2005-08-31 15:18 | カテゴリ:バルカン半島
こないだの週末(土日月)でクロアチアのIstria地方のRovinjという町にダイビングに行ってきました。
写真はまだ人のカメラに入ってるので、ネットから適当に取ってきた写真でも見て雰囲気を味わってね♪
35122263_192.jpg

35122263_114.jpg

35122263_82.jpg

(土曜日)
土曜の朝7時に出発して、5時間程度でつくと思ってたら、着いてみたら夜の7時だった。。ていうか、もう途中の時点で、あきらめて3時間くらい観光とかもしてたし、雨だったからなかなか進めなかったのだけどね。。

次回のための自分メモとして、ルートと所要時間をまとめます。
ウィーン→グラーツ:2時間
グラーツ→クラーゲンフルト(Kaernten):1時間
クラーゲンフルト→ルビリアニ(スロベニアの首都):1.5時間(Loiblpassの峠で国境)
ルビリアニ→Postojna:0.5時間(Postojnaで洞窟見学3時間)
Postojna→Rijeca:1時間
Rijeka→Rovinj:2時間(途中Ucka自然公園を通過)

こうやって見てみると、普通に走ったら8時間で到着することがわかります。まあ、いきしは雨だったからスピードが落ちたのと、迷ったりした分を入れると正味9時間くらいはかかったなあ。
ちなみに帰りしは、
Rovinj→Koper(イタリアのトリエステの近く):1時間
Koper→Postojna:1時間
というルートを通ったので1時間ほど節約できたよ。

到着してキャンプ場を探して(町から歩いて15分ほどの距離。ビーチのすぐそばのキャンプ場で、湾の向こうに町が見えてすごいきれい!!)、テントを張ってから町へ!!
昼間は大嵐だったのに、夕方は晴れてとてもいい気分。それに、8時間南に走っただけなのに、この気温の差は何!
オーストリアは長袖2枚重ね、ジャケットが手放せないというのに、クロアチアは袖なしにショートパンツ。普通の夏じゃないですか!いいなあ。。

ちなみに、海はアドリア海。海の向こうはイタリアです。

Rovinjに行ったのはダイビング目的だったので、町のことはぜんぜん調べてなかったけど、ものすごく素敵な町!!!半島の部分に石畳の小さな昔の町がちょこんと乗ってる感じ。一番高いところにはイタリア風の尖塔の教会が建ってて、すごいロマンチック!!町を歩いてみると、至る所にマーケットやギャラリー、カフェが建ち並ぶ。超かわいい!!
ヨーロッパ人の夏への憧れを町にしたらこういうものが出来上がったという感じで、超満足です。

来てる人は、イタリア人とドイツ人が4割ずつぐらい。あとはほんのちょっとオーストリア人、フランス人、オランダ人などがいました。地元の町の人はこういう多言語お客さんをもてなすため、クロアチア語のほかにイタリア語、ドイツ語、英語がぺらぺらなのには驚いたよ。

海はものすごい透明で、町のすぐそばのハーバーとかにも魚がわんさか!!これはダイビングが期待できますねえ!

町をぶらぶら散策してからその辺のオープンカフェ風レストランでディナーして、キャンプ場に戻ると、遠くのほうで雷が。。経験から言って3時間後に大嵐が来る!という感じだったので、車でも寝れるようにトランクをぶち抜いて体制を整えてからテントにもぐりこむ。

案の定朝3時に雨がテントにあたる音で目が醒めたので、猛スピードでテントから飛び出して、マットレスや寝袋を次々と車の中に放り込んで、社内で寝る体制を整えるまで10分とかからなかった!!!
それに、テントより車のほうが寝心地がいい。。(笑)

(日曜日)
朝から起きてダイブショップを探して速攻潜るつもりだったのに、7時に起きてみたらまだ大嵐なので、そのままぐずぐず11時くらいまで寝てしまった。。たぶん雨の後だしあまり海もきれいじゃないと踏んで、翌日ダイビングに切り替え。ショップで値段を聞いて回る。

