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2018-11-11 16:16 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

一つ前の記事で、モーツァルトの葬儀について解説しましたが、今回は「どこで葬式が行われたのか?」という疑問に答えていきたいと思います。


●葬式の用語と手続き


モーツァルトの葬式、と一言で言っても、いくつか手順がありますし、巨大なシュテファン教会のどの礼拝堂で行われたのかも諸説あります。


まず、葬式の儀式と用語について解説します。


葬式はドイツ語でBestattung, Todesfeier, Begräbnis(埋葬に近い)など、複数の表現があります。また、オーストリアではEinsegnungがBestattungの代わりに使われることもありますし、「聖別する」(聖水をかける儀式)を指すこともあります(プロテスタントではAussegungと呼ばれます)


また、モーツァルトの時代には遺体を安置し、一般弔問を受け付ける、Aufbahrenもありました。


実際の埋葬(灰や遺体を墓に入れること)はBeisetzungといいます。


このそれぞれの段階が、それぞれどこでどのように、だれが付き添って行われたかが諸説あるので、とてもややこしいのですが、以下のように整理できます。


・Aufbahren(一般弔問)は、自宅で12月5日~6日の昼にかけてと、シュテファン大聖堂で12月6日の午後に行ったとされています。


・Einsegnung(聖別の儀式。葬式ミサ)は、シュテファン大聖堂で12月6日に行われましたが、その会場となった礼拝堂に関しては諸説あります(後述)


・Beisetzung(実際の埋葬)は、聖マルクス墓地で、家族や友人の付き添いなく行われたとされています。ただし、当時はかなり遠方の墓地まで家族や友人が徒歩で付き添うのは現実的ではなく、教会の葬式の最後に、教会の地下室(カタコンベ)に「下す」ことで、Beisetzungの儀式の代わりとするという風習があったようです。


●葬式はどこで行われた?


それでは、モーツァルトの葬式がどこで行われたかを検証していきます。


これには二説ありますが、名前の類似性と複雑さが絡み合って生まれた謎なようですので、解きほぐしていきます。


まず、最もよく知られているモーツァルトの葬式があったとされる礼拝堂は、こちらです。


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これは、Kruzifixkapelle(Kruzifixとは、キリストが十字架に掛けられたことを指す)で、隣にある金の十字架が輝く像は、トルコ包囲からの解放を記念して1738年に作られた、Kapistrankanzelです。


IMG_6298_thumb1


このKruzifixkapelleの中をのぞくと、十字架に掛けられたキリスト像があり、その足元にモーツァルトの記念パネルがあります。


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モーツァルトのパネル


”An dieser Stätte wurde des unsterblichen W. A. MOZART Leichnam am 6. Dezember 1791 eingesegnet. Wiener Schubertbund 1931“


「この場所で、不死のW.A.モーツァルトの遺体が、1791年12月6日に聖別された」(「不死の」とは、キリスト教では、体は死んでも魂は死ぬことはないことから)


自然に考えると、この場所にモーツァルトの棺が運ばれ、しばらく屋外でAufbahren(一般弔問)を受け付けた後、家族や友人が見守る中「聖別の儀式」が行われて聖水がかけられ、最後に下向きの扉が開けられて、教会地下のカタコンベに下すことで、墓地に行かなくともBeisetzungの儀式を形式的に終わらせた、という流れだと推測されます。


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カタコンベへの入り口


カタコンベはTodeskammer(死者の部屋)としても使われたため、遺体はここで墓地行きの馬車を待ち、12月6日の18時以前、もしくは12月7日の朝に、聖マルクス墓地に運ばれたとされています。


●もう一つの礼拝堂


ややこしいことに、シュテファン大聖堂にはもう一つ似た名前の礼拝堂があり、こちらで葬式が執り行われたという説もあります。


その礼拝堂はKreuzkapelle(十字架礼拝堂)。シュテファン大聖堂を入って左側の小部屋で、オイゲン公が埋葬されていることから、Prinz Eugen Kapelleとも呼ばれています。


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Kreuzkapelle入り口


先ほど登場した、シュテファン大聖堂左側外にあるのが、Kruzifixkapelle(磔刑礼拝堂)に対し、こちらはKreuzkapelle(十字架礼拝堂)。ドイツ語話者やカトリック信者にとっては、取り違えても不思議ではありません。また、葬式を外で執り行うという感覚もピンときませんね。


しかし、1791年の時点で、Einsegnung(聖別の儀式)を教会内で行う習慣はなく、許可もされていませんでしたので、個人的には、このKreuzkapelleでの葬式は、Kruzifixkapelleとの取り違いではないかと考えています。


(実際、シュテファン大聖堂が発行している公式ガイドブックでは、KruzifixkapelleのところにもKreuzkapelleと書かれていますし、シュテファン大聖堂の公式サイトでは、Kreuzkapelleは、別名のPrinz Eugen Kapelleと記されています。また、さまざまなサイトで、両者の取り違いが見受けられます。シュテファン大聖堂入って左のKruzifixkapelleと書かれていたり、KapistrankanzelのそばのKreuzkapelleと書かれていたり。。なので、おそらく歴史的にこの二つは名前が似ていることから、取り違いされやすいのではないかと思います)


また、屋内のKreuzkapelleで葬式をした場合、Einsegung「聖別の儀式」は教会の入り口で先に済まさなければならず、カタコンベに下すBeisetzungも、カタコンベの入り口とつながっているKruzifixkapelleに出なくてはなりません。


KruzifixkapelleとKreuzkapelleを行き来して、両方を使用した可能性も無きにしも非ずですが、少なくとも、重要な二つの儀式は、Kruzifixkapelleで行ったと考えるのが自然でしょう。


●聖マルクス墓地への道行き


葬式自体は12月6日であったと、教会の記録に残っていますが、1790年の「衛生法」により、死後48時間経ってから埋葬を認められたので、埋葬自体は12月7日の可能性が高いでしょう。


