やばかったって!!!!!

とか思いながらBCDの空気を抜こうと必死になってると、バディが気が付いて、私のフィンを引っ張って引き摺り下ろしてくれた上、砂の上に座らせて、もう一人の人と一緒にウェイトベルトを手に握らせてくれました。

けど私はもう、映画みたいにパニクってるし、またレギュレーターに水がぼこぼこ入ってくるし、ウェイトベルトどころじゃない!やっとちゃんと呼吸ができるようになって、ウェイトベルトを締めなおしてから、実際に起きたことの怖さを思い出しては、しみじみしてました。

地上に戻ってから二回目のダイブまで3時間ほどあったので、町に行ったりビーチに寝転んだりしてました。しあわせ。。。

二回目のダイブは洞窟じゃなくて全然別のスポットなんだけど、ガイドが別の人たちのインストラクターをしないといけないので、「じゃ、今回のダイブは二人だけで行ってください。大丈夫ですね?」って。。。私???超方向音痴なんですけど!!!!
なんか、バディが結構自信ありげだし、どうせそんなに深くないので、流れに身を任せることにしてみました。

2回目のダイブは一回目と比べて余裕余裕。自分の速さで潜れたのでパニクることも焦ることもなく、平穏無事に潜れました。おまけに、言われたとおりのルートをたどって元のところに帰って来ると、ちょうどボートの錨発見!!そのままロープをたどっていったら、迷うことなく無事にボートまでたどり着けました。

一年ぶりなので、一回目のダイブはめちゃくちゃ、二回目でかなり余裕を持って楽しめる感じという事がわかったけど、多分来年も2回くらいしか潜らないと思うので、毎年こんな感じで過ぎていくんだろうなあ。。

ダイブのあとすぐに車に飛び乗って7時間後火曜日の朝3時にウィーンに到着しましたとさ。帰りは天気もよくて道も間違わなかったので、かなり余裕でした♪
2005-05-08 00:40 | カテゴリ:バルカン半島
さて、そうこうしているうちに最後の目的地、ベルグラードへやってまいりました。

セルビア・モンテネグロのうち、ベルグラードのあるあたりは、セルビア人が集まった地域なので(モンテネグロはモンテネグロ人、コソボはアルバニア人が多数)、宗教は正教会、文字はキリル文字です。キリル文字って、ロシア語とかに出てくる文字で、アルファベットとはちょっと違うので読むのが大変です。

ベルグラードは、典型的な旧共産主義国の遺物です。日本やヨーロッパから比べると、20年ほど昔にタイムトリップした気分です。

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典型的なベルグラードの建物。がっしりしていますが、ぼろぼろになっても修復なんてされません。150万人規模の大きな町なのですが、町全体が灰色で、すすけた雰囲気です。それでも、サラエボで見慣れた弾痕がないのが救いですが。。

1999年のコソボ動乱のときのNATOによるベルグラード襲撃で、町の建物のいくつかは爆撃された後がありますが、サラエボから来た人にとっては全然たいしたことありません。(強くなったなあ。。精神的に。)

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その中でも特に物議をかもし出したのが、NATOによって誤爆?された中国大使館。NATO側は誤爆と主張していますが、当時の政治的状況と、大使館の立地条件(周りは原っぱで、無理やり狙わないと当たらないような場所にある)から、意図的な爆撃だったのではないかと言われています。

ベルグラードの旧共産主義的暗ーいムードに、どよーんとなりましたが、国際社会の注目を浴び、復興資金をたくさん援助してもらえるサラエボの比べて、自業自得の戦争でぼろぼろに経済難に陥ったベルグラードは、復興資金面で相当不利なのでは、と言う印象を受けましたが、他の旧共産主義の国のように、ここも適切な投資さえあれば10年後にはEUに加入も夢ではない気がします。(EUってそんなにいいものなの?っていうお話はまた別ですが。。)

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今回の旅行を通じて、後進国(発展途上国とはまた違う意味で)の抱える問題を肌で感じました。戦争の爪跡、復興への道のり、国際機関の役割の重要性などについて、実際自分の目で見ることで、他人事ではない気がしてきました。

私には、クロアチア人、ボスニア人、セルビア人の友達もいます。また、復興のお手伝いをしているOSCEで働いている友達もいます。それぞれが、それぞれの立場から、歴史を体験し、過ちを修正しようとしている姿に感動し、それと同時に、バルカン半島の業の深さを実感しました。
2005-05-08 00:39 | カテゴリ:バルカン半島
さて、ここでちょっと息抜きして、サラエボの楽しみ方をご紹介!