昼間はまた町に行ってうろうろ。小さい町なのに見所が結構たくさんあって、何回行っても飽きないなあ。

スーパーでAjvarというパプリカとほかいろんな野菜をゆでてつぶした物を見つけたので、パンにつけて食べると超おいしい!!ウィーンでも買えるらしいので、これからは大好物がもう一つ増えたよ。
あと、やっぱり海のそばなのでシーフードが特産。魚のスープはおいしくて最高!でも、メインディッシュはいかとかたことかが多くてちょっと不便。。

町でフィンを買って、キャンプの近くのビーチで泳いで見る。寒!!!海が冷たいよおーー。シュノーケルをつけて泳いだら、大き目のかにとかが結構見えてかわいい。けど、やっぱり、トロピカルじゃないから、魚の色は結構地味かな。。

暗くなってから町に戻ってDreamという名前のレストランで最後の晩餐を楽しんで、キャンプに戻って寝ました。。雨はとっくにやんでたけど、テントより車のほうが心地よいので、テントをたたんで車でぐっすり♪

(月曜日)
今日はわくわくダイビングの日!キャンプ場からすぐのショップなので便利♪
今日はボートダイブ2回とフル装備一日レンタルで合計55ユーロ!!なんと去年のメキシコの半分!これは安いね!

おまけに、一回目のダイブは初洞窟!!!超どきどき!
なのに、水に入ってみると案の定一年ぶりなので大パニック!!借り物のマスクなので、鼻が見つからなくて耳抜きがすごいやりにくいし、ロープで降りるときに後ろの人に気を使うと、急いで降りないといけないし、フィンがちょっと大きめなので取れそうになるし、レギュレータに大量に水が入るし!!ていうか、最後のはマジであせった。既に二つ目のオクトパスを使おうかと思ったくらい。

しばらくしてかなり安定してきたので、1つ目の洞窟へ!ランプはなくても大丈夫なくらいの明るさなので、かなり楽々。所々上から日が差してきてすごいきれい!!!
1つ目の洞窟は向こうが行き止まりなので、ぐるっと回って引き返します。

二つ目の洞窟は島の真中にあいていて、島の側面から洞窟に入って、島の真中で水面に出れるようになっています。
こっちのほうがちょっと暗かったけど、浮力を調節してがんばった!!いったん水面に出るとなんか変な感じ。。

で、洞窟も終わって魚を見てだんだん落ち着いてきていると、急に異変が!!なんか、腰のあたりでするっと何かが触った気がするんですけど!!と思うまもなく、体がどんどん上昇していく!!!ふと下を見たらピンクのウェイトベルトが砂の上に!!!私はどんどん浮上していくし!!まあ、深さは10m程度だったので、浮上しても大丈夫だったけど、30mとかだったら超やばかったって!!!!!

とか思いながらBCDの空気を抜こうと必死になってると、バディが気が付いて、私のフィンを引っ張って引き摺り下ろしてくれた上、砂の上に座らせて、もう一人の人と一緒にウェイトベルトを手に握らせてくれました。

けど私はもう、映画みたいにパニクってるし、またレギュレーターに水がぼこぼこ入ってくるし、ウェイトベルトどころじゃない!やっとちゃんと呼吸ができるようになって、ウェイトベルトを締めなおしてから、実際に起きたことの怖さを思い出しては、しみじみしてました。

地上に戻ってから二回目のダイブまで3時間ほどあったので、町に行ったりビーチに寝転んだりしてました。しあわせ。。。

二回目のダイブは洞窟じゃなくて全然別のスポットなんだけど、ガイドが別の人たちのインストラクターをしないといけないので、「じゃ、今回のダイブは二人だけで行ってください。大丈夫ですね?」って。。。私???超方向音痴なんですけど!!!!
なんか、バディが結構自信ありげだし、どうせそんなに深くないので、流れに身を任せることにしてみました。

2回目のダイブは一回目と比べて余裕余裕。自分の速さで潜れたのでパニクることも焦ることもなく、平穏無事に潜れました。おまけに、言われたとおりのルートをたどって元のところに帰って来ると、ちょうどボートの錨発見!!そのままロープをたどっていったら、迷うことなく無事にボートまでたどり着けました。