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聖マルクス墓地のモーツァルト記念碑「嘆きの天使」


気象記録によると、12月6日は穏やかな天気、12月7日は嵐だったとされています。すでに葬式の最後の「カタコンベに下す」Beisetzungの儀式で、遺族の気持ち的には埋葬が済んでいるわけですので、わざわざ翌日の朝嵐の中、墓地行の馬車に付き添うことが必要と考えた人は少なかったかもしれません。


そもそも、聖マルクス墓地は徒歩で付き添うには遠すぎるので、シュテファン大聖堂からSchulerstrasseを通り、Stubentorの門付き添って、最後のお別れをした人たちが、何人かいただけだったはずです。


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モーツァルトが住んだSchulerstrasseの前を葬列は進んだ。


この、大聖堂からStubentorの門まで付き添った人にも諸説あり、コンスタンツェのほかに、ファン・スヴィーテン、サリエリ、ジュスマイヤー、Roser, Orslerが付き添ったとしているのは、信憑性の低いJosef Deinerの手記ですので、実際何人が付き添ったのかはわかりません。


●まとめ


というわけで、モーツァルトの葬式について調べてみました。


シュテファン大聖堂のことについてかなり詳しく調べなければわからなかったのと、モーツァルトの死や墓の謎について触れている記事は多いのに、実際の葬式の場所や、参列者について書かれた文献が少なかったり、ぼかしてあったりで、調べるのにかなり苦労しました。新説も時々出ているようですので、注目していきたいと思います。


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2018-11-08 16:17 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトの史実の調査をまとめるという、底なし沼にはまってもう久しいですが、ちょうどモーツァルトの葬儀について質問を受けたので、備忘録的にまとめておきます。


●前提


諸説ある、古い研究と新しい研究は内容が異なる、謎は残っている等、様々な点がある中、どの説が史実に近そうかも検証していきたいと思います。


今回の記事で扱うのは、モーツァルトの死から、シュテファン大聖堂を経て、棺が聖マルクス墓地に到着するまでです。モーツァルトの死因や、お墓の場所など、定番の謎については、今回は触れていません。


モーツァルトの葬儀の日の天気については、さまざまな説があり、検証はされていますが結論は出ていないので、軽く触れる程度にしておきます。


また、参列者等はソースによって異なりますので、諸説あるものを載せておきます。


●モーツァルトの死(自宅)


モーツァルトは、Rauhensteingasse 8にて、1791年12月5日の0時55分に亡くなりました。


IMG_5043

モーツァルト最期の家


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史跡パネル


同日朝から午前中にかけて、Dr. Eduard Guldener von Lobes医師による検死が行われましたが、特に気になる点はなかったとされています。


Joseph Graf Deym von Stritetzがデスマスクを取りますが、コンスタンツェが壊したと言われています(今残っているモーツァルトのデスマスクの信憑性が問われています)


その後自宅で一般弔問(Aufbahrung)があったとされています。その時はカプツィーナ修道僧のようなマント(一説によればフリーメイソンの黒いローブ)を着ていたとされています。


●自宅→シュテファン大聖堂の葬列と参列者


翌12月6日15時ごろ、シュテファン大聖堂へ移動します。


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シュテファン大聖堂


葬列(Trauerzug)は、十字架を持った人が先導し、4人がトウヒの棺を運び、コーラスの少年がいたそうですが、二頭立ての馬車だったという説もあります。教会では鐘が鳴らされたので、ウィーン市民は誰が亡くなったのかわかっていたのでしょう。


参列者については諸説ありますが、いた可能性があるのは、コンスタンツェ(早い段階で体調を崩し、子供たちとその場を離れたという話もあり)、コンスタンツェの姉妹とその夫たち(Josef Lange, Franz Hofer)、ファン・スヴィーテン男爵、モーツァルトの弟子のFranz Jakob Freystätlerとジュスマイヤー, シカネーダー劇団のファゴットとコントラバス奏者のOtto Hatwig, モーツァルトの友人のJohann Georg Albrechtsberger, 音楽家Alselm Hüttenbrenner、サリエリ、シカネーダーの友人で魔笛でタミーノを演じたBenedikt Schack、Kapellmeister Roser, ヴィオリンチェロ奏者Orsler、モーツァルトの行きつけのレストランのウェイターJosef Deinerがいたとされています。(参列者の信憑性については後述しますので、ここに書かれた人が全員いた可能性は低いかもしれません)


シカネーダーは参列していなかったとされています(Nissenの手記による)


Joseph Lange, Franz Hofer, Benedikt Schackは参列のソースは、1857年のMonatsschrift für Theater und Musikです。LangeとHoferはモーツァルトの親戚であり、友人であり、仕事仲間でもあったので、最も近しい男性といえるでしょう。


ファン・スヴィーテン、サリエリ、ジュスマイヤー、Kapellmeister Roser, ヴィオリンチェロ奏者Orsler、Josef Deinerは、教会から墓地行の馬車の付き添いのリストに含まれています。ソースは1856年1月28日、モーツァルトの誕生日100周年を記念したJosef DeinerのWiener Morgenpostに載った手記に基づいています。この手記自体信憑性を疑われていることもあり(葬式の日に大嵐という描写が。。)、そもそもその場にJosef Deinerがいたかどうかも定かではありません。


ほかの人物の参列の真偽については、ソースも不明ですが、Josef LangeとFranz Hoferはコンスタンツェの姉妹の夫ですので、モーツァルトの親戚の男性に含まれ、最も参列していた可能性が高いでしょう。コンスタンツェは体調を崩し、子供たちと共にその場にいなかった可能性もあります。コンスタンツェの姉妹(Aloysia Lange, Josepha Hofer, Sophie Haibel)は、夫たちが参列しているため、参列は控えた可能性があります(特に記録には登場しません)。


また、親族以外では、葬式代を出したパトロン、ファン・スヴィーテン男爵は参列していた可能性が高く、逆に、Albrechtsberger, Freystätler, Otto Hatwig, Anselm Hüttenbrennerに関しては、ソースがはっきりしていません。


また、自宅→教会の葬列と、教会での葬式、教会→Stubentor(墓地へ行く馬車の見送り)で、参列者が異なった可能性もあります。


ちなみに、モーツァルトの葬列の日程と天気に関して謎が多いですが、自宅から教会に移動した、12月6日の天気は穏やかだったとされています(Zinzendorfの手記および天文台の記録による)


(礼拝堂編に続きます)


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2018-07-27 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトのトレードマークとも言える赤いコートの史実について検証していくシリーズ第4段です。

 

目次:

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る①赤いコートは実在した?