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写真の一枚目は、サラエボの二つの塔と呼ばれているビルで、国連やOSCE、NATOなどの国際機関が入っているビルです。(前景の頭は、BiHの新しい法律の草稿を書いているOSCEで働いている友人です。)

また。サラエボと言えば、第一次世界大戦が始まるきっかけとなった、フランツ=フェルディナントが暗殺された場所です。(ちなみに、彼はエリザベートの甥で、ルドルフ暗殺後に帝位継承者になった人です。って、ルドルフが生きてたら、歴史が変わってたかも!!)

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三枚目は、サラエボ特産ビール、サラエブスコです。ビール醸造所は町の中にあって、戦争中もビールを造っていたと言うから偉い!

サラエボは、建築的に三つの部分に分かれていて、川の上流から、イスラム教の影響を受けた地区、オーストリア・ハンガリー帝国の影響を受けた地区、共産主義時代の影響を受けた地区に分けられます。それぞれ、独特の雰囲気があるので、おそらく戦争前には、一粒で3度おいしい町だったはずです。
2005-05-08 00:35 | カテゴリ:バルカン半島
さて、ここでちょっと回り道して、ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)の歴史的説明ご紹介。

BiHには、第一回にも書いたように、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人が住んでいます。しかし、この三つの民族、どう違うの?と聞かれると、はっきり言って、違いはありません。見た目は見分けがつかないし、話している言葉もほとんど同じです。(書き言葉では、セルビア人はキリル文字、他はアルファベットを使いますが)唯一の違いは宗教です。セルビア人は正教会、クロアチア人はカトリック、ボスニア人はイスラム教を信仰しているのです。

1990ごろまでは、この3民族は仲良く共存して暮らしていました。ところが、急にセルビア人の民族浄化運動が始まり、ボスニア人が多い首都サラエボは、セルビア人に激しく攻撃されます。

1995年にデイトン協定が結ばれ、BiHは二つの地域国に分けられ、戦争はいったん決着がつけられます。。ひとつは、「レパブリカ・セルブスカ(RS)]と呼ばれる地域で、主な住民はセルビア人(正教会)です。もうひとつは「連邦」(Federation)と呼ばれる地域で、クロアチア人(カトリック)とボスニア人(イスラム教)が共存して暮らしています。この二つのグループの割合は、全人口の約半分ずつを占めています。

デイトン協定制定後、国連、OSCEなどの国際機関がサラエボ入りし、今ではBiHは国際機関の手を借りて少しずつ正常化の動きに入りつつあります。それでも、平和が樹立されてから10年経っ他にもかかわらず、町は、戦争が昨日まで続いていたような荒れようです。アフガニスタンからアルカイダのメンバーが入国し、テロリスト養成キャンプがあると言ううわさもあります。この国がひとり立ちし、国際機関の手を離れるまでには、まだまだしばらく時間がかかりそうです。

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2005-05-08 00:28 | カテゴリ:バルカン半島
さて、第二回はサラエボ編です。
今回の旅行で一番印象に残ったのがサラエボなので、ちょっと気合はいります。

サラエボに入る前に、すでにアクシデント!!
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)の国境で、同行のウクライナ人の女の子がビザ未取得と言う理由で追い返されそうになり、3時間半も国境で待機する羽目に!!!