一年ぶりなので、一回目のダイブはめちゃくちゃ、二回目でかなり余裕を持って楽しめる感じという事がわかったけど、多分来年も2回くらいしか潜らないと思うので、毎年こんな感じで過ぎていくんだろうなあ。。

ダイブのあとすぐに車に飛び乗って7時間後火曜日の朝3時にウィーンに到着しましたとさ。帰りは天気もよくて道も間違わなかったので、かなり余裕でした♪
2005-05-08 00:40 | カテゴリ:バルカン半島
さて、そうこうしているうちに最後の目的地、ベルグラードへやってまいりました。

セルビア・モンテネグロのうち、ベルグラードのあるあたりは、セルビア人が集まった地域なので(モンテネグロはモンテネグロ人、コソボはアルバニア人が多数)、宗教は正教会、文字はキリル文字です。キリル文字って、ロシア語とかに出てくる文字で、アルファベットとはちょっと違うので読むのが大変です。

ベルグラードは、典型的な旧共産主義国の遺物です。日本やヨーロッパから比べると、20年ほど昔にタイムトリップした気分です。

16706720_43.jpg
典型的なベルグラードの建物。がっしりしていますが、ぼろぼろになっても修復なんてされません。150万人規模の大きな町なのですが、町全体が灰色で、すすけた雰囲気です。それでも、サラエボで見慣れた弾痕がないのが救いですが。。

1999年のコソボ動乱のときのNATOによるベルグラード襲撃で、町の建物のいくつかは爆撃された後がありますが、サラエボから来た人にとっては全然たいしたことありません。(強くなったなあ。。精神的に。)

16706720_154.jpg
その中でも特に物議をかもし出したのが、NATOによって誤爆?された中国大使館。NATO側は誤爆と主張していますが、当時の政治的状況と、大使館の立地条件(周りは原っぱで、無理やり狙わないと当たらないような場所にある)から、意図的な爆撃だったのではないかと言われています。

ベルグラードの旧共産主義的暗ーいムードに、どよーんとなりましたが、国際社会の注目を浴び、復興資金をたくさん援助してもらえるサラエボの比べて、自業自得の戦争でぼろぼろに経済難に陥ったベルグラードは、復興資金面で相当不利なのでは、と言う印象を受けましたが、他の旧共産主義の国のように、ここも適切な投資さえあれば10年後にはEUに加入も夢ではない気がします。(EUってそんなにいいものなの?っていうお話はまた別ですが。。)

=========================

今回の旅行を通じて、後進国(発展途上国とはまた違う意味で)の抱える問題を肌で感じました。戦争の爪跡、復興への道のり、国際機関の役割の重要性などについて、実際自分の目で見ることで、他人事ではない気がしてきました。

私には、クロアチア人、ボスニア人、セルビア人の友達もいます。また、復興のお手伝いをしているOSCEで働いている友達もいます。それぞれが、それぞれの立場から、歴史を体験し、過ちを修正しようとしている姿に感動し、それと同時に、バルカン半島の業の深さを実感しました。
2005-05-08 00:39 | カテゴリ:バルカン半島
さて、ここでちょっと息抜きして、サラエボの楽しみ方をご紹介!

16705904_18.jpg
写真の一枚目は、サラエボの二つの塔と呼ばれているビルで、国連やOSCE、NATOなどの国際機関が入っているビルです。(前景の頭は、BiHの新しい法律の草稿を書いているOSCEで働いている友人です。)

また。サラエボと言えば、第一次世界大戦が始まるきっかけとなった、フランツ=フェルディナントが暗殺された場所です。(ちなみに、彼はエリザベートの甥で、ルドルフ暗殺後に帝位継承者になった人です。って、ルドルフが生きてたら、歴史が変わってたかも!!)

16705904_30.jpg
三枚目は、サラエボ特産ビール、サラエブスコです。ビール醸造所は町の中にあって、戦争中もビールを造っていたと言うから偉い!