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る②大人サイズの赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る③男爵夫人におねだりした赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る④ミュージカル「モーツァルト!」の赤いコートの史実に迫る

 

●ミュージカルで登場する赤いコート

 

それでは、ミュージカル「モーツァルト!」で それぞれの赤いコートがストーリー上、どの場面で登場して、どのようないわれがあるのか、検証していきましょう。

 

ドイツ語版のモーツァルト!は、大きく分けてウィーン初演版、ハンブルク版、ウィーン再演版の三種類があり、日本版はウィーン初演版を元にして、所々他のバージョンの改変を追加しています。

 

★ウィーン初演版(ほぼ日本版と同じ)

 

ではまず、ウィーン初演版を見て行きましょう。

 

「赤いコート」の場面はザルツブルク。時期的にははっきりはしませんが、パリ旅行の前ですので、おそらく1775-77年前半の間ごろ、ヴォルフガング19-21歳ごろだと思われます。この場面で、赤いコートに言及しているのは、以下の歌詞の部分です。

 

[Wolfgang]
Als wir als Klimperkinder
Durch ganz Europa tour'n fuhr'n
Trug ich wenn ich auftrat
Immer den nämlichen Schock-Rock
Ganz à la mode: rot!
[Nannerl]
O ja, ich erinn're mich
[Wolfgang]
Der war ein Präsent...
[Nannerl]
Ich weiss...von der Kaiserin
[Wolfgang]
Doch dann hat er mir nicht mehr gepasst - dumm!
Seither trag ich grau und hab's immer gehasst, drum
Trag ich ab jetzt nur noch diesen hier!
[Nannerl]
Genau derselbe Rock nur grösser!

[Wolfgang]
Sag schon, Kanaille!
Wie steht er mir?
[Nannerl]
Samt und Seide!
Goldne Fäden!
So ein Rock ist nicht für jeden
Die Welt wird sich die Augen reiben
Du bist ein Prinz und wirst es bleiben

 

要約すると、「子供時代にヨーロッパを駆け巡っていた時、いつも真っ赤なコートを着ていた。それは皇后様(=マリア・テレジア)からの贈り物だった。サイズが合わなくなったので、全く同じだがサイズの大きいものを着ることにした。絹でできていて金糸の縁取りだった」となります。

 

また、その後、レオポルトが入ってきて、どこから手に入れた?と聞かれ「博打で勝った金で、自分で買った」と答え、父親に怒られる、という流れです。

 

ここで史実として正しいのは、ザルツブルク時代に錦糸に縁どられた赤いコートを持っていた(家族肖像画に描かれたものが実際存在したとすれば)、ということです。

 

また、史実と異なっているのは、「皇后さまから頂いたコート」は実際は赤ではなく藤色であったということです。モーツァルトが当時から自由になるお金があって、博打ができたかも、疑問の余地があります。演奏旅行費用などで、家族には借金があったとされているからです。

 

この場面は、史実は本当だが、色はフィクションということになりますね。

 

★ハンブルク版

 

ハンブルク版では、「赤いコート」のシーンが完全に削られ、子供時代から大人になってからも、赤いコートについて言及されることはありません。

 

★ウィーン再演版

 

ウィーン初演版とハンブルク版では、神童時代のコンサートは12歳のモーツァルトがパトロンのメスマー博士の前で演奏するという場面でしたが、ウィーン再演版はガラッと変わり、6歳のモーツァルトがシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で御前演奏をする設定になっています。

 

それに伴い、マリア・テレジア本人がモーツァルトに「赤いコート」を下賜する場面が登場します。Der Prinzenrock meines Sohnes Maximiliian. Er passt ihm nicht mehr, und jetzt sollst du ihn haben.(私の息子のマキシミリアンのコートよ。もう合わなくなってしまったので、あなたにあげましょう)というセリフと共に、アマデが受け取り、その場で袖を通します。

 

この場面で史実と合致しているのは、6歳の時にシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの前で演奏したこと、そして、マキシミリアンのお下がりのコートをもらったことです。ただ、今まで見てきたように、史実ではコートの色は赤ではなく藤色でした。

 

12歳メスマー邸のコンサートも、6歳マリア・テレジア御前コンサートも、どちらも史実通りです。再演で改変されたのはおそらく、ウィーンの観光地や有名なエピソードを取り入れるためだったのではないかと思います。

 

参考記事:舞台はウィーン! モーツァルトとメスマー博士③神童モーツァルトはいつどこで誰のために演奏した?

 

・まとめ

 

というわけで、ウィーン初演場、再演版、どちらも「マリア・テレジアからもらったのは赤いコート」という前提で話が続きますが、実は史実とは違ったということがわかりますね。

 

しかし、あまり知られていない「マキシミリアンのお下がり」という事実が入っていることからも、クンツェ氏は「実際は藤色であった」事を知っていて、敢えて話を分かりやすくするために、赤いコートと改変したのではないかと思います。

 

また、有名なBarbara Kraftのモーツァルトの肖像画のおかげで、モーツァルトといえば赤いコートというイメージが定着していますので、ここで史実に忠実に藤色にしてしまうのも、逆に野暮かもしれません。「赤いコート」のシンボル性や知名度を優先した、クンツェ氏の判断だったと推測されます。

 

こんな風に、「赤いコート」の史実とフィクションを検証してきましたが、史実がわかればわかるほど、改変部分の妙が見えて来たり、クンツェ氏の意図が見え隠れして、作品の理解が進む気がします。

 

また、色々とモーツァルトの史実を検証していきますので、お楽しみに!