事情は、以下のとおり。
1.ウィーンにあるBiH大使館が大学事務局に、「ウクライナ人はVisa不要」と通達。(本当はVisa必要なのに!そんなこと間違うなって!)
2.国境で、パスポートコントロールの人が、「この人はBiHに24時間立ち入ってはならない」判子を押印。
3.交渉開始。ウィーン外交アカデミーとしては、完全なBiH外務省側のミスのために引き下がるわけにはいかない!
在ウィーンのBiH大使館、ウィーン外務省、在サラエボのウィーン大使館、BiH外務省と連絡を取り、ものすごいハイレベルな外交交渉が行われた。さながら007!
4.3時間半後、最終決定が下される。BiH側は、大使館の非を認めるも、国境で押された判子が効力を持つため、彼女はBiHに入国できない。彼女は一人でザグレブに引き返し、一人でベルグラードまで電車で行くことになる。
5.ウクライナ人の女の子は、ザグレブに戻るバスを待つため、グループを離れる。みんながっかり。
6.バスが彼女なしで出発しようというとき!電話が鳴り、BiH外務大臣が彼女の入国を許可したとの旨伝えられる。最後のどたんばでのニュースにみんなびっくり!
どうやら、在サラエボのオーストリア領事が直接外務大臣に掛け合い、かなり無理を言って通してもらったらしい。

というわけで、国に入る前からものすごい足止めを食らってしまったわけです。。

バスでは、No Man's Landという、ボスニアでの戦争を扱った映画を見て、さらに凹む皆さん。カーテンを開けると、いたるところに爆撃された建物が。。。サラエボの町に入っても、半壊で見捨てられた老人ホーム、白い墓石、壊れた橋、舗道の弾痕と、もう、ずんずん気持ちは沈んでいきます。

震災直後の神戸にやって来た、非神戸住民が感じたような気分をひどくしたもの、と言ったら、ちょっと近いかもしれません。

実際に宿泊したホテルはちょっとした高台にあり、戦争中はそこから下の道路に向けて毎日のように銃撃があったそうです。小さな現地の食堂で食事をしていたとき、隣の席に座っていたおじいさんが立ち上がり、ふと見ると、片足がなかったときにはかなりショックでした。地雷で吹き飛ばされたのでしょう。

ガイドブックによると、舗装された道以外のところに踏み込むと、いたるところに地雷があるそうです。誰も取り除くことができないので、事実上、周りの山や森はすべて未踏の地と言うことになります。

こういう事実一つ一つをヘヴィーに受け止めては凹んでいましたが、二日目になると、不思議なことに弾痕にも、大破した建物にも、慣れてしまうものです。震災のときもそうだったなあ、と思いながらも、町の人々の生きる力、再生に向けたダイナミズムも肌で感じました。

また昔のように、サラエボが民族、宗教の共生できる、平和で豊かな町になるまでには、どれだけの歳月が必要なのでしょうか。


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サラエボ近郊で。戦争で半壊になったレンガの建物が、それこそいたるところに、修復されずに残っています。

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弾痕の残る建物。サラエボ中のほとんどの建物や道路にはおびただしい数の弾痕が残されています。500メートルほど離れた山からスナイパー用の銃で一般人が住む家を撃った後だそうです。

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ホテルの反対側にあった墓地。白い墓石は、明らかに最近立てられたもの。新しい墓石の多さに、無言になってしまいます。
2005-05-08 00:20 | カテゴリ:バルカン半島
大学からの旅行で上記3都市を1週間で回ってきました。まず、国名と首都名から、おさらいです。

クロアチア
 首都:ザグレブ
 首都の人口:70万人
 民族:クロアチア人
 宗教:カトリック

ボスニア・ヘルツェゴビナ
 首都:サラエボ
 首都の人口:公式には50万人。非公式には80万人
 民族:クロアチア人、セルビア人、ボスニア人
 宗教:カトリック、正教会、イスラム教

セルビア・モンテネグロ
 首都:ベルグラード
 首都の人口:150万人
 民族:セルビア人
 宗教:正教会


研修旅行だったので、ただの観光旅行ではなく、現地でいろいろな人のお話を伺い、知識を深めるための旅行でした。

現地では、大使館でレセプションがあり、国連やOSCE,現地のNGO,大学教授、政府関係者(大統領に直接会ったり!)など、さまざまな視点からこの10年のバルカン半島の動きを聞くことができ、思っていたよりもずっと有意義な旅行になりました。