サラエボは、建築的に三つの部分に分かれていて、川の上流から、イスラム教の影響を受けた地区、オーストリア・ハンガリー帝国の影響を受けた地区、共産主義時代の影響を受けた地区に分けられます。それぞれ、独特の雰囲気があるので、おそらく戦争前には、一粒で3度おいしい町だったはずです。
2005-05-08 00:35 | カテゴリ:バルカン半島
さて、ここでちょっと回り道して、ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)の歴史的説明ご紹介。

BiHには、第一回にも書いたように、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人が住んでいます。しかし、この三つの民族、どう違うの?と聞かれると、はっきり言って、違いはありません。見た目は見分けがつかないし、話している言葉もほとんど同じです。(書き言葉では、セルビア人はキリル文字、他はアルファベットを使いますが)唯一の違いは宗教です。セルビア人は正教会、クロアチア人はカトリック、ボスニア人はイスラム教を信仰しているのです。

1990ごろまでは、この3民族は仲良く共存して暮らしていました。ところが、急にセルビア人の民族浄化運動が始まり、ボスニア人が多い首都サラエボは、セルビア人に激しく攻撃されます。

1995年にデイトン協定が結ばれ、BiHは二つの地域国に分けられ、戦争はいったん決着がつけられます。。ひとつは、「レパブリカ・セルブスカ(RS)]と呼ばれる地域で、主な住民はセルビア人(正教会)です。もうひとつは「連邦」(Federation)と呼ばれる地域で、クロアチア人(カトリック)とボスニア人(イスラム教)が共存して暮らしています。この二つのグループの割合は、全人口の約半分ずつを占めています。

デイトン協定制定後、国連、OSCEなどの国際機関がサラエボ入りし、今ではBiHは国際機関の手を借りて少しずつ正常化の動きに入りつつあります。それでも、平和が樹立されてから10年経っ他にもかかわらず、町は、戦争が昨日まで続いていたような荒れようです。アフガニスタンからアルカイダのメンバーが入国し、テロリスト養成キャンプがあると言ううわさもあります。この国がひとり立ちし、国際機関の手を離れるまでには、まだまだしばらく時間がかかりそうです。

16705539_227.jpg
2005-05-08 00:28 | カテゴリ:バルカン半島
さて、第二回はサラエボ編です。
今回の旅行で一番印象に残ったのがサラエボなので、ちょっと気合はいります。

サラエボに入る前に、すでにアクシデント!!
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)の国境で、同行のウクライナ人の女の子がビザ未取得と言う理由で追い返されそうになり、3時間半も国境で待機する羽目に!!!

事情は、以下のとおり。
1.ウィーンにあるBiH大使館が大学事務局に、「ウクライナ人はVisa不要」と通達。(本当はVisa必要なのに!そんなこと間違うなって!)
2.国境で、パスポートコントロールの人が、「この人はBiHに24時間立ち入ってはならない」判子を押印。
3.交渉開始。ウィーン外交アカデミーとしては、完全なBiH外務省側のミスのために引き下がるわけにはいかない!
在ウィーンのBiH大使館、ウィーン外務省、在サラエボのウィーン大使館、BiH外務省と連絡を取り、ものすごいハイレベルな外交交渉が行われた。さながら007!
4.3時間半後、最終決定が下される。BiH側は、大使館の非を認めるも、国境で押された判子が効力を持つため、彼女はBiHに入国できない。彼女は一人でザグレブに引き返し、一人でベルグラードまで電車で行くことになる。
5.ウクライナ人の女の子は、ザグレブに戻るバスを待つため、グループを離れる。みんながっかり。
6.バスが彼女なしで出発しようというとき!電話が鳴り、BiH外務大臣が彼女の入国を許可したとの旨伝えられる。最後のどたんばでのニュースにみんなびっくり!
どうやら、在サラエボのオーストリア領事が直接外務大臣に掛け合い、かなり無理を言って通してもらったらしい。

というわけで、国に入る前からものすごい足止めを食らってしまったわけです。。

バスでは、No Man's Landという、ボスニアでの戦争を扱った映画を見て、さらに凹む皆さん。カーテンを開けると、いたるところに爆撃された建物が。。。サラエボの町に入っても、半壊で見捨てられた老人ホーム、白い墓石、壊れた橋、舗道の弾痕と、もう、ずんずん気持ちは沈んでいきます。