 


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2018-07-24 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトのトレードマークとも言える赤いコートの史実について検証していくシリーズ第二段です。

 

目次(記事が公開されたらリンクがつながります):

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る①赤いコートは実在した?

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る②大人サイズの赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る③男爵夫人におねだりした赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る④ミュージカル「モーツァルト!」の赤いコートの史実に迫る

 

●ヴァルトシュテッテン男爵夫人からもらった赤いコート

 

上の家族の絵の1,2年後の1782年9月、ウィーンにやってきたモーツァルトは、街で見かけた赤いコートに心を奪われ、パトロンだったヴァルトシュテッテン男爵夫人にこんな手紙を書きます。

 

wegen dem schönen rothen frok welcher mich ganz grausam im herzen kitzelt, bittete ich halt recht sehr mir recht sagen zu lassen wo man ihn bekomt, und wie theuer, den daß hab ich ganz vergessen, weil ich nur die schönheit davon in betrachtung gezogen, und nicht den Preis. – den so einen frok muß ich haben, damit es der Mühe werthe ist die knöpfe darauf zu setzen, mit welchen ich schon lange in meinen gedanken schwanger gehe; – ich habe sie einmal, als ich mir zu einem kleide knöpfe ausnahm, auf dem kohlmark in der Brandauischen knöpffabrique vis a vis dem Milano gesehen. – diese sind Perlmutter, auf der seite etwelche weisse Steine herum, und in der Mitte ein schöner gelber Stein. – Ich möchte alles haben was gut, ächt und schön ist!

http://dme.mozarteum.at/DME/briefe/letter.php?mid=1263&cat=3

 

「あの赤いコートは、私の心を不思議にくすぐります。どこで買えていくらくらいするのはは忘れましたが、それは、値段ではなく、その美しさばかりに気を取られてしまったからです。

 

あのようなコートはぜひ手に入れなければなりません。長い事思いを温めていたボタンを付ける価値があるからです。(中略)このボタンは、真珠貝で、周りは白い石で飾られ、真ん中には美しい黄色い石がはめてあるんです。

 

私は、良いもので、本物で、美しいものはなんでも欲しいんです!」

 

そして、そのコートを実際に男爵夫人に買ってもらう約束を取り付けたモーツァルトは、すぐに喜びの手紙を出します

 

Allerliebste, Allerbeste, Allerschönste,
Vergoldete, Versilberte und Verzuckerte,
Wertheste und schätzbareste
Gnädige frau
Baronin!

und das war, mich zu bedanken daß sich Euer gnaden gleich so viel Mühe wegen dem schönen frok gegeben – und für die gnade mir solch einen zu versprechen!

 

 

「最も素敵で、最高で、最も美しい、金をかぶせて、銀をかぶせて、砂糖もかぶせた、最も高貴で、最も尊敬すべき、慈悲深き男爵夫人どの!

(中略)

あの美しいコートに、あれほど骨を折っていただき、私に一着約束して下さった事に、お礼を申し上げることでした。」

(この手紙は全体的にものすごくテンションが高く、モーツァルトの飛び上がるような喜びにあふれています。)

 

 

・・とこんな風に、モーツァルトはウィーンで、ヴァルトシュテッテン男爵夫人に赤いコートを買ってもらいました。時系列的に考えると、家族の肖像画のものと、このウィーンで買ってもらったコートは別物ということになりますね。

 

これを、「第四の赤いコート」とします。

 

●「第四の赤いコート」と発見された肖像画

 

このヴァルトシュテッテン男爵夫人にもらった赤いコートがどのようなものであったのかは、近年までわかっていませんでした。

 

なにしろ、モーツァルトの肖像画だと確実に言えるものは少なく、その中でも大人の姿でカラーのものは、上の家族肖像画と、ランゲの未完の肖像画くらいしかなかったのですから、探しようがありませんでした。

 

ところが、2008年3月になって、モーツァルトの肖像画が新しく発見され、大ニュースになりました。

 

430px-Hagenauer_Mozart_mid-1780s_press_quality_thumb

File:Hagenauer Mozart mid-1780s press quality.jpg - Wikimedia Commons

 

以下の記事によると、この絵は、「第一のコート」を着た12歳のモーツァルトの絵を所有していたのと同じ、父レオポルトの友人で、ザルツブルクの家の家主のハーゲナウアーのコレクションの中の一枚で、モーツァルトのホンモノの肖像画であると確認されています。

 

この絵が描かれた時期は、1780年代中頃とされ、上記のヴァルトシュテッテン男爵夫人への手紙にあるボタンに似た物が付いていることから、これがまさに「第四のコート」であるとも、以下の記事に書いてあります。

 

New Wolfgang Amadeus Mozart portrait found - Telegraph

 

●モーツァルト死亡時の財産目録

 

また、1791年にモーツァルトが無くなった時の死亡目録にも、赤いコートが記載されています。おそらく、この「第四のコート」を死亡時まで手放さずに、大事に持っていたのでしょう。

 

英訳版のリストですが、スプーンや靴、衣装に混じって6行目に、red cloth dittoとあります。dittoとは同上という意味ですので、「赤い布製のコートとベスト」ということになりますね。(他に白と青のコートとベストのセットなど、沢山の衣装も持っていたようです)

 

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Mozart: A Documentary Biography - Otto Erich Deutsch p585

 

これで、モーツァルトが大人になってから来ていた赤いコートのうちの一つは実在して、絵画も残っていることがわかりました。

 

●ウィーンのモーツァルトハウスに展示されている赤いコート

 