しかし、この間まで戦争していた国を訪れるって言うのは相当ハードで、爆撃された政府の建物や弾痕の残る民家を見ると、普通では感じないような感情湧き上がってきます。新しく建てられた、大量の白い墓石を見ると、ひどく胸が痛みます。

歴史的に他民族が共存してきた地域が20世紀になって分断され、戦争を引き起こした過去は、都市に消せない傷を残しています。

というわけで、この3都市を5回に分けてレポートして行こうと思います。

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クロアチア@ザグレブ。

ウィーンからスロベニアを通過して7時間ほどの距離。そんなに遠くない!それに、クロアチアも一連のバルカン戦争を経てきた国なので、相当の惨状を覚悟してましたが、町としては普通の小さな平和な町でした。オーストリアで言うと、グラーツサイズで、ちっちゃい国の平和な首都と言う表現がぴったりです。

あまりにもちっちゃくて、これで国が機能するのかと思うくらいです。ちっちゃい国会議事堂(普通の建物と区別がつかない。。)ちっちゃい最高裁判所、ちっちゃい国で一番重要な教会、など、かわいらしい町でした。

あまりにも先進国っぽいので、拍子抜け。。あとは、戦争犯罪人ゴトヴィナ将軍の国際司法裁判所への引渡しさえ実現すれば、EUに普通に入れるんじゃ。。

というわけで、平和な平和なクロアチアでした。。

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しかし、本当のバルカンはこれから始まるのです。。
2005-04-07 23:34 | カテゴリ:イタリア
4日ほどローマに行ってきました。
私がローマに行くときは、絶対何かの大イベントが起こって、大迷惑をこうむることが多いのですが、今回もそのとおりになっちゃいました。

確か、最初にローマに言ったのは1999年~2000年のクリスマス&お正月。留学時代の親友がローマに住んでいるので、彼女のところに泊めてもらったわけですが、キリスト生誕2000年祭の一部で、クリスマスは町中すごい人でいっぱい!

2回目は忘れもしない2000年8月15日。この日は、キリスト生誕2000年祭でも一番大事な日で、世界中から巡礼者がローマに集まってくるハイライトの日でした。。そんなことは露知らず、一日だけ親友に会いにローマに立ち寄ったらば。。どわっ!!すっげー人、人、人!世界中からの巡礼者っていっても、若い人が多くて、ボーイスカウトのようなノリの各国の若者。。ブラジル人、ペルー人、ポーランド人、フランス人。。ものすごい数の若者が、バス停でたむろして、キャンプしている勢い。それが、町中なんです。日本で言うと、世界中から人が集まってきて、ところかまわずお花見してる勢いです。おかげで、電車もバスも込みまくってひどい目にあったよ。。

そして、今回が3回目。今回は3ヶ月くらい前から企画して、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に会いに行くグループと一緒にいったんだけど、ウィーンからローマに向かう夜行列車の中で、教皇死去のニュースが。。。何というタイミング!楽しみにしていた、教皇謁見はならず。。その上、町は、教皇のご遺体を一目見ようとカトリック教徒で大混雑!私もいったんは、ご遺体を拝見する列に加わろうと思ったんだけど、サン・ピエトロ寺院まで行って、5時間待ちだと聞いてあきらめたわけです。。けど、ローマ教皇が亡くなったその日の夜には、サン・ピエトロ寺院に行きました。まだ、人が集まる前だったので、寺院のすぐそばまで近づくことができました。

教皇死去のため、バチカン美術館やサン・ピエトロ寺院の中は入れなかったので、かなり残念。けど、その他のローマの遺跡(フォロ・ロマーノ、コロッセオ、パラティーノ、カラカラ浴場など)は全部入れたので、ひたすら歩き回ってきました。

5年ぶりにローマの親友にも会えて、大満足!積もる話もいっぱいで。。ローマは何回行ってもいい町なので、また、安い電車でも見つけて行ってみるとしようか、と思ったわけです。