震災直後の神戸にやって来た、非神戸住民が感じたような気分をひどくしたもの、と言ったら、ちょっと近いかもしれません。

実際に宿泊したホテルはちょっとした高台にあり、戦争中はそこから下の道路に向けて毎日のように銃撃があったそうです。小さな現地の食堂で食事をしていたとき、隣の席に座っていたおじいさんが立ち上がり、ふと見ると、片足がなかったときにはかなりショックでした。地雷で吹き飛ばされたのでしょう。

ガイドブックによると、舗装された道以外のところに踏み込むと、いたるところに地雷があるそうです。誰も取り除くことができないので、事実上、周りの山や森はすべて未踏の地と言うことになります。

こういう事実一つ一つをヘヴィーに受け止めては凹んでいましたが、二日目になると、不思議なことに弾痕にも、大破した建物にも、慣れてしまうものです。震災のときもそうだったなあ、と思いながらも、町の人々の生きる力、再生に向けたダイナミズムも肌で感じました。

また昔のように、サラエボが民族、宗教の共生できる、平和で豊かな町になるまでには、どれだけの歳月が必要なのでしょうか。


16704425_155.jpg

サラエボ近郊で。戦争で半壊になったレンガの建物が、それこそいたるところに、修復されずに残っています。

16704425_108.jpg
弾痕の残る建物。サラエボ中のほとんどの建物や道路にはおびただしい数の弾痕が残されています。500メートルほど離れた山からスナイパー用の銃で一般人が住む家を撃った後だそうです。

16704425_143.jpg
ホテルの反対側にあった墓地。白い墓石は、明らかに最近立てられたもの。新しい墓石の多さに、無言になってしまいます。
2005-05-08 00:20 | カテゴリ:バルカン半島
大学からの旅行で上記3都市を1週間で回ってきました。まず、国名と首都名から、おさらいです。

クロアチア
 首都:ザグレブ
 首都の人口:70万人
 民族:クロアチア人
 宗教:カトリック

ボスニア・ヘルツェゴビナ
 首都:サラエボ
 首都の人口:公式には50万人。非公式には80万人
 民族:クロアチア人、セルビア人、ボスニア人
 宗教:カトリック、正教会、イスラム教

セルビア・モンテネグロ
 首都:ベルグラード
 首都の人口:150万人
 民族:セルビア人
 宗教:正教会


研修旅行だったので、ただの観光旅行ではなく、現地でいろいろな人のお話を伺い、知識を深めるための旅行でした。

現地では、大使館でレセプションがあり、国連やOSCE,現地のNGO,大学教授、政府関係者(大統領に直接会ったり!)など、さまざまな視点からこの10年のバルカン半島の動きを聞くことができ、思っていたよりもずっと有意義な旅行になりました。

しかし、この間まで戦争していた国を訪れるって言うのは相当ハードで、爆撃された政府の建物や弾痕の残る民家を見ると、普通では感じないような感情湧き上がってきます。新しく建てられた、大量の白い墓石を見ると、ひどく胸が痛みます。

歴史的に他民族が共存してきた地域が20世紀になって分断され、戦争を引き起こした過去は、都市に消せない傷を残しています。

というわけで、この3都市を5回に分けてレポートして行こうと思います。

=============================

クロアチア@ザグレブ。

ウィーンからスロベニアを通過して7時間ほどの距離。そんなに遠くない!それに、クロアチアも一連のバルカン戦争を経てきた国なので、相当の惨状を覚悟してましたが、町としては普通の小さな平和な町でした。オーストリアで言うと、グラーツサイズで、ちっちゃい国の平和な首都と言う表現がぴったりです。

あまりにもちっちゃくて、これで国が機能するのかと思うくらいです。ちっちゃい国会議事堂(普通の建物と区別がつかない。。)ちっちゃい最高裁判所、ちっちゃい国で一番重要な教会、など、かわいらしい町でした。

あまりにも先進国っぽいので、拍子抜け。。あとは、戦争犯罪人ゴトヴィナ将軍の国際司法裁判所への引渡しさえ実現すれば、EUに普通に入れるんじゃ。。

というわけで、平和な平和なクロアチアでした。。

16703396_44.jpg

しかし、本当のバルカンはこれから始まるのです。。