実は、ウィーンのモーツァルトハウスに、赤いコートが展示されています。ここは実際に行ってみると、特に説明もなく、オーディオガイドでは上記の男爵夫人への手紙の内容を聞くことができますが、実はこれはレプリカで、上記の第一から第四のどのコートにも似ていません。

 

しかし一応、公式の博物館に展示しており、通常撮影不可ですが、この日は特別に撮影可だったので、資料として貼っておきます。

 

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このコートは、実在していたわけではない可能性が高いですが、ミュージカル「モーツァルト!」日本版のポスターのヴォルフガングや、ウィーンの舞台版のアマデが着ている赤いコートは、おそらくこのデザインを元にしていると思われます。

 

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ウィーン版のアマデの着ている赤いコート。宣伝用の動画撮影のYoutube動画より切り出し。

 

(次は、ミュージカル「モーツァルト!」に登場する赤いコートとその出所を検証します)

 


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2018-07-21 06:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

モーツァルトのトレードマークとも言える赤いコートの史実について検証していくシリーズ第二段です。

 

目次(記事が公開されたらリンクがつながります):

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る①赤いコートは実在した?

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る②大人サイズの赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る③男爵夫人におねだりした赤いコート

モーツァルトの赤いコートの謎に迫る④ミュージカル「モーツァルト!」の赤いコートの史実に迫る

 

●14歳ごろのモーツァルト

 

こちらの、14歳で描かれた以下の絵では、モーツァルトは赤いコートを着ていますが、服のデザインは上のものとずいぶん異なります。上の12歳のモーツァルトの上着より、こちらの方が数段豪華です。この絵は1770年にイタリアのヴェローナで描かれたものです。

 

MozartVeronadallaRosa_thumb[1]

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MozartVeronadallaRosa.jpg

Saverio Dalla Rosa January 1770(14歳)

 

これは、上の12歳の時の絵よりずっと有名ですし、本人の絵であることが確定していますが、このコートの贈り主はわかっていません。

 

既にこのころには、赤いコートがトレードマークになっていたのかもしれませんね。これを、当記事では「第二の赤いコート」とします。

 

●大人になったモーツァルトの赤いコート

 

こちらはモーツァルトの最も有名な絵で、赤いコートを着ています!モーツァルト=赤いコートの印象を植え付けた張本人の絵と言えそうです。

 

408px-Wolfgang-amadeus-mozart_1_thumb[2]

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wolfgang-amadeus-mozart_1.jpg

1819: Barbara Kraft commissioned by Joseph Sonnleithner


しかしこの絵は、モーツァルトの死後28年もたった後、モーツァルトの収集家Joseph SonnleithnerによってBarbara Kraftが依頼されて描いたもので、生前の絵ではありません。

 

この絵を描くときに、Kraftはモーツァルトの姉ナンネールから資料としていくつかの絵のコピーを受け取っていますが、その中でナンネールが一番高く評価していたのが、この絵です。

 

800px-Croce_MozartFamilyPortrait_thumb

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Croce_MozartFamilyPortrait.jpg

circa 1780 Johann Nepomuk della Croce


この絵は、モーツァルトが22歳だった1780年頃に、故郷のザルツブルクで描かれたものです。母親はすでに亡くなっているので、肖像画として登場しています。

 

こちらの絵のモーツァルトを拡大した物がこちら。

 

800px-Croce_MozartFamilyPortrait - crop_thumb[2]

 

Kraftのものと表情や背筋の伸ばし方は少し異なりますが、赤いコートや髪型など、細部を参考にしたことは見て取れますね。

 

こちらのコートが最も有名なもので、「第三の赤いコート」とします。但し、モーツァルトが実際にこの赤いコートを所有していたのか、画家の想像かはわかっていません。

 

(次は、ヴァルトシュテッテン男爵夫人におねだりして買ったもらった赤いコートが登場します)

 


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2018-07-18 16:12 | カテゴリ:モーツァルトの歴史

「モーツァルトといえば赤いコート」というのは、モーツァルトを知る人ならだれでも思い浮かべる、トレードマークです。

 

408px-Wolfgang-amadeus-mozart_1_thumb[5]

 

しかし、モーツァルトはどのような経緯で赤いコートを手に入れたのでしょうか?また、赤いコートはどんな見た目で、実際何枚あったのでしょうか?

 

調べていくうちに、モーツァルトの赤いコートへのこだわりと愛着が見えてきました。

 

●マリア・テレジアにもらったコート?

 

以前記事でも書きましたが、6歳のモーツァルトがマリア・テレジアの御前演奏の時にもらったのは、ミュージカルに出てくるように赤いコートではなく、藤色(ドイツ語でlila)のコートです。

 

この時に4歳半年上のナンネールもピンクのドレスをもらっています。モーツァルトがもらったのは、マリア・テレジアの息子マキシミリアンのお下がりだったと言われています(当時皇室から一般人へ、お下がりが下賜される習慣があった)

 

その時の父親、レオポルトの手紙には、こう書かれています。

 

„schickte die Kayserin durch den geheimen Zahlmeister [Johann Adam Mayr], der in galla [Gala] vor unsere Hauß gefahren kam, 2 Kleid: eins für den buben und eins fürs Mädl“

 

「皇后さまが、ガラコンサートの日に馬車でやってきた見知らぬ会計係(Johann Adam Mayr)を通じて、一つは男の子用、もう一つは女の子用の二つの衣装を贈ってくださった」

 

„Wollen Sie wissen wie des Woferl Kleid aussieht? – Es ist solches vom feinsten Tuch liloa=Farb ... Es war für den Prinz Maximilian gemacht ..(1762年10月19日の手紙)

 

「ヴォルフェル(モーツァルトの愛称)の衣装はどんな風だか知りたいですか?最も高級な藤色の布で、マキシミリアン王子のために作られたものだったのです」

 

こちらが、その翌年にザルツブルクで描かれた、モーツァルトとナンネールの姿です。

 

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Datei:Wolfgang-amadeus-mozart 2.jpg – Wikipedia

File:Maria Anna Mozart (Lorenzoni).jpg - Wikimedia Commons

 

また、モーツァルト7歳の時にパリで描かたこちらの有名な絵も、同じ衣装を着ていますね。

 

763px-Mozart_family_crop_thumb[1]

File:Mozart family crop.jpg - Wikipedia

というわけで、6歳のころにモーツァルトはまだ赤いコートは持っていず、一張羅はこのマリア・テレジアに下賜された藤色のコートだったと言えます。

 

●12歳ごろのモーツァルト

 

こちらの絵は、現在確認されている中でモーツァルトが赤い上着を着ている最初のものです。この絵は2005年3月にスイスで発見された絵で、1768年12歳ごろのモーツァルトをウィーンで描いたものではないかと言われています。

 

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Bilderstrecke zu: 250. Geburtstag: Eindeutig Mozart - Bild 7 von 31 - FAZ

 

比較的最近発見されたもので、当時は大きなニュースになりました。2006年のモーツァルトイヤーでは、ウィーンで展示されていた実物を、私も見に行ったことがあります。

 

この時に着ていたコートを、「第一の赤いコート」としますが、これは他のものと比べてあまり豪華でもなく、ただの「上着」だったかもしれませんね。また、この絵が本当にモーツァルトであるかは、他の絵と比べてまだ100%とは言えず、色々と疑問点が残るコートです。

 

(次の記事は、大人サイズの赤いコートが登場します)

 


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2018-07-15 16:31 | カテゴリ:お知らせ

今週、日本のラジオに出ます!

 

TokyoFM系列で全国放送の「未来へのタカラモノ」という番組で、7/16-20日の間毎日、オーストリアについてお話します。住民ならではの視点ということで、文化、芸術、スポーツ、食文化、お国柄など、幅広くご紹介します。番組概要貼っておきますねー。

 

<番組概要>
番組名:「コスモアースコンシャスアクト 未来へのタカラモノ」
放送日時:毎週月曜日~金曜日の毎日 AM 6:40-6:43
放送局:TOKYO FMをはじめJFN全国38のFM局
下記に放送局の一覧を掲載します。
出演の週は7/16(月)から7/20(金)の5日間です。

 

*ラジオがお手元にない方が聴く場合
…日本国内に在住の場合、インターネットの「radiko」でもラジオが聴けます。
…「radiko」はスマートフォンのアプリでも利用可能です。
…タイムフリーという機能を使えば、
聴き逃しても、過去1週間までさかのぼってお聴き頂けます

 

<放送局一覧>
北海道    Air-G'  エフエム北海道
青森県    FM青森    エフエム青森
岩手県    FM岩手    エフエム岩手
宮城県    Date fm エフエム仙台
秋田県    AFM    エフエム秋田
山形県    Boy-FM  エフエム山形
福島県    ふくしまFM  エフエム福島
栃木県    RADIO BERRY    エフエム栃木
群馬県    FMぐんま  エフエム群馬
東京都    TOKYO FM        エフエム東京
長野県    FM長野    長野エフエム放送
新潟県    FM-NIIGATA      エフエムラジオ新潟
静岡県    K-MIX  静岡エフエム放送
愛知県    FM AICHI        エフエム愛知
岐阜県    Radio 80        岐阜エフエム放送
三重県    radio CUBE FM三重 三重エフエム放送
富山県    FMとやま  富山エフエム放送
石川県    HELLO FIVE      エフエム石川
福井県    FM福井    福井エフエム放送
滋賀県    e-radio エフエム滋賀
大阪府    fm oh!    エフエム大阪
兵庫県    Kiss-FM KOBE    Kiss-FM KOBE
鳥取県    V-air  エフエム山陰
岡山県    FM岡山    岡山エフエム放送
広島県    HFM    広島エフエム放送
山口県    FMY    エフエム山口
徳島県    FMとくしま  エフエム徳島
香川県    FM香川    エフエム香川
愛媛県    JOEU-FM エフエム愛媛
高知県    Hi-Six  エフエム高知
福岡県    FM FUKUOKA      エフエム福岡
佐賀県    FMS    エフエム佐賀
長崎県    fm nagasaki    エフエム長崎
熊本県    FMK    エフエム熊本
大分県    Air-Radio FM88  エフエム大分
宮崎県    JOY FM  エフエム宮崎
鹿児島県  μFM    エフエム鹿児島
沖縄県    FM沖縄    エフエム沖縄


また、放送される5日間は、
「コスモアースコンシャスアクト 」というfacebookでも、文章と写真をアップします。
(このfacebookは、番組だけでなく、
全国各地における清掃活動も紹介しているサイトとなります。)

オーストリアの色々な側面をコンパクトにまとめてお伝えした番組です。私は毎回1分のインタビュー部分に出演していますが、声だけでなく、事前アンケートにて情報もたっぷり提供していますし、Facebookサイトの写真提供も行っています。(出演はペンネームの「御影実」名義となっています)

 

ぜひ、オーストリアでの生活の空気を感じ取ってみてくださいね!

 

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2018-07-06 16:35 | カテゴリ:お知らせ

2ヶ月ほどブログの更新が滞ってていました。楽しみにしていてくださった方には、ご心配おかけしました!

 

私のブログの更新が2-3か月途絶えるのは2回目なんですが、理由はいつも同じです。

 

この度第三子を授かり、人生三度目の地獄のようなつわり生活から戻って参りました。やっと妊娠中期に差し掛かり、PCの前に座ることができるようになってきました。

 

毎回私のつわりは、周りで聞いたこともないほどひどく、完全に2-3か月寝たきり生活に入ります。今回はそれを見越して少し多めに記事を書いて、予約投稿にしていたのですが、全然足りませんでした。。(汗)

 

ブログはお休みしましたが、ショップと執筆の仕事は細々と続けていましたので、仕事上はご迷惑をお掛けせずにに乗り切ることができました。

 

このつわり中に書いた一部の記事は、紙媒体になるそうです!出来上がりを楽しみにしていてくださいね。

 

また、4月から新しい媒体で連載が始まりました。小学館の雑誌「サライ」Web版で、オーストリアの旅行記事を書かせていただいています。ちょっと贅沢で知的な大人の旅をご紹介させていただきますね。

 

アルプスの美峰シュネーベルク山を登山鉄道で行く小さな旅(オーストリア) | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

 

現地ライターが推薦!巡ってみたいオーストリアの名城6選 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

 

そのほかにも、つわり前ですが、ツイッターでつぶやいた育児ツイートがバズり、こんな記事を書かせていただきました。ヤフーニュースやライブドアニュースにも載り、結構読まれた記事となりました。

 

切り札は「おもしろくない」。オーストリア流 “子供をしかる”ときの三段階方式 – レタスクラブニュース

 

ウィーンミュージカル専門店「ウィーン・ミュージカル・ワールド」も、「モーツァルト!」上演中で大忙しです。これから「レベッカ」「マリー・アントワネット」「エリザベート」の上演も控えていますので、準備の方がんばろうと思います。

 

 

他にも執筆中の原稿がいくつかあり、ブログにも書きたいネタは沢山あるので、徐々にまとめて行きたいと思っています。

 

それでは、引き続き「舞台はウィーン!」をよろしくお願いいたします。

 

ひょろ


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2018-05-01 16:49 | カテゴリ:ウィーン

日本のテレビ番組で、ウィーンが世界危機遺産のリストに載ってしまったという話題が放送されたようですね。

 

この話題は、ウィーンが世界遺産の「赤リスト」に載った、去年の7月ごろにこちらでひとしきり騒がれたものですので、当時の記事や地図と合わせてご紹介します。

 

●2017年7月当時の話題

 

この世界遺産危機の話、具体的に言うと、市民公園の横のインターコンチとその横のアイススケート場の場所に、高さ66mの高級マンションを立てる計画があるからで、もう、2,3年越しでニュースになっていました。

 

アイススケート場については、以前記事でまとめたことがあります。毎年必ず滑りに行く、私にとっては馴染みのスケート場です。

 

AT_20170101_1.jpg

【オーストリア】皇帝も訪れた?!ウィーンの歴史あるアイススケート協会のスケートリンク | 海外現地情報ブログ | 阪急交通社

 

今回の「赤リスト」登録は、建設計画中の建物がもし今の計画のまま建ったらやばいから気をつけてね、って話です。(Weltkulturerbe: Unesco setzt Wien auf Rote Liste - 3., Landstraße - derStandard.at › Panorama

 

ウィーン歴史地区の範囲を地図上に表したもの。赤い地域が世界遺産の「中心地区」で、旧市街全部とその周り(ドナウカナルを除く、ベルヴェデーレを含む)。オレンジや青の地域が「周辺地区」で、中心地域のさらに周りを含みます。

 

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こちらが鳥瞰図。問題になる建物はHeumarktで、ちょうど赤線上なので微妙な位置といえます。

 

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●2018年2月、日本で話題になった時点での情報

 

日本で番組になる直前の、2月頭の記事がこちらです。世界遺産の資格を失わないように政府が本気で取り組無という内容で、現在専門家レポート作成中とのことです。(Weltkulturerbe: Bundesregierung greift Stadt Wien an « DiePresse.com

 

記事によると、世界遺産危機リスト(赤リスト)に載るのは、処罰ではなく、対話を促すきっかけ。オーストリアはユネスコが定めた期限をギリギリながら守ってるし、また、赤リストに載って一年目で除外された遺産は今のところないそうです。

 

国とウィーン市の指揮系統と、政党ごとの政策の優先順位も原因とのこと。ウィーン市で強い社会党がのんびり構えてる中、国民党と自由党連立の政府がお尻を叩いている構図が見えてくる。まあオーストリアは外交上手いし、収まるところに収まるでしょう。

 

 

さらに、問題のアイススケート場が2020年まで営業を続けるというニュースが飛び込んできました。元々の工事開始から1年遅れるという発表です。(Heumarkt: Wiener Eislaufverein rechnet noch mit zwei vollen Saisonen « DiePresse.com

 

2020年3月のアイススケート場の営業終了後工事が始まり、オープニングは2023年予定。工事中は、アイススケート場はSchwarzenbergplatzに仮設されるとのことです。(Heumarkt-Projekt: Umsetzung startet 2020 - wien.ORF.at

 

●予定図

 

こちらが、このプロジェクトの公式サイトにある、完成予定図です。

 

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出典:www.heumarkt-neu.at

Entwurf: Isay Weinfeld und Sebastian Murr, Rendering: nightnurse images, Zürich

 

インターコンチが取り壊され、一番左の低くて長い建物になる予定。その横の高い建物が問題の66メートルの住居。周りを取り囲む低い四角い部分は会議場となるようです。

 

アイススケート場は小さくなりますが、このまま残るようですね。夏はスポーツ場になるとか、スケートリンクが屋内になるとか、色々とうわさが飛び交っています。

 

さて、このプロジェクトの公式サイト、世界遺産の赤リストに載ったあたりから更新が止まっていますので、今でもこのデザイン通りに行くのかどうかは不明です。

 

少なくとも、アイススケート場は2020年に閉まった後も、工事中は別の場所で営業を続け、工事が終わったらここに戻ってくる予定のようですね。

 

●ひとりごと

 

ウィーンのアイススケート場の再開発はもう何年も案が出ては消え、また練り直してってやってる、ウィーン人にとっては「またか・・」という話題です。

 

少なくとも、観光で食ってるウィーンが、世界遺産取り上げられるようなことはしないだろうと思います。ドレスデンみたいな、橋かけなきゃ困る!って案件でもないわけですし。

 

ただ、ユネスコ側の条件がよくわからなくて、ガタが来たホテルとスケート場を全く触ってはいけないのか、66メートルの高さがダメなのかとか、その辺りが記事にありません。

 

もしかして、ユネスコはウィーンに「赤リスト」を出してみて、それから対話で様子を見て、ウィーン側がどこまで譲歩するかを見る、という感じなのかもしれません。もうちょっとはっきりした基準があればわかりやすいんですけどね。。。

 

というわけで、これはウィーン人にとっても注目すべき話題です。アイススケート場も世界遺産の資格も、両方残って欲しいものですね。

 

 

 

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2018-04-24 16:39 | カテゴリ:電車・乗り物

前回に引き続き、ウィーン市電150周年記念パレードの様子を、写真と共にお届けしています。

 

ウィーン市電150周年記念パレード①馬車トラム

ウィーン市電150周年記念パレード②蒸気機関トラム

ウィーン市電150周年記念パレード③ハプスブルク時代のトラム

ウィーン市電150周年記念パレード④皇室専用列車

ウィーン市電150周年記念パレード⑤戦中戦後のトラム

ウィーン市電150周年記念パレード⑥50年代のかわいいトラム

ウィーン市電150周年記念パレード⑦70,80年代の車両

 

今回の記事に登場する市電は、ほとんどが現役車両です。しかし、現役とは言っても、道を走らない乗り物も出てきます。

 

●2000年のバス

 

さて、この辺りからもう現役のバスと市電のみになりますので、パレードと言っても珍しさが落ちてきます。

 

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今でも普通に乗っているバスですね。

 

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●1995年の市電

 

E型の引退で、ウィーンで走っている市電の中では一番古いタイプの市電がこれです。初めての床が低い市電で、バリアフリー対応です。ちょっとでも床が高いように見せようと、ちょっと前から見たら下駄を履かせたデザインになっていますね。

 

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●2012年のCitybus

 

旧市街用のミニバスCitybusです。2012年にできた当時は結構話題になりました。

 

 

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ElectriCITYBUSと書いてあるのが見えますか?電気自動車のバスなんです。街角で電気を充電している姿をよく見かけますよ。

 

●2013年の新型市電

 

今普通にウィーンで走っている市電です。これもできた当時はおお!!!と思いましたが、もう普通に見慣れてしまいました(笑)

 

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●2015年のバス

 

これも見慣れてしまいましたが、このパレードの時点では最新のバスでした。

 

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側面にsicher-sauber-ökologisch(安全で清潔でエコ)と書かれています。

 

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●2014年のバス

 

これも普通に走っているバスですが、初めてのハイブリッドバスです。

 

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救急隊が、セグウェイでのんびり見回りしていました。

 

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●リングトラム

 

颯爽とリングトラムがやってきました。観光用にリングを一周するトラムです。

 

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参考記事:座ったままでウィーンのリンク大通りを一気に楽しむ!ウィーン・リングトラム | たびこふれ

 

●U6

 

さて、見慣れた車体が続き、もうパレードっぽさもあまりなくなってきました。そろそろ帰ろうかな・・と思った頃。。

 

私の三回目のハイライトがやってきました!!!

 

これ!!!!

これは鳥肌モノです!!!!

 

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U6です!!!!!地下鉄が道路を走ってる!!!!

 

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上でも一度ご紹介しましたが、昔Stadtbahnと呼ばれたU6は、今は地下鉄ですが、軌道は市電のものを使っているので、市電の線路を走ることができると、知識として知っていました。

 

しかし、普段地下鉄U6の駅でしか見かけない、地下鉄の車体だと脳に刷り込まれていたものが、普通に公道を走っていることに、鳥肌が立ちました。

 

知識として知っていたものが、突然目の前に現れたので、とてもビックリしました。理論上だけじゃなくて、実際にも可能なんだ!って。

 

とにかく、このU6登場は、私の中では馬車トラム、蒸気機関トラムに次ぐ衝撃でした。

 

●工事車両まとめて

 

このあとは、工事車両が何台か続いて、パレードはおしまいです。

 

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●まとめ

 

というわけで、手元の公式資料を見ながら、ウィーン市電150周年記念パレードを写真で追いかけてみました。いかがだったでしょうか?

 

私にとっては、ウィーン人のウィーンへの愛、歴史的パレードに立ち会う交通機関関係者の輝いた顔、歴史を重んじながら時代に適応していく交通機関の姿など、色々と考えさせられたパレードでした。

 

特に、初期トラムは、実際に走らせてみるまでの準備や苦労が忍ばれます。ハプスブルク時代の電気で動くトラムは、それこそ当時は革命的なテクノロジーだったはずで、緊張の面持ちでハンドルを握る運転手さんたちは、当時の運転の職人技を復活させたのでしょう。

 

こうやって写真でまとめてみると、時代によってデザインも色々ですし、最近ではエネルギーやバリアフリーにも考慮している点がよくわかりますね。

 

こうやって、150年の市電の歴史を巡り、歴史の中で変わっていくこと、変わらないこと、色々と感じました。ウィーン人の足となって街を支えてきた交通機関。今まで以上に感謝して行こうと思った一日でした。

 

最後にもう一度、ウィーン市電150周年記念パレードの記事を目次にしておきますね。

 

ウィーン市電150周年記念パレード①馬車トラム

ウィーン市電150周年記念パレード②蒸気機関トラム

ウィーン市電150周年記念パレード③ハプスブルク時代のトラム

ウィーン市電150周年記念パレード④皇室専用列車

ウィーン市電150周年記念パレード⑤戦中戦後のトラム

ウィーン市電150周年記念パレード⑥50年代のかわいいトラム

ウィーン市電150周年記念パレード⑦70,80年代の車両

ウィーン市電150周年記念パレード⑧現役車両続々登場&U6(当記事)

 

 

 